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2023.01.04
『宗像教授伝奇考』 星野之宣・著 潮出版社・刊  

『宗像教授伝奇考』 星野之宣・著 潮出版社・刊  
幻想的な伝奇ロマンのジャンルは根強いファンを持つ。伝奇小説はもちろん伝奇映画など様々な手法で多くの作品が描かれているが、伝奇ロマンに関してはコミックスが非常に合っている。各地の伝承に由来する妖怪や、消滅した古代都市などは、漫画という表現を通すと想像力がおおいに膨らむ。 
 そうした特性もあってか、コロナ禍やロシア侵攻の閉塞感が世界を覆うようになってから、僕は伝奇ロマンのコミックスに浸る時間が多くなった。現実とは思えないパンデミックや戦争に向き合うのに疲れた時、現実離れした物語の世界に退避するのは良い救済となる。僕がこのジャンルでいちばん好きな作家は諸星大二郎で、この連載でも2年前に『オリオンラジオの夜』を紹介した。そして諸星の次に好きな作家が、今回取り上げる星野之宣である。
 1954年、帯広生まれ。1975年『はるかなる朝』で第9回手塚賞入選。『星を継ぐもの』で第44回星雲賞コミック部門、そして本作の姉妹編『宗像教授異考録』で第12回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞している。星野は愛知芸大で日本画を学んだこともあって、シャープな画風の中に日本的な情緒があるのが特徴だ。本作の主人公・宗像教授は山高帽に黒マントの英国風紳士として描かれるが、どこか和を感じさせる点が興味深い。教授は世界各地に伝わる神話・伝承の裏側に潜む歴史的真実を次々に解き明かしていく。
全7集に及ぶ『宗像教授伝奇考』シリーズの冒頭を飾るのは、羽衣伝説のエピソードだ。この伝説は三保松原をはじめ全国に遍在していて、能の演目になったり、日本人にとって非常に親しみのある題材である。しかし宗像は羽衣伝説は日本のみならず、世界中に分布していることに着目し推理を広げていく。するとその分布が、製鉄技術の伝播ルートに重なっていることを突き止めるのだった。
この説を荒唐無稽と言ってしまえばそれまでだが、宗像が自分の知識と見聞をもって裏付けていく様子は、まさに痛快。それは作者の星野の知識と見聞であり、星野が宗像を通して語ろうとしているのは、伝承や神話にはその土地の風土や歴史が深く関わっているということなのだ。
「羽衣に桜吹きこむ舞台哉 正岡子規」(季語:桜 春) 
「少女には見える羽衣風さやか 河野薫」(季語:さやか 秋) 
 子規の句は、春たけなわの能舞台を描いている。花屑の舞う中で演じられる「羽衣」は、およそ製鉄のイメージとはかけ離れていて、宗像教授の推論の意外さが際立つ。一方で「少女」の句は宗像の発想の自由さと通じていて、「天衣無縫」という言葉がぴったり。宗像は羽衣伝説の起源は“鉄の民族・ヒッタイト”まで遡るとする。紀元前二千年の昔、青銅器を上回る武器である鉄器を自在に操ったヒッタイトの伝承が、鉄とともに日本に伝わったというのだった。
 『宗像教授伝奇考』第6集には雪女のエピソードが登場する。東北の雪深い地には様々な雪女の伝承がある。宗像は若い頃からそうした物語を拾い集めて研究してきたゆえ、つい最近起こった雪女にまつわる事件に巻き込まれる。捜査のためにかつて雪女を見たという青森の男性に会いに行くと、彼はすでに認知症が進行していて、話を聞くたびに少しずつ内容が変わっていくのだった。そうした人間の記憶の改変にも宗像は伝承の成り立ちのヒントがあると考え、丁寧に接していく。
「瀬に下りて目玉を洗ふ雪女郎 秋元不死男」(季語:雪女郎 冬) 
「聖堂の固き扉に泣く雪をんな 佐野まもる」(季語:雪女 冬)
 「瀬に下りて」の句の雪女郎の姿は凄まじい。雪でダメージを受けた目を必死に洗う。視力を取り戻したら、この雪女郎は何をしようというのだろうか。「聖堂」の句は、人間と共存したくても叶わない雪をんなの悲哀を描いている。現われただけで怖がられ、息を吹きかけたら相手が死んでしまう彼女は、罪を償いたくても聖堂に入れないでいる。
 宗像教授の出会った事件は、雪女の伝承が途絶える寸前に起こった。半分はファンタジーで半分はホラーと捉えることのできるエピソードだ。自分の見た雪女を思い出したい気持ちと、思い出したくない気持ちの相克が核心にある。それは雪女の決め台詞「私を見たことを他人に言ったら、殺しに来るぞ」という言葉の意味深さでもある。
「ことに眉青きは近江の雪女郎 鴻司」
「雪女郎美しといふ見たきかな 大場白水郎」 
両句ともに「雪女郎」の伝承が途絶えてしまった後の時代の句と言えよう。雪女郎に対する恐ろしさは消え、一度は出会ってみたいものだという好奇心が勝っている。「ことに」の句は「眉」に注目したことでユーモラスな雪女像が生み出され、「雪女郎」の句はおおらかな詠みぶりで雪女郎の犯してきた罪を許している。
「凍死した人間は時として顔面の筋肉がひきつり、不気味な笑い顔になるという。そばにいる人にはそれは例えば死者の最期の瞬間に、何かが訪れたように見えるのかもしれん。何か甘美で恐ろしい存在が…」と宗像は独り言のように漏らす。宗像の伝承への優しい眼差しは、星野の信条そのものなのである。
「山風や雪女より北に棲み 馬崎千恵子」

             俳句結社誌『鴻』2022年10月号 
             連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載 

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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『宗像教授伝奇考』 星野之宣・著 潮出版社・刊  

『宗像教授伝奇考』 星野之宣・著 潮出版社・刊  
幻想的な伝奇ロマンのジャンルは根強いファンを持つ。伝奇小説はもちろん伝奇映画など様々な手法で多くの作品が描かれているが、伝奇ロマンに関してはコミックスが非常に合っている。各地の伝承に由来する妖怪や、消滅した古代都市などは、漫画という表現を通すと想像力がおおいに膨らむ。 
 そうした特性もあってか、コロナ禍やロシア侵攻の閉塞感が世界を覆うようになってから、僕は伝奇ロマンのコミックスに浸る時間が多くなった。現実とは思えないパンデミックや戦争に向き合うのに疲れた時、現実離れした物語の世界に退避するのは良い救済となる。僕がこのジャンルでいちばん好きな作家は諸星大二郎で、この連載でも2年前に『オリオンラジオの夜』を紹介した。そして諸星の次に好きな作家が、今回取り上げる星野之宣である。
 1954年、帯広生まれ。1975年『はるかなる朝』で第9回手塚賞入選。『星を継ぐもの』で第44回星雲賞コミック部門、そして本作の姉妹編『宗像教授異考録』で第12回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞している。星野は愛知芸大で日本画を学んだこともあって、シャープな画風の中に日本的な情緒があるのが特徴だ。本作の主人公・宗像教授は山高帽に黒マントの英国風紳士として描かれるが、どこか和を感じさせる点が興味深い。教授は世界各地に伝わる神話・伝承の裏側に潜む歴史的真実を次々に解き明かしていく。
全7集に及ぶ『宗像教授伝奇考』シリーズの冒頭を飾るのは、羽衣伝説のエピソードだ。この伝説は三保松原をはじめ全国に遍在していて、能の演目になったり、日本人にとって非常に親しみのある題材である。しかし宗像は羽衣伝説は日本のみならず、世界中に分布していることに着目し推理を広げていく。するとその分布が、製鉄技術の伝播ルートに重なっていることを突き止めるのだった。
この説を荒唐無稽と言ってしまえばそれまでだが、宗像が自分の知識と見聞をもって裏付けていく様子は、まさに痛快。それは作者の星野の知識と見聞であり、星野が宗像を通して語ろうとしているのは、伝承や神話にはその土地の風土や歴史が深く関わっているということなのだ。
「羽衣に桜吹きこむ舞台哉 正岡子規」(季語:桜 春) 
「少女には見える羽衣風さやか 河野薫」(季語:さやか 秋) 
 子規の句は、春たけなわの能舞台を描いている。花屑の舞う中で演じられる「羽衣」は、およそ製鉄のイメージとはかけ離れていて、宗像教授の推論の意外さが際立つ。一方で「少女」の句は宗像の発想の自由さと通じていて、「天衣無縫」という言葉がぴったり。宗像は羽衣伝説の起源は“鉄の民族・ヒッタイト”まで遡るとする。紀元前二千年の昔、青銅器を上回る武器である鉄器を自在に操ったヒッタイトの伝承が、鉄とともに日本に伝わったというのだった。
 『宗像教授伝奇考』第6集には雪女のエピソードが登場する。東北の雪深い地には様々な雪女の伝承がある。宗像は若い頃からそうした物語を拾い集めて研究してきたゆえ、つい最近起こった雪女にまつわる事件に巻き込まれる。捜査のためにかつて雪女を見たという青森の男性に会いに行くと、彼はすでに認知症が進行していて、話を聞くたびに少しずつ内容が変わっていくのだった。そうした人間の記憶の改変にも宗像は伝承の成り立ちのヒントがあると考え、丁寧に接していく。
「瀬に下りて目玉を洗ふ雪女郎 秋元不死男」(季語:雪女郎 冬) 
「聖堂の固き扉に泣く雪をんな 佐野まもる」(季語:雪女 冬)
 「瀬に下りて」の句の雪女郎の姿は凄まじい。雪でダメージを受けた目を必死に洗う。視力を取り戻したら、この雪女郎は何をしようというのだろうか。「聖堂」の句は、人間と共存したくても叶わない雪をんなの悲哀を描いている。現われただけで怖がられ、息を吹きかけたら相手が死んでしまう彼女は、罪を償いたくても聖堂に入れないでいる。
 宗像教授の出会った事件は、雪女の伝承が途絶える寸前に起こった。半分はファンタジーで半分はホラーと捉えることのできるエピソードだ。自分の見た雪女を思い出したい気持ちと、思い出したくない気持ちの相克が核心にある。それは雪女の決め台詞「私を見たことを他人に言ったら、殺しに来るぞ」という言葉の意味深さでもある。
「ことに眉青きは近江の雪女郎 鴻司」
「雪女郎美しといふ見たきかな 大場白水郎」 
両句ともに「雪女郎」の伝承が途絶えてしまった後の時代の句と言えよう。雪女郎に対する恐ろしさは消え、一度は出会ってみたいものだという好奇心が勝っている。「ことに」の句は「眉」に注目したことでユーモラスな雪女像が生み出され、「雪女郎」の句はおおらかな詠みぶりで雪女郎の犯してきた罪を許している。
「凍死した人間は時として顔面の筋肉がひきつり、不気味な笑い顔になるという。そばにいる人にはそれは例えば死者の最期の瞬間に、何かが訪れたように見えるのかもしれん。何か甘美で恐ろしい存在が…」と宗像は独り言のように漏らす。宗像の伝承への優しい眼差しは、星野の信条そのものなのである。
「山風や雪女より北に棲み 馬崎千恵子」

             俳句結社誌『鴻』2022年10月号 
             連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載 

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店