HAIKU

2022.05.01
『死刑囚・大道寺将司と俳句』山岸明子・著 第23回山本健吉評論賞受賞

『死刑囚・大道寺将司と俳句』山岸明子・著 第23回山本健吉評論賞受賞

『鴻』同人の山岸明子氏が、第23回山本健吉評論賞を受賞されました。まことにおめでとうございます。選にあたられたのは『岳』編集長で現代俳句協会副会長の小林貴子氏と、日本伝統俳句協会常務理事の井上泰至氏で、両氏の真摯な選評と明子氏の『死刑囚・大道寺将司と俳句』全文は、俳誌『俳句界』3月号に掲載されている。
 評論の題材になった大道寺将司氏は、1974年8月に起こった「三菱重工爆破事件」の主犯格として逮捕起訴され、87年に死刑が確定。その後、病気のため、2017年に東京拘置所で死亡した。死刑が確定してからはずっと独房生活が続き、外界との接点は弁護士と母親との面会と文通のみであった。
手紙には過去の事件についての内面の記述が多くはなかったと明子氏は言う。「しかしやがて俳句を詠むようになると、過去の事件のことやその後の気持ち、悔悟と罪悪感について、心の内に滾る思いを表現するようになっていく」。たまたま刑務所にあった芭蕉の本などを読むうちに、狭い病床で死の間際まで俳句を作り続けた正岡子規に傾倒。おそらくは自分の境涯に重ねるようにして独学で作句を始めたのだった。
 
 まず明子氏が死刑囚の俳句という、ある意味、スキャンダラスなものを題材に選んだことに驚かされた。確かに将司氏の第3句集『棺一基』は詩人の辺見庸が絶賛したこともあって大きな話題になったが、将司氏が亡くなって以降、その存在と句は次第に忘れ去られようとしていた。そこに再度、光を当てようというのだから、明子氏の意欲は注目に価する。テーマ設定の意外さと、数多の資料を当たり尽くした粘り強さが受賞に繋がったのではないかと思われる。 
ある日、明子氏はふと目に留まった新聞のスクラップから将司氏に興味を抱き、精力的に資料を漁っていく。評論の基になるのはこうした下調べで、そうした地道な作業の中でこそ対象への思いは熟成されていく。 
俳人の境涯が俳句の価値を左右するわけではないことを百も承知で、明子氏は将司氏の事件に至った心情と行動を追う。その上で、将司氏の遺した俳句の分類を試みる。事件の被害者に対する「謝罪の句」、自分の人生に対する「悔恨の句」、自分の信念を社会に伝えきれなかったことへの「無念の句」などが、4冊の句集の中から丁寧に拾われていく。
謝罪の句としては、
「死者たちにいかにして詫ぶ赤とんぼ」(季語:赤とんぼ 秋)
「蟇鳴くや罪の記憶を新たにし」(季語:蟇 夏) 
無念の句としては
「時として思ひの滾る寒茜」(季語:寒茜 冬) 
「草萌ゆる峠にあがる狼火かな」(季語:草萌 春) が挙げられている。
興味深いのは身近な虫や植物に向けられた句だ。
「実存を賭して手を擦る冬の蠅」(季語:冬の蠅 冬) 
「向日葵の裁ち切られても俯かず」(季語:向日葵 ひまわり 夏) 
これらの句に関して明子氏は、将司氏が自分の思いを詠むようになると、それに見合った季語や景を記憶の中に探すようになったと述べている。俳句は普通、景やモノに触発されて詠まれるものだが、将司氏はその逆で、「始めに思いがあり、俳句を詠むことで現実にはない自然が眼前に現出する。身の周りに何もない大道寺は、俳句を詠むことで奪われた世界を一時的に取り戻すことができた」と鋭く指摘。たとえば「向日葵」の句には、同じ獄中句でも「そこにあるすすきが遠し檻の中 春樹」(季語:すすき 秋) とは似て非なる成り立ちがある。「そこにある」の句は、近い未来に出所することを前提として「奪われた自然」が詠まれている。だが「向日葵」や「冬の蠅」に未来は見えない。 
これらの絶望的な句群は、どうして生まれたのか。明子氏は将司氏と俳句の関係性について考察する。謝罪の気持ちや罪悪感は大きかったが、将司氏はそれを文章として書くことを潔しとしなかった。しかしながら俳句を作るうちに、「抑えること省くことで伝える抑制の文芸であることが心の内を詠むことを可能にしたのではないか」と推測。続けて「具体的に綿々と思いを語ることなく、内面に渦巻く罪悪感や様々な悔悟、無念さ、空虚感等を詠めることに気付き、自分が一番表明したいことを詠うようになっていったのだと思われる」と記す。もしかすると、これは将司氏のことであると同時に、明子氏自身の俳句観なのではないか。

