HAIKU

2022.03.04
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』 今村翔吾・著  祥伝社文庫・刊 

『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』 今村翔吾・著  祥伝社文庫・刊 
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』は、この1月に『塞王の楯』(集英社)で第166回直木賞を受賞した今村翔吾のデビュー作にして出世作である。藩の困窮した財政事情から、ボロをまとうしかなかった江戸の弱小火消し“ぼろ鳶組”の活躍を描くこの小説は、今では十話を超える人気シリーズになっている。 
昨年末、僕は時代小説ファンのミュージシャンからこの小説を教えてもらい、「これは面白い!」と思って読んでいたら、今村氏の直木賞受賞のニュースが飛び込んできた。テレビで受賞の喜びを語る氏は人間味豊かな好漢で、ダンスのインストラクターをしていた時、生徒に「夢を諦めるな」と励ましたところ、「先生こそ諦めている」と生徒から逆に励まされて小説を書き始めたという。この印象的な受賞コメントを憶えている読者も多いのではないかと思う。
 『火喰鳥』はデビュー作だけあって、ネタの出し惜しみは一切なし。今村が子供の頃から夢中で読んできた数々の名作のエッセンスが、とめどなく溢れ出す。池波正太郎、藤沢周平らの彼方に、江戸時代の読本作家・滝沢馬琴までが見て取れる。かと思うと、ロン・ハワード監督の火災パニック映画『バックドラフト』を思わせるトリックが登場したりする。講談のようなテンポの良さに科学的知見を適度に織り込んで、時代小説に現代性を加えるのが今村流なのだろう。
 『塞王の楯』にしても、史実とテクノロジーを有機的に結びつける手腕が、ユニークなエンターテイメントを生んでいる。近江の国を舞台にして、絶対に破られない石垣を築く“穴太衆”と、どんな壁をも打ち壊す鉄砲を作る“国友衆”という、「矛盾」の語源になった「最強の盾」と「至高の矛」の対決を描く。そうした今村ならではの手法は、『童の神』(直木賞候補)、『八本目の槍』(吉川英治文学新人賞)、『じんかん』(山田風太郎賞)、『羽州ぼろ鳶組』シリーズ(吉川英治文庫賞)などで高い評価を得てきた。 
 さて『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』だが、時代小説の定石である季節の描写も豊富に盛り込まれている。「本日は小晦日、陽が昇れば大晦日である。こんな日にも火事は容赦なく起こる」などという一文がさらりと配されるあたり、俳人にはたまらないものがある。また「深雪(注:主人公・源吾の恋人)が去った後、一人酒を呑んだ。降りしきる雪はまだ止みそうにない。天を見上げると己が空に吸い込まれていきそうな錯覚を覚える」という部分には、俳句の種になりそうな情緒が確実に含まれている。一人酒の冴々とした味わいは、「酒のめばいとゞ寝られぬ夜の月 芭蕉」に通じている。
「あらぬ方に両国を見し花火かな 麦人」(季語:花火 夏)
「くりかへす花火あかりや屋根は江戸 敏雄」(季語:花火 夏)
 スランプに陥った源吾を励まそうと、深雪は散歩に連れ出す。先頭に立って東へ東へと歩く深雪に、源吾は「どこに行くのだろう?」と思いながらついていくと、空に花火が上がった。その日は隅田川の川開きだったのだ。火に恐怖を感じるようになった源吾に、深雪は“美しい火”を見せたかった。心底からの優しさに触れた源吾は、深雪を抱きしめてしゃがみ込む。空では花火の饗宴が続いている。そのシーンは「暮れて尚、漂う青葉の残り香が、二人を包み込む。夏の盛りはもうすぐそこまで来ていた」と描写されている。「あらぬ方に」の句は、花火によって自分の意外な現在地を発見する不思議。また「くりかへす」は、江戸から現代まで変わらぬ人々の営みを思い起こさせる。
「うぐひすや障子にうつる水の紋(あや) 永井荷風」(季語:うぐいす 春)
「鶯の身を逆(さかしま)にはつねかな 宝井其角」(季語:鶯 うぐいす 春)
源吾が放火犯の黒幕を追っているとき、老中の田沼意次が謎めいた言葉で黒幕の正体を明かそうとする。「田沼は哀しそうに微笑むと、視線を中庭へやった。鶯の鳴き声が聴こえてくる。その声が田沼の横顔に浮かぶ悲哀を際立たせているような気がした」。このシーンで鶯の果たす役割は、非常に俳句的だ。荷風の句の微妙な心の揺れと、其角の気取ったポーズを合わせると、今村の描きたかったものが見えてくる。
「命二ツの中に活たる桜かな 芭蕉」(季語:桜 春)
「明星や桜さだめぬ山かづら 其角」(季語:桜 春)
 スランプから脱し、復職への覚悟を決めた源吾に、深雪が真新しい火消し装束を差し出すシーンは、こうだ。「一陣の風が吹き抜け早咲きの桜から零れた花びらが舞った」。今村の歌舞伎のような状況描写には、芭蕉や其角などの江戸の俳諧がよく似合う。思わず大向うから声が掛かりそうな演出に、心踊らせて時代小説を読み漁っていた“少年・今村”の姿が眼に浮かぶ。
 最後に今村氏の“別の顔”も紹介しておきたい。大阪・箕面市の本屋「きのしたブックセンター」が経営の危機に瀕した際、氏は畑違いながら進んで店の運営を引き継いだ。自分を育ててくれた“町の本屋さん”の存在に恩返しをしようという心意気が素敵だ。このエピソードもまた江戸の人情を彷彿とさせて、氏のますますの活躍を祈りたくなった。
「並び打つ柏手天の高くなる 横井遥」(季語:天高し 秋)

