HAIKU

2023.10.20
『東京ハイキング』 安西水丸・著 淡交社・刊

『東京ハイキング』 安西水丸・著 淡交社・刊 
 本書は2014年に亡くなったイラストレーターの安西水丸さんが、月刊誌『なごみ』に連載した「メトロに乗って 東京俳句ing」(2013年一月~十二月)をまとめたものだ。都内のあちこちに足を運んで、見たもの、思い浮かんだことについて書いた短いエッセイをメインに、ゆかりの景色のイラストレーションと俳句を添えて一章とし、睦月から師走までの十二ヶ月十二章から成り立っている。
 たとえば第一章は「睦月 飛鳥山から王子神社、名主の滝へ」。水丸さんはイギリスの建築家コンドルの設計した旧古河邸庭園を見学した後、王子神社に参拝する。王子神社へは子供の頃、初詣で祖母とよく行ったと言う。祖母は幕臣の血を引いていて、徳川吉宗贔屓だった。吉宗が王子神社へまめに寄進していたので、祖母が初詣の神社に選んだのではないかと水丸さんは推測する。そうしたエッセイに付随して王子神社の槍のお守りや東京ゲーテ記念館のイラストを描き、「初春や音無川をほろ酔いで」(季語:初春 新年)の句を詠んでいる。エッセイ、イラスト、俳句が三位一体となって、水丸さんらしいさっぱりとした味わいの東京探訪になっている。
 エッセイでは水丸さんの生い立ちや性格、嗜好がそれとなく語られる。吉宗ファンの祖母は江戸っ子で、水丸さんも当然その血を受け継いでいる。都内の名所巡りといってもオノボリさん的な視点ではなく、東京の古くからの住人の感覚で書かれているのが面白い。古河庭園のくだりで、水丸さんが建築に興味を抱いていることがわかる。それはゲーテ記念館のイラストで補填され、俳句ではお酒が好きなことを匂わせる。 
「谷根千(やねせん)散歩」の章では江戸っ子・水丸さんの本領が発揮される。「谷根千」とは谷中、根津、千駄木界隈を指し、昭和の気配が残る地区として今や人気のスポットだ。レトロな喫茶店があったり、江戸千代紙を売る店「いせ辰」があったりして、多くの人がここを訪れるようになった。だが水丸さんにとって「谷根千」は菩提寺がある場所で、子供の頃から隈なく歩き回ったエリアである。「メトロに乗って 東京俳句ing」という連載タイトルではあるが、それこそ水丸さんは地下鉄が開通する前から墓参りでこのあたりに通っていた。  
先祖の墓と背中合わせに下谷区上野元黒門町生まれの洋画家、小絲源太郎の墓があったり、近くには詩人で建築家の立原道造の墓がある。高校時代に買った何冊かの立原の詩集を、今も大切に持っているという。また墓参りの帰りに寄るビーフシチュー屋は、昔は画材屋だったそうだ。歩いていて「一句詠みたい気分になる場所だ」とのエッセイでの述懐が妙にリアルに響く。
 その他、深川、四谷荒木町、竹芝桟橋などを水丸さんは一年間かけて散策する。歴史や風俗、地勢や人情などが独特の感性ですくい取られていて、気持ちよく読める。東京に生まれ育った水丸さんの地元愛があちこちに散りばめられていて、“2013年の東京”を味わい直す一冊だと言えるだろう。
以前、僕は『水丸さんのゴーシチゴ』という本を監修した。その際、参考にした五百句に及ぶ資料の中に『東京ハイキング』に収められている句がひとつもなかったので、ある意味、新鮮な気分でこの本を読むことができた。そして改めて水丸さんの創作に対する姿勢の特異さを感じた。それは文人画や南画に通じる「表現の軽妙さ」である。
文人画とは中国において職業画家の画に対して、文人が余技として描いた絵画のことを言う。技術にのみこだわる職業画家の画から離れて、もっと本質を捉えようとする文化運動の結果でもあった。日本では与謝蕪村の作品が代表例に挙げられる。水丸さんは本書で、職業的エッセイストでもなく、職業的イラストレーターでもなく(失礼!)、職業的俳人でもない一人の人間として振る舞っている。技巧に走らず、その日その時に“東京人”として感じたままを表現することに腐心している。その結果、先程も書いたように、東京を味わい直すことに成功した。 
後書きで、この本を編集した岡本仁氏は「東京らしさがまだ残る場所を自由気儘に歩き、さらさらと絵に描き、俳句にして表現する、安西水丸さんの粋な姿が詰まっている」と本書の魅力を語っている。「粋」というキーワードはどこか文人画家の心意気と似ていて、江戸っ子・水丸さんの創作の基本姿勢であることは間違いない。
ところで『鴻』誌連載の『ちょっとそこまで』は鈴木崇氏が都内や近郊の文学散歩する好企画で、その意図とスタイルは『東京ハイキング』に通ずるものがある。先月号では評論家・立花隆氏への熱い思いのこもった文章とともに、「春日・猫ビル」のユーモラスな写真が掲載されていて快哉を叫んだものだ。知識偏重や技巧重視に陥らず、モノや歴史をさらりと楽しむエッセイこそ、俳誌にふさわしいと思う。
「箸割って蕎麦を食う間の時雨かな 水丸」(季語:時雨 冬)  