評論は最終章に至って佳境に入る。章のタイトルは『彼の句が心を打つ理由』で、いよいよ明子氏の思いが語られる。明子氏はまず将司氏の若々しい正義感に共感する。また、達成されなかった夢を未だに持ち続けていることにも共感する。その共感は「世界の矛盾と哀しみを引き受け、そこから逃げ出さなかった大道寺は過激な行動に至ってしまった」と表現されている。さらに「大道寺は、この社会で生きていくために我々がどこかで捨ててきてしまった若き日の純粋さを持ち続け、それ故に大罪を犯し、課された重い荷を担いながら、自らの過去を朝な夕な反芻する生を生きたのである」とも。

題材も含めとても刺激的な内容で、読み物としても整っており、まさに受賞にふさわしい一篇だ。この力量を是非とも『鴻』誌で発揮していただきたい。失礼ながら、もしこの力作に提案があるとすれば、最後に引用した文中の「我々」を、「私」に置き換えてみたらどうだろうか。そのとき、初めて論者の責任と人物が浮かび上がるからである。
「厭はれしままにて消ゆる秋の蠅 将司」(季語:秋の蠅 秋)  

俳句結社誌『鴻』2022年4月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

ARCHIVES
search

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
PAGE TOP
2022.05.01
『死刑囚・大道寺将司と俳句』山岸明子・著 第23回山本健吉評論賞受賞

『死刑囚・大道寺将司と俳句』山岸明子・著 第23回山本健吉評論賞受賞

『鴻』同人の山岸明子氏が、第23回山本健吉評論賞を受賞されました。まことにおめでとうございます。選にあたられたのは『岳』編集長で現代俳句協会副会長の小林貴子氏と、日本伝統俳句協会常務理事の井上泰至氏で、両氏の真摯な選評と明子氏の『死刑囚・大道寺将司と俳句』全文は、俳誌『俳句界』3月号に掲載されている。
 評論の題材になった大道寺将司氏は、1974年8月に起こった「三菱重工爆破事件」の主犯格として逮捕起訴され、87年に死刑が確定。その後、病気のため、2017年に東京拘置所で死亡した。死刑が確定してからはずっと独房生活が続き、外界との接点は弁護士と母親との面会と文通のみであった。
手紙には過去の事件についての内面の記述が多くはなかったと明子氏は言う。「しかしやがて俳句を詠むようになると、過去の事件のことやその後の気持ち、悔悟と罪悪感について、心の内に滾る思いを表現するようになっていく」。たまたま刑務所にあった芭蕉の本などを読むうちに、狭い病床で死の間際まで俳句を作り続けた正岡子規に傾倒。おそらくは自分の境涯に重ねるようにして独学で作句を始めたのだった。
 