俳句結社誌『鴻』2022年3月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

ARCHIVES
search

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
PAGE TOP
2022.03.04
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』 今村翔吾・著  祥伝社文庫・刊 

『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』 今村翔吾・著  祥伝社文庫・刊 
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』は、この1月に『塞王の楯』(集英社)で第166回直木賞を受賞した今村翔吾のデビュー作にして出世作である。藩の困窮した財政事情から、ボロをまとうしかなかった江戸の弱小火消し“ぼろ鳶組”の活躍を描くこの小説は、今では十話を超える人気シリーズになっている。 
昨年末、僕は時代小説ファンのミュージシャンからこの小説を教えてもらい、「これは面白い!」と思って読んでいたら、今村氏の直木賞受賞のニュースが飛び込んできた。テレビで受賞の喜びを語る氏は人間味豊かな好漢で、ダンスのインストラクターをしていた時、生徒に「夢を諦めるな」と励ましたところ、「先生こそ諦めている」と生徒から逆に励まされて小説を書き始めたという。この印象的な受賞コメントを憶えている読者も多いのではないかと思う。
 『火喰鳥』はデビュー作だけあって、ネタの出し惜しみは一切なし。今村が子供の頃から夢中で読んできた数々の名作のエッセンスが、とめどなく溢れ出す。池波正太郎、藤沢周平らの彼方に、江戸時代の読本作家・滝沢馬琴までが見て取れる。かと思うと、ロン・ハワード監督の火災パニック映画『バックドラフト』を思わせるトリックが登場したりする。講談のようなテンポの良さに科学的知見を適度に織り込んで、時代小説に現代性を加えるのが今村流なのだろう。
 『塞王の楯』にしても、史実とテクノロジーを有機的に結びつける手腕が、ユニークなエンターテイメントを生んでいる。近江の国を舞台にして、絶対に破られない石垣を築く“穴太衆”と、どんな壁をも打ち壊す鉄砲を作る“国友衆”という、「矛盾」の語源になった「最強の盾」と「至高の矛」の対決を描く。そうした今村ならではの手法は、『童の神』(直木賞候補)、『八本目の槍』(吉川英治文学新人賞)、『じんかん』(山田風太郎賞)、『羽州ぼろ鳶組』シリーズ(吉川英治文庫賞)などで高い評価を得てきた。 
 さて『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』だが、時代小説の定石である季節の描写も豊富に盛り込まれている。「本日は小晦日、陽が昇れば大晦日である。こんな日にも火事は容赦なく起こる」などという一文がさらりと配されるあたり、俳人にはたまらないものがある。また「深雪(注:主人公・源吾の恋人)が去った後、一人酒を呑んだ。降りしきる雪はまだ止みそうにない。天を見上げると己が空に吸い込まれていきそうな錯覚を覚える」という部分には、俳句の種になりそうな情緒が確実に含まれている。一人酒の冴々とした味わいは、「酒のめばいとゞ寝られぬ夜の月 芭蕉」に通じている。
