HAIKU

2023.01.04
『戦禍の中のHAIKU』 NHK ETV特集 for HP

『戦禍の中のHAIKU』 NHK ETV特集 for HP
 昨年十一月、NHK教育テレビでETV特集『戦禍の中のHAIKU』が放送された。冒頭に「戦争の渦中にあるふたつの国で詠まれた俳句を集めました」とのナレーションが流れる。ロシアによるウクライナ侵攻から九ヶ月が経ち、厳しい冬を迎える重大局面にあたって、戦地の人々がどんな思いで暮らしているのかを俳句を通して知れる貴重な番組だった。ここにいくつかの句を紹介して、改めて民主主義を守る戦いの実相を考えてみたいと思う。
「子ら遊ぶ紙飛行機で防空壕 ブラジスラワ」(無季)   
ウクライナ第二の都市ハルキウ在住の若い女性の句である。彼女は十四歳のとき、学校の授業で俳句に出会い、今ではウクライナ語、ロシア語、英語で作句をしているという。この句は侵攻後、三ヶ月間、防空壕に避難していたときに詠まれた。「俳句を作るのは、目撃した瞬間を記録するためです。感情が溢れ出るとき、人はどうにかしてそれを表現しようとするものです。俳句に感情を注ぎ込むことで、自分のためにも他の人たちのためにも、それを残しておくことができるのです」と語る。ロシアの爆撃機が飛び交い、空を見ることさえできなかった避難生活の中で、子供たちは紙の飛行機で遊んでいるのだった。あどけない情景が防空壕で展開される、切なさに満ちた一句である。
「色失せた凍える女 地平線が震える マイヤ」(季語:凍える 冬)  
「耳詰まる突如の静寂雪は血に  マイヤ」(季語:雪 冬) 
キーウ在住の女性の句。「凍える女」は、砲撃の音が響く中、蒼白い顔で途方に暮れる女を見て詠んだ。その女は虐殺の地ブチャから逃れて来たのかもしれない。マイヤさんは「私はこれが戦争の顔なのだと思いました」と語る。戦争の無慈悲が句に切り取られていて、思わず「戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉」を思った。また「耳詰まる」は、近くで激しい爆発が起こり、その後、まったくの静寂が訪れた。そのとき雪が夕焼に染まり、血のように見えたのだという。
ウクライナとロシアには多くの俳句愛好者がいる。ソビエト時代に芭蕉の『おくのほそ道』が翻訳され、連邦崩壊後に両国で俳句ブームが起こった。以後、若い人たちも含めてかなりの数の俳人が存在し、今回の戦争についての句が詠まれているという。
「特別軍事作戦サラダに油少なめに ベーラ」(無季) 
ロシアのシベリア在住の女性が、侵攻の翌日に詠んだ句。ニュースを見て、まず戦時下での生活困窮に対する不安がよぎった。手に取ったサラダ油に「火に油を注ぐ」という警句を連想。その上で、ベーラさんは「この戦争はロシアの進歩に何の役にも立ちません」と冷静に政府を批判する。
「『生きてます』息子の手紙 光跳ね ナタリア」(無季) 
ロシア在住の女性の句。欧米からはロシア軍の徴兵の不手際や兵の装備の不足が盛んに報道されているが、真偽のほどは分からない。それでも息子を戦場へと送り出した母親の不安な気持ちが、この句から痛いほど伝わってくる。 
「7月の暮れ去年の切株で薪を割る レフコ」(季語:七月 夏) 
ウクライナのリビウ在住の男性の句。昨年二月に始まった侵攻が長期化しそうだという予測が、夏あたりから囁かれ始めた。レフコさんは七月に早くも冬への準備を開始した。夏の暑さがゆるむ夕暮れは、ほっと一息つくリラックス・タイム。だがそんな時に冬の寒さの心配をしている男がいる。レフコさんはかなりの年配と見受けられるが、絶対にロシアに屈しないという強い決意がこの句から読み取れる。
「未耕作沃野を覆う黒い鳥 ガリーナ」(無季) 
キーウ在住の女性の句。普段の年なら三月には畑を耕すときに土から這い出すミミズを狙って、ウクライナにコウノトリが飛来する。真っ黒な土とコウノトリの白い翼の美しいコントラストを見るのが、ガリーナさんの春の楽しみだった。しかし昨年はそれが叶わなかった。代わりにカラスが、放棄された肥沃な大地に群がっていたという。季節の風物詩が戦争によって遮断される。農業がストップすることから生じる経済的損失はもちろんだが、風土に寄り添う人間の豊かさも戦争は奪ってしまうのだ。
建築の専門家であるガリーナさんは、昨年六月に来日。東京大学に籍を置いて研究に励んでいる。長崎や広島を周って日本の戦後復興を調査する予定で、その成果を“祖国の戦後”に役立てようと考えている。また彼女の俳句の恩師である神戸の俳人・野澤あきさん(九十三歳)は、「星月夜キエフを向きて祈りけり あき」(キエフはキーウの旧名)の句をガリーナさんに捧げている。 
この番組でロシア、ウクライナ両国民の俳句に接してみて、季語の有無があまり気にならないことに気付いた。それは冒頭でブラジスラワさんが言ったように、心から溢れ出た気持ちをそれぞれの俳人が詠っているからだと思う。俳句で何を詠むか、何を伝えたいのかということは、季語より大切なのかもしれない。あるいは、より良く伝えるためにこそ季語を遣うという命題を、肝に命じなければならない。ガリーナさんは今日も日本で俳句を詠み続けている。
今年もよろしくお願いします!
「うつくしき空より飛来ロケット我らに ブラジスラワ」(無季) 

