HAIKU

2023.08.07
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 坂本龍一・著  新潮社・刊

【ON THE STREET 2023/8月】 for HP      
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 坂本龍一・著  新潮社・刊  
坂本龍一さんが今年三月二十八日に亡くなった。本書は、雑誌『新潮』に昨年から今年初めにかけて連載された坂本さんの自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を元にしている。聞き書きというスタイルの連載だったので、聞き手の鈴木正文さんが追補を行なって一冊になった。  
坂本さんは亡くなる直前まで、この自伝をはじめ、東日本大震災で被災した子どもや若者による東北ユースオーケストラの指導をしたり、自身の作品のレコーディングをしたり、創作活動を続けた。その張り詰めた生涯は、今後も多くの人々に感銘を与えるだろう。 
僕は音楽評論家として坂本さんに何度も取材をさせていただいた。その際はいつも緊張した。なぜなら坂本さんは鋭い感性を持つ「知の巨人」なので、こちらも精一杯の準備をして臨まなくてはならなかったからだ。しかし本書には坂本さんの気さくな側面や社会を思いやる言葉が随所に見られて、心安く読むことができた。活動拠点をニューヨークに移されて以降はお会いしていなかったので、坂本さんの晩年の詳細をこの本で知ることになった。
本書の扱う話題は多岐にわたる。坂本さんが興味を抱く対象は、音楽はもちろん、文学、美術、映画、哲学など芸術全般から原発や環境問題までが含まれ、その幅広さには驚かされる。この本の帯には「世界的音楽家、最後の言葉。」とある。坂本さんが世界的音楽家であることは周知の事実だが、同時に坂本さんは思索家として示唆に富む言葉を多く残した。
「かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ」。
 これは癌罹患以降の言葉で、「幸せなことだ」と言いながら、現代社会を憂う怒りにあふれている。原発や環境問題に対する発言と地続きにある、一人の人間として生や死について語る言葉に、誰もが納得するのではないだろうか。
 本書の大半は音楽についてのエピソードに割かれている。興味を惹かれたミュージシャンとは、その人が世界のどこにいても繋がろうとする。有名アーティストではなくとも、自分の共感する最先端の音楽家たちと躊躇なく交わる。最先端とはそういうものだが、こと音楽では同じアイデアが世界同時多発的に生まれることが多い。まるでそのシンクロニシティ(共時性)の中心に坂本さんがいるかのようだ。 
テレビ番組制作や整体などもカバーする坂本さんの旺盛な知識欲は呆れ返るほどだ。そうしたバラエティに富んだ話題に混じって、何と俳句に関する記述があった。尊敬する先輩でジャズピアニストの山下洋輔さんのコンサートに招かれた坂本さんは、「HAIKU」という曲を一緒に即興演奏することになった。「HAIKU」は山下さんが作った曲で、5・7・5のリズムで交互に演奏するのがルール。強い音でも弱い音でも、高い音でも低い音でも、とにかく5・7・5のリズムを守って演奏し、あらかじめ決められた合図で奏者が交代する。相手の演奏をちゃんと聴いていないとスムーズに交代できないという曲で、ある種、連歌などに通じる共同表現なのだろう。坂本さんはそれがフリージャズの本質だと語っている。俳句の側から見ると、この演奏ルールは俳句を披講する際のリズムと非常に似ているので、ぜひ俳人の方にYoutubeでこの曲を体験してみてほしいと思う。 
本書にある貪欲なまでの坂本さんの精神活動の痕跡は、読んでいて飽きない。そして読み終えかけた最終章に、驚きの発見があった。坂本さんは二○一八年から二○二二年までの四年間、『婦人画報』に「坂本図書」という連載をしていて、これをまとめて単行本化する計画があったという。亡くなる直前の三月八日にこの単行本のためのインタビューが行なわれ、坂本さんはここ数年、大切に読んできた十冊をリストアップしたのだった。その十冊には『意識と本質』(井筒俊彦)、『行人』(夏目漱石)、『日和下駄』(永井荷風)、『不合理ゆえに吾信ず』(埴谷雄高)などと並んで、富澤赤黄男の第三句集『黙示』があった。 
坂本さんはインタビュアーの鈴木さんに、赤黄男の代表句として第一句集『天の狼』収録の「蝶墜ちて 大音響の 結氷期」を挙げ、絶賛したという。実は僕はこれまで、この句の良さがさっぱり分からなかった。しかし本書で坂本さんの音楽、あるいは音そのものへの飽くなき追求を知った後だったので、これまでとはまったく違った解釈がひらめいた。蝶は何を象徴しているのか。そしてこの句を読んだ坂本さんの心に、どんな音が鳴り響いたのか。僕はまるで現代音楽を聴くように、この句に接することができた。
『黙示』は赤黄男の最後の句集で、きっと坂本さんは赤黄男の抽象性や象徴性の「極み」を読もうとしていたのではないかと思った。謹んで坂本龍一さんのご冥福を祈ります。
「老残の――無音の鐘を撞き鳴らす 赤黄男」(『黙示』より)
俳句結社誌『鴻』2023年8月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2023.08.07
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 坂本龍一・著  新潮社・刊

【ON THE STREET 2023/8月】 for HP      
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 坂本龍一・著  新潮社・刊  
坂本龍一さんが今年三月二十八日に亡くなった。本書は、雑誌『新潮』に昨年から今年初めにかけて連載された坂本さんの自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を元にしている。聞き書きというスタイルの連載だったので、聞き手の鈴木正文さんが追補を行なって一冊になった。  
坂本さんは亡くなる直前まで、この自伝をはじめ、東日本大震災で被災した子どもや若者による東北ユースオーケストラの指導をしたり、自身の作品のレコーディングをしたり、創作活動を続けた。その張り詰めた生涯は、今後も多くの人々に感銘を与えるだろう。 
僕は音楽評論家として坂本さんに何度も取材をさせていただいた。その際はいつも緊張した。なぜなら坂本さんは鋭い感性を持つ「知の巨人」なので、こちらも精一杯の準備をして臨まなくてはならなかったからだ。しかし本書には坂本さんの気さくな側面や社会を思いやる言葉が随所に見られて、心安く読むことができた。活動拠点をニューヨークに移されて以降はお会いしていなかったので、坂本さんの晩年の詳細をこの本で知ることになった。
本書の扱う話題は多岐にわたる。坂本さんが興味を抱く対象は、音楽はもちろん、文学、美術、映画、哲学など芸術全般から原発や環境問題までが含まれ、その幅広さには驚かされる。この本の帯には「世界的音楽家、最後の言葉。」とある。坂本さんが世界的音楽家であることは周知の事実だが、同時に坂本さんは思索家として示唆に富む言葉を多く残した。
「かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ」。
 これは癌罹患以降の言葉で、「幸せなことだ」と言いながら、現代社会を憂う怒りにあふれている。原発や環境問題に対する発言と地続きにある、一人の人間として生や死について語る言葉に、誰もが納得するのではないだろうか。
 本書の大半は音楽についてのエピソードに割かれている。興味を惹かれたミュージシャンとは、その人が世界のどこにいても繋がろうとする。有名アーティストではなくとも、自分の共感する最先端の音楽家たちと躊躇なく交わる。最先端とはそういうものだが、こと音楽では同じアイデアが世界同時多発的に生まれることが多い。まるでそのシンクロニシティ(共時性)の中心に坂本さんがいるかのようだ。 
テレビ番組制作や整体などもカバーする坂本さんの旺盛な知識欲は呆れ返るほどだ。そうしたバラエティに富んだ話題に混じって、何と俳句に関する記述があった。尊敬する先輩でジャズピアニストの山下洋輔さんのコンサートに招かれた坂本さんは、「HAIKU」という曲を一緒に即興演奏することになった。「HAIKU」は山下さんが作った曲で、5・7・5のリズムで交互に演奏するのがルール。強い音でも弱い音でも、高い音でも低い音でも、とにかく5・7・5のリズムを守って演奏し、あらかじめ決められた合図で奏者が交代する。相手の演奏をちゃんと聴いていないとスムーズに交代できないという曲で、ある種、連歌などに通じる共同表現なのだろう。坂本さんはそれがフリージャズの本質だと語っている。俳句の側から見ると、この演奏ルールは俳句を披講する際のリズムと非常に似ているので、ぜひ俳人の方にYoutubeでこの曲を体験してみてほしいと思う。 
本書にある貪欲なまでの坂本さんの精神活動の痕跡は、読んでいて飽きない。そして読み終えかけた最終章に、驚きの発見があった。坂本さんは二○一八年から二○二二年までの四年間、『婦人画報』に「坂本図書」という連載をしていて、これをまとめて単行本化する計画があったという。亡くなる直前の三月八日にこの単行本のためのインタビューが行なわれ、坂本さんはここ数年、大切に読んできた十冊をリストアップしたのだった。その十冊には『意識と本質』(井筒俊彦)、『行人』(夏目漱石)、『日和下駄』(永井荷風)、『不合理ゆえに吾信ず』(埴谷雄高)などと並んで、富澤赤黄男の第三句集『黙示』があった。 
坂本さんはインタビュアーの鈴木さんに、赤黄男の代表句として第一句集『天の狼』収録の「蝶墜ちて 大音響の 結氷期」を挙げ、絶賛したという。実は僕はこれまで、この句の良さがさっぱり分からなかった。しかし本書で坂本さんの音楽、あるいは音そのものへの飽くなき追求を知った後だったので、これまでとはまったく違った解釈がひらめいた。蝶は何を象徴しているのか。そしてこの句を読んだ坂本さんの心に、どんな音が鳴り響いたのか。僕はまるで現代音楽を聴くように、この句に接することができた。
『黙示』は赤黄男の最後の句集で、きっと坂本さんは赤黄男の抽象性や象徴性の「極み」を読もうとしていたのではないかと思った。謹んで坂本龍一さんのご冥福を祈ります。
「老残の――無音の鐘を撞き鳴らす 赤黄男」(『黙示』より)
俳句結社誌『鴻』2023年8月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店