「あらぬ方に両国を見し花火かな 麦人」(季語:花火 夏)
「くりかへす花火あかりや屋根は江戸 敏雄」(季語:花火 夏)
 スランプに陥った源吾を励まそうと、深雪は散歩に連れ出す。先頭に立って東へ東へと歩く深雪に、源吾は「どこに行くのだろう?」と思いながらついていくと、空に花火が上がった。その日は隅田川の川開きだったのだ。火に恐怖を感じるようになった源吾に、深雪は“美しい火”を見せたかった。心底からの優しさに触れた源吾は、深雪を抱きしめてしゃがみ込む。空では花火の饗宴が続いている。そのシーンは「暮れて尚、漂う青葉の残り香が、二人を包み込む。夏の盛りはもうすぐそこまで来ていた」と描写されている。「あらぬ方に」の句は、花火によって自分の意外な現在地を発見する不思議。また「くりかへす」は、江戸から現代まで変わらぬ人々の営みを思い起こさせる。
「うぐひすや障子にうつる水の紋(あや) 永井荷風」(季語:うぐいす 春)
「鶯の身を逆(さかしま)にはつねかな 宝井其角」(季語:鶯 うぐいす 春)
源吾が放火犯の黒幕を追っているとき、老中の田沼意次が謎めいた言葉で黒幕の正体を明かそうとする。「田沼は哀しそうに微笑むと、視線を中庭へやった。鶯の鳴き声が聴こえてくる。その声が田沼の横顔に浮かぶ悲哀を際立たせているような気がした」。このシーンで鶯の果たす役割は、非常に俳句的だ。荷風の句の微妙な心の揺れと、其角の気取ったポーズを合わせると、今村の描きたかったものが見えてくる。
「命二ツの中に活たる桜かな 芭蕉」(季語:桜 春)
「明星や桜さだめぬ山かづら 其角」(季語:桜 春)
 スランプから脱し、復職への覚悟を決めた源吾に、深雪が真新しい火消し装束を差し出すシーンは、こうだ。「一陣の風が吹き抜け早咲きの桜から零れた花びらが舞った」。今村の歌舞伎のような状況描写には、芭蕉や其角などの江戸の俳諧がよく似合う。思わず大向うから声が掛かりそうな演出に、心踊らせて時代小説を読み漁っていた“少年・今村”の姿が眼に浮かぶ。
 最後に今村氏の“別の顔”も紹介しておきたい。大阪・箕面市の本屋「きのしたブックセンター」が経営の危機に瀕した際、氏は畑違いながら進んで店の運営を引き継いだ。自分を育ててくれた“町の本屋さん”の存在に恩返しをしようという心意気が素敵だ。このエピソードもまた江戸の人情を彷彿とさせて、氏のますますの活躍を祈りたくなった。
「並び打つ柏手天の高くなる 横井遥」(季語:天高し 秋)

俳句結社誌『鴻』2022年3月号 
連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

ARCHIVES
search
弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店