              俳句結社誌『鴻』2023年1月号 
               連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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『戦禍の中のHAIKU』 NHK ETV特集 for HP

『戦禍の中のHAIKU』 NHK ETV特集 for HP
 昨年十一月、NHK教育テレビでETV特集『戦禍の中のHAIKU』が放送された。冒頭に「戦争の渦中にあるふたつの国で詠まれた俳句を集めました」とのナレーションが流れる。ロシアによるウクライナ侵攻から九ヶ月が経ち、厳しい冬を迎える重大局面にあたって、戦地の人々がどんな思いで暮らしているのかを俳句を通して知れる貴重な番組だった。ここにいくつかの句を紹介して、改めて民主主義を守る戦いの実相を考えてみたいと思う。
「子ら遊ぶ紙飛行機で防空壕 ブラジスラワ」(無季)   
ウクライナ第二の都市ハルキウ在住の若い女性の句である。彼女は十四歳のとき、学校の授業で俳句に出会い、今ではウクライナ語、ロシア語、英語で作句をしているという。この句は侵攻後、三ヶ月間、防空壕に避難していたときに詠まれた。「俳句を作るのは、目撃した瞬間を記録するためです。感情が溢れ出るとき、人はどうにかしてそれを表現しようとするものです。俳句に感情を注ぎ込むことで、自分のためにも他の人たちのためにも、それを残しておくことができるのです」と語る。ロシアの爆撃機が飛び交い、空を見ることさえできなかった避難生活の中で、子供たちは紙の飛行機で遊んでいるのだった。あどけない情景が防空壕で展開される、切なさに満ちた一句である。
「色失せた凍える女 地平線が震える マイヤ」(季語:凍える 冬)  
「耳詰まる突如の静寂雪は血に  マイヤ」(季語:雪 冬) 
キーウ在住の女性の句。「凍える女」は、砲撃の音が響く中、蒼白い顔で途方に暮れる女を見て詠んだ。その女は虐殺の地ブチャから逃れて来たのかもしれない。マイヤさんは「私はこれが戦争の顔なのだと思いました」と語る。戦争の無慈悲が句に切り取られていて、思わず「戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉」を思った。また「耳詰まる」は、近くで激しい爆発が起こり、その後、まったくの静寂が訪れた。そのとき雪が夕焼に染まり、血のように見えたのだという。
ウクライナとロシアには多くの俳句愛好者がいる。ソビエト時代に芭蕉の『おくのほそ道』が翻訳され、連邦崩壊後に両国で俳句ブームが起こった。以後、若い人たちも含めてかなりの数の俳人が存在し、今回の戦争についての句が詠まれているという。
「特別軍事作戦サラダに油少なめに ベーラ」(無季) 
ロシアのシベリア在住の女性が、侵攻の翌日に詠んだ句。ニュースを見て、まず戦時下での生活困窮に対する不安がよぎった。手に取ったサラダ油に「火に油を注ぐ」という警句を連想。その上で、ベーラさんは「この戦争はロシアの進歩に何の役にも立ちません」と冷静に政府を批判する。
「『生きてます』息子の手紙 光跳ね ナタリア」(無季) 
ロシア在住の女性の句。欧米からはロシア軍の徴兵の不手際や兵の装備の不足が盛んに報道されているが、真偽のほどは分からない。それでも息子を戦場へと送り出した母親の不安な気持ちが、この句から痛いほど伝わってくる。 
「7月の暮れ去年の切株で薪を割る レフコ」(季語:七月 夏) 
ウクライナのリビウ在住の男性の句。昨年二月に始まった侵攻が長期化しそうだという予測が、夏あたりから囁かれ始めた。レフコさんは七月に早くも冬への準備を開始した。夏の暑さがゆるむ夕暮れは、ほっと一息つくリラックス・タイム。だがそんな時に冬の寒さの心配をしている男がいる。レフコさんはかなりの年配と見受けられるが、絶対にロシアに屈しないという強い決意がこの句から読み取れる。
「未耕作沃野を覆う黒い鳥 ガリーナ」(無季) 
キーウ在住の女性の句。普段の年なら三月には畑を耕すときに土から這い出すミミズを狙って、ウクライナにコウノトリが飛来する。真っ黒な土とコウノトリの白い翼の美しいコントラストを見るのが、ガリーナさんの春の楽しみだった。しかし昨年はそれが叶わなかった。代わりにカラスが、放棄された肥沃な大地に群がっていたという。季節の風物詩が戦争によって遮断される。農業がストップすることから生じる経済的損失はもちろんだが、風土に寄り添う人間の豊かさも戦争は奪ってしまうのだ。
建築の専門家であるガリーナさんは、昨年六月に来日。東京大学に籍を置いて研究に励んでいる。長崎や広島を周って日本の戦後復興を調査する予定で、その成果を“祖国の戦後”に役立てようと考えている。また彼女の俳句の恩師である神戸の俳人・野澤あきさん(九十三歳)は、「星月夜キエフを向きて祈りけり あき」(キエフはキーウの旧名)の句をガリーナさんに捧げている。 
この番組でロシア、ウクライナ両国民の俳句に接してみて、季語の有無があまり気にならないことに気付いた。それは冒頭でブラジスラワさんが言ったように、心から溢れ出た気持ちをそれぞれの俳人が詠っているからだと思う。俳句で何を詠むか、何を伝えたいのかということは、季語より大切なのかもしれない。あるいは、より良く伝えるためにこそ季語を遣うという命題を、肝に命じなければならない。ガリーナさんは今日も日本で俳句を詠み続けている。
今年もよろしくお願いします!
「うつくしき空より飛来ロケット我らに ブラジスラワ」(無季) 

              俳句結社誌『鴻』2023年1月号 
               連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店