HAIKU

2021.09.05
『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』 泰三子・著 講談社・刊 

【ON THE STREET 2021/9月】  for HP      
『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』 泰三子・著 講談社・刊 
サブタイトルに「交番女子の逆襲」とあるように、女性警官の活躍を描く人気コミックスである。先ごろテレビドラマ化され話題になっているので、ご存知の方も多いだろう。美人で優秀な藤聖子(テレビドラマでは戸田恵梨香の役)と、新米でドジな川合麻依(同・永野芽郁)の交番勤務(ハコヅメ)女子コンビが、周辺で起こる犯罪と向かい合っていく。犯罪といっても、銀行強盗やテロなどの派手なものではなく、空き巣や交通違反など地域の暮らしの中で起こる些細な事案ばかり。しかし著者は、住民に密接に関わる犯罪だからこそ顕われる警官たちの真摯な思いを、ユニークな視点から描く。 
著者の泰三子(やす みこ)は実際に警察官として働いていたことがあり、その経験からこれまでにないリアルな警察漫画が生まれた。どこがユニークかと言えば、主人公が女性、しかも女性刑事や女性検察官ではなく、交番女子だということだ。犯罪も交番の仕事も女性目線で語られることによって、これまでとは少し異なる様相を呈する。
たとえば性犯罪被害の聞き取りは、男性警官よりも女性同士の方が被害者が話しやすいのは当然のことなのだが、女性同士だからこそ考えなければいけないケースがあったりