HAIKU

2023.03.02
『うまれることば、しぬことば』 酒井順子・著 集英社・刊

『うまれることば、しぬことば』 酒井順子・著 集英社・刊  
 昨年1月号で『絶滅危惧動作図鑑』(籔本晶子・著)という本を紹介した。時代とともに使う道具や生活様式が変われば、絶滅する動作がある。たとえば電話をかけるときに「ダイヤルを回す」動作は、ほぼ絶滅してしまった。俳句では「牛蒡引く」など生活の動作を描くことが多いから、動作絶滅の影響は大だ。今回、紹介する『うまれることば、しぬことば』では、文字通り「言葉」の生き死にについてエッセイの名手・酒井順子が論じる。その観察眼は鋭利多角で、多くの発見が提示される。「言葉」は「動作」よりも速いスピードで盛衰を繰り返している点に注目して読んだ。
 冒頭のテーマは「Jの盛衰」。東京のFM局「J-WAVE」は1988年にスタートした。当時の選曲は洋楽中心で、わずかにかかる日本のポップスが後に「J-POP」と呼ばれるようになる。産業界では日本専売公社が85年にJTを名乗り、87年に日本国有鉄道がJRとなる。スポーツ界では93年、「Jリーグ」が発足。子供たちに「将来の夢は?」と聞くと「Jリーガー」と答えるケースが普通になった。
これらの変化は昭和末期から平成にかけて起こった。酒井は昭和の日本のバイタリティが重く感じられ、軽くてオシャレな国でありたいというムードが「J」に現れたのではないかと推論する。その後、平成末期になると再び「日本」への回帰が起こったとも指摘。昭和から平成をはさんだ令和において「J」はその役割を終え、世界の自国第一主義を反映してか「日本」の良さをアピールする動きが顕著になった。一つの文字や言葉が時代の空気を変える力を持ち、一方で寿命のあることを酒井は読み取るのだった。   
「サルビアや砂にしたたる午後の影 津川絵理子」(季語:サルビア 夏)
「イエスゐるやうにラグビーボール置く 齋藤朝比古」(季語:ラグビー 冬)
「ポロシャツの鰐をめがけて水鉄砲 太田うさぎ」(季語:水鉄砲 夏)
 これらの句は平成に詠まれた。「軽やかさ」を求めた時代の空気をよく反映している。「イエスゐる」や「ポロシャツの鰐」などの表現がポップな輝きを放つ。これらを「J俳句」と呼んでみたくなった。
 
〈コロナとの「戦い」〉という章で、酒井は各国首脳がコロナ禍を「戦争」と呼んだことについて書いている。2020年3月、故・安倍首相(当時)は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証として、東京オリンピック・パラリンピックを完全な形で実現する」と語った。トランプ大統領(当時)も「これは戦争だ!」と叫び、「戦時下の大統領」を自称。故・エリザベス女王も「私達はウイルスとの戦いに勝つ」と言っていた。しかしこれらの発言は、ウイルスの感染力や毒性の強弱が分かってくるにつれて「ウィズコロナ」という言葉が流通し始めると、いきなり古めかしく感じられていった。
 酒井はここでも鋭い観察を行なう。首相に「不屈の覚悟で戦い抜こう」と呼びかけられても、日本国民はいまいちピンと来なかったが、志村けんさんが罹患死すると、弔い合戦的感覚で「気を引き締めなくては」と人々が思ったと述べる。およそ「戦い」という言葉が似合わない首相のヒロイックな言動に、「コロナ戦争」があっさり風化していった遠因があるのかもしれない。 
「ウイルスも 上司の指示も 変異する  K・U」
「8時だよ!! 昔は集合 今閉店  山のパン屋」
 これらは昨年の「第一生命 サラリーマン川柳コンクール」の入選句。「変異株」や「時短要請」などの時事的な事象には、俳句よりも川柳が有効な表現手段であるようだ。 
 〈「だよ」、「のよ」、「です」〉の章では、日本語の口語の語尾の男女差についてがテーマとなる。以前は女性が「だよ」を遣うことは滅多になかったが、若い世代では一般的になっている。「のよ」や「わ」などの女言葉はある程度、年配の女性が遣うことが多い。あるいはマツコ・デラックスのようなゲイの人がよく遣うのだという。また尾木ママのように「言葉の女装」をする男性もいたりする。いずれにしても日本語の男女差は、近い将来に極めて小さくなりそうだと予測。
丁寧語の「です」に関しては依然として公の場で遣われていて、ちょっと不良っぽい矢沢永吉でもファンに向かって「ヤザワだよ」とは言わず、「ヤザワです」となる。「だよ」はプロレスラーや若い俳優などが自分の破天荒さをアピールするときに遣われている。ただし当の酒井は敬語文化で育ったので、どうしても「酒井だよ」と自己紹介することができないと悩む。この真っ当な当事者意識が、本書の論拠となっている。 
「こんにちはスケベな花咲爺だよ 北大路翼」(季語:花 春)
 作者の翼は間違いなく「だよ」が似合う俳人だ。
 最後に酒井はこうまとめる。「今、我々が使用しているのは、生死を繰り返す言葉の残骸が堆積してできた分厚い層の、ほんの表面部分でしかありません。(中略) そんな今だからこそ、ある言葉がどのように生まれ、ある言葉がどのように死んでいったかを考えることは、他者を理解することに繋がる気がしてなりません」。
 今、自分たちはどんな言葉の層に生きているのかを問うのは、俳句を作る上で大切なことだ。次の句は紛れもなく令和の句であると思う。 
「吹き抜けや四月がピザのやうに来る 西生ゆかり」(季語:四月 春) 

        俳句結社誌『鴻』2023年2月号 
         連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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『うまれることば、しぬことば』 酒井順子・著 集英社・刊

『うまれることば、しぬことば』 酒井順子・著 集英社・刊  
 昨年1月号で『絶滅危惧動作図鑑』(籔本晶子・著)という本を紹介した。時代とともに使う道具や生活様式が変われば、絶滅する動作がある。たとえば電話をかけるときに「ダイヤルを回す」動作は、ほぼ絶滅してしまった。俳句では「牛蒡引く」など生活の動作を描くことが多いから、動作絶滅の影響は大だ。今回、紹介する『うまれることば、しぬことば』では、文字通り「言葉」の生き死にについてエッセイの名手・酒井順子が論じる。その観察眼は鋭利多角で、多くの発見が提示される。「言葉」は「動作」よりも速いスピードで盛衰を繰り返している点に注目して読んだ。
 冒頭のテーマは「Jの盛衰」。東京のFM局「J-WAVE」は1988年にスタートした。当時の選曲は洋楽中心で、わずかにかかる日本のポップスが後に「J-POP」と呼ばれるようになる。産業界では日本専売公社が85年にJTを名乗り、87年に日本国有鉄道がJRとなる。スポーツ界では93年、「Jリーグ」が発足。子供たちに「将来の夢は?」と聞くと「Jリーガー」と答えるケースが普通になった。
これらの変化は昭和末期から平成にかけて起こった。酒井は昭和の日本のバイタリティが重く感じられ、軽くてオシャレな国でありたいというムードが「J」に現れたのではないかと推論する。その後、平成末期になると再び「日本」への回帰が起こったとも指摘。昭和から平成をはさんだ令和において「J」はその役割を終え、世界の自国第一主義を反映してか「日本」の良さをアピールする動きが顕著になった。一つの文字や言葉が時代の空気を変える力を持ち、一方で寿命のあることを酒井は読み取るのだった。   
「サルビアや砂にしたたる午後の影 津川絵理子」(季語:サルビア 夏)
「イエスゐるやうにラグビーボール置く 齋藤朝比古」(季語:ラグビー 冬)
「ポロシャツの鰐をめがけて水鉄砲 太田うさぎ」(季語:水鉄砲 夏)
 これらの句は平成に詠まれた。「軽やかさ」を求めた時代の空気をよく反映している。「イエスゐる」や「ポロシャツの鰐」などの表現がポップな輝きを放つ。これらを「J俳句」と呼んでみたくなった。
 
〈コロナとの「戦い」〉という章で、酒井は各国首脳がコロナ禍を「戦争」と呼んだことについて書いている。2020年3月、故・安倍首相(当時)は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証として、東京オリンピック・パラリンピックを完全な形で実現する」と語った。トランプ大統領(当時)も「これは戦争だ!」と叫び、「戦時下の大統領」を自称。故・エリザベス女王も「私達はウイルスとの戦いに勝つ」と言っていた。しかしこれらの発言は、ウイルスの感染力や毒性の強弱が分かってくるにつれて「ウィズコロナ」という言葉が流通し始めると、いきなり古めかしく感じられていった。
 酒井はここでも鋭い観察を行なう。首相に「不屈の覚悟で戦い抜こう」と呼びかけられても、日本国民はいまいちピンと来なかったが、志村けんさんが罹患死すると、弔い合戦的感覚で「気を引き締めなくては」と人々が思ったと述べる。およそ「戦い」という言葉が似合わない首相のヒロイックな言動に、「コロナ戦争」があっさり風化していった遠因があるのかもしれない。 
「ウイルスも 上司の指示も 変異する  K・U」
「8時だよ!! 昔は集合 今閉店  山のパン屋」
 これらは昨年の「第一生命 サラリーマン川柳コンクール」の入選句。「変異株」や「時短要請」などの時事的な事象には、俳句よりも川柳が有効な表現手段であるようだ。 
 〈「だよ」、「のよ」、「です」〉の章では、日本語の口語の語尾の男女差についてがテーマとなる。以前は女性が「だよ」を遣うことは滅多になかったが、若い世代では一般的になっている。「のよ」や「わ」などの女言葉はある程度、年配の女性が遣うことが多い。あるいはマツコ・デラックスのようなゲイの人がよく遣うのだという。また尾木ママのように「言葉の女装」をする男性もいたりする。いずれにしても日本語の男女差は、近い将来に極めて小さくなりそうだと予測。
丁寧語の「です」に関しては依然として公の場で遣われていて、ちょっと不良っぽい矢沢永吉でもファンに向かって「ヤザワだよ」とは言わず、「ヤザワです」となる。「だよ」はプロレスラーや若い俳優などが自分の破天荒さをアピールするときに遣われている。ただし当の酒井は敬語文化で育ったので、どうしても「酒井だよ」と自己紹介することができないと悩む。この真っ当な当事者意識が、本書の論拠となっている。 
「こんにちはスケベな花咲爺だよ 北大路翼」(季語:花 春)
 作者の翼は間違いなく「だよ」が似合う俳人だ。
 最後に酒井はこうまとめる。「今、我々が使用しているのは、生死を繰り返す言葉の残骸が堆積してできた分厚い層の、ほんの表面部分でしかありません。(中略) そんな今だからこそ、ある言葉がどのように生まれ、ある言葉がどのように死んでいったかを考えることは、他者を理解することに繋がる気がしてなりません」。
 今、自分たちはどんな言葉の層に生きているのかを問うのは、俳句を作る上で大切なことだ。次の句は紛れもなく令和の句であると思う。 
「吹き抜けや四月がピザのやうに来る 西生ゆかり」(季語:四月 春) 

        俳句結社誌『鴻』2023年2月号 
         連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店