俳句結社誌『鴻』2023年10月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2023.10.20
『東京ハイキング』 安西水丸・著 淡交社・刊

『東京ハイキング』 安西水丸・著 淡交社・刊 
 本書は2014年に亡くなったイラストレーターの安西水丸さんが、月刊誌『なごみ』に連載した「メトロに乗って 東京俳句ing」(2013年一月~十二月)をまとめたものだ。都内のあちこちに足を運んで、見たもの、思い浮かんだことについて書いた短いエッセイをメインに、ゆかりの景色のイラストレーションと俳句を添えて一章とし、睦月から師走までの十二ヶ月十二章から成り立っている。
 たとえば第一章は「睦月 飛鳥山から王子神社、名主の滝へ」。水丸さんはイギリスの建築家コンドルの設計した旧古河邸庭園を見学した後、王子神社に参拝する。王子神社へは子供の頃、初詣で祖母とよく行ったと言う。祖母は幕臣の血を引いていて、徳川吉宗贔屓だった。吉宗が王子神社へまめに寄進していたので、祖母が初詣の神社に選んだのではないかと水丸さんは推測する。そうしたエッセイに付随して王子神社の槍のお守りや東京ゲーテ記念館のイラストを描き、「初春や音無川をほろ酔いで」(季語:初春 新年)の句を詠んでいる。エッセイ、イラスト、俳句が三位一体となって、水丸さんらしいさっぱりとした味わいの東京探訪になっている。
 エッセイでは水丸さんの生い立ちや性格、嗜好がそれとなく語られる。吉宗ファンの祖母は江戸っ子で、水丸さんも当然その血を受け継いでいる。都内の名所巡りといってもオノボリさん的な視点ではなく、東京の古くからの住人の感覚で書かれているのが面白い。古河庭園のくだりで、水丸さんが建築に興味を抱いていることがわかる。それはゲーテ記念館のイラストで補填され、俳句ではお酒が好きなことを匂わせる。 
「谷根千(やねせん)散歩」の章では江戸っ子・水丸さんの本領が発揮される。「谷根千」とは谷中、根津、千駄木界隈を指し、昭和の気配が残る地区として今や人気のスポットだ。レトロな喫茶店があったり、江戸千代紙を売る店「いせ辰」があったりして、多くの人がここを訪れるようになった。だが水丸さんにとって「谷根千」は菩提寺がある場所で、子供の頃から隈なく歩き回ったエリアである。「メトロに乗って 東京俳句ing」という連載タイトルではあるが、それこそ水丸さんは地下鉄が開通する前から墓参りでこのあたりに通っていた。  
先祖の墓と背中合わせに下谷区上野元黒門町生まれの洋画家、小絲源太郎の墓があったり、近くには詩人で建築家の立原道造の墓がある。高校時代に買った何冊かの立原の詩集を、今も大切に持っているという。また墓参りの帰りに寄るビーフシチュー屋は、昔は画材屋だったそうだ。歩いていて「一句詠みたい気分になる場所だ」とのエッセイでの述懐が妙にリアルに響く。
 その他、深川、四谷荒木町、竹芝桟橋などを水丸さんは一年間かけて散策する。歴史や風俗、地勢や人情などが独特の感性ですくい取られていて、気持ちよく読める。東京に生まれ育った水丸さんの地元愛があちこちに散りばめられていて、“2013年の東京”を味わい直す一冊だと言えるだろう。
以前、僕は『水丸さんのゴーシチゴ』という本を監修した。その際、参考にした五百句に及ぶ資料の中に『東京ハイキング』に収められている句がひとつもなかったので、ある意味、新鮮な気分でこの本を読むことができた。そして改めて水丸さんの創作に対する姿勢の特異さを感じた。それは文人画や南画に通じる「表現の軽妙さ」である。
文人画とは中国において職業画家の画に対して、文人が余技として描いた絵画のことを言う。技術にのみこだわる職業画家の画から離れて、もっと本質を捉えようとする文化運動の結果でもあった。日本では与謝蕪村の作品が代表例に挙げられる。水丸さんは本書で、職業的エッセイストでもなく、職業的イラストレーターでもなく(失礼!)、職業的俳人でもない一人の人間として振る舞っている。技巧に走らず、その日その時に“東京人”として感じたままを表現することに腐心している。その結果、先程も書いたように、東京を味わい直すことに成功した。 
後書きで、この本を編集した岡本仁氏は「東京らしさがまだ残る場所を自由気儘に歩き、さらさらと絵に描き、俳句にして表現する、安西水丸さんの粋な姿が詰まっている」と本書の魅力を語っている。「粋」というキーワードはどこか文人画家の心意気と似ていて、江戸っ子・水丸さんの創作の基本姿勢であることは間違いない。
ところで『鴻』誌連載の『ちょっとそこまで』は鈴木崇氏が都内や近郊の文学散歩する好企画で、その意図とスタイルは『東京ハイキング』に通ずるものがある。先月号では評論家・立花隆氏への熱い思いのこもった文章とともに、「春日・猫ビル」のユーモラスな写真が掲載されていて快哉を叫んだものだ。知識偏重や技巧重視に陥らず、モノや歴史をさらりと楽しむエッセイこそ、俳誌にふさわしいと思う。
「箸割って蕎麦を食う間の時雨かな 水丸」(季語:時雨 冬)  

俳句結社誌『鴻』2023年10月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店