 まず明子氏が死刑囚の俳句という、ある意味、スキャンダラスなものを題材に選んだことに驚かされた。確かに将司氏の第3句集『棺一基』は詩人の辺見庸が絶賛したこともあって大きな話題になったが、将司氏が亡くなって以降、その存在と句は次第に忘れ去られようとしていた。そこに再度、光を当てようというのだから、明子氏の意欲は注目に価する。テーマ設定の意外さと、数多の資料を当たり尽くした粘り強さが受賞に繋がったのではないかと思われる。 
ある日、明子氏はふと目に留まった新聞のスクラップから将司氏に興味を抱き、精力的に資料を漁っていく。評論の基になるのはこうした下調べで、そうした地道な作業の中でこそ対象への思いは熟成されていく。 
俳人の境涯が俳句の価値を左右するわけではないことを百も承知で、明子氏は将司氏の事件に至った心情と行動を追う。その上で、将司氏の遺した俳句の分類を試みる。事件の被害者に対する「謝罪の句」、自分の人生に対する「悔恨の句」、自分の信念を社会に伝えきれなかったことへの「無念の句」などが、4冊の句集の中から丁寧に拾われていく。
謝罪の句としては、
「死者たちにいかにして詫ぶ赤とんぼ」(季語:赤とんぼ 秋)
「蟇鳴くや罪の記憶を新たにし」(季語:蟇 夏) 
無念の句としては
「時として思ひの滾る寒茜」(季語:寒茜 冬) 
「草萌ゆる峠にあがる狼火かな」(季語:草萌 春) が挙げられている。
興味深いのは身近な虫や植物に向けられた句だ。
「実存を賭して手を擦る冬の蠅」(季語:冬の蠅 冬) 
「向日葵の裁ち切られても俯かず」(季語:向日葵 ひまわり 夏) 
これらの句に関して明子氏は、将司氏が自分の思いを詠むようになると、それに見合った季語や景を記憶の中に探すようになったと述べている。俳句は普通、景やモノに触発されて詠まれるものだが、将司氏はその逆で、「始めに思いがあり、俳句を詠むことで現実にはない自然が眼前に現出する。身の周りに何もない大道寺は、俳句を詠むことで奪われた世界を一時的に取り戻すことができた」と鋭く指摘。たとえば「向日葵」の句には、同じ獄中句でも「そこにあるすすきが遠し檻の中 春樹」(季語:すすき 秋) とは似て非なる成り立ちがある。「そこにある」の句は、近い未来に出所することを前提として「奪われた自然」が詠まれている。だが「向日葵」や「冬の蠅」に未来は見えない。 
これらの絶望的な句群は、どうして生まれたのか。明子氏は将司氏と俳句の関係性について考察する。謝罪の気持ちや罪悪感は大きかったが、将司氏はそれを文章として書くことを潔しとしなかった。しかしながら俳句を作るうちに、「抑えること省くことで伝える抑制の文芸であることが心の内を詠むことを可能にしたのではないか」と推測。続けて「具体的に綿々と思いを語ることなく、内面に渦巻く罪悪感や様々な悔悟、無念さ、空虚感等を詠めることに気付き、自分が一番表明したいことを詠うようになっていったのだと思われる」と記す。もしかすると、これは将司氏のことであると同時に、明子氏自身の俳句観なのではないか。

評論は最終章に至って佳境に入る。章のタイトルは『彼の句が心を打つ理由』で、いよいよ明子氏の思いが語られる。明子氏はまず将司氏の若々しい正義感に共感する。また、達成されなかった夢を未だに持ち続けていることにも共感する。その共感は「世界の矛盾と哀しみを引き受け、そこから逃げ出さなかった大道寺は過激な行動に至ってしまった」と表現されている。さらに「大道寺は、この社会で生きていくために我々がどこかで捨ててきてしまった若き日の純粋さを持ち続け、それ故に大罪を犯し、課された重い荷を担いながら、自らの過去を朝な夕な反芻する生を生きたのである」とも。

題材も含めとても刺激的な内容で、読み物としても整っており、まさに受賞にふさわしい一篇だ。この力量を是非とも『鴻』誌で発揮していただきたい。失礼ながら、もしこの力作に提案があるとすれば、最後に引用した文中の「我々」を、「私」に置き換えてみたらどうだろうか。そのとき、初めて論者の責任と人物が浮かび上がるからである。
「厭はれしままにて消ゆる秋の蠅 将司」(季語:秋の蠅 秋)  

俳句結社誌『鴻』2022年4月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

ARCHIVES
search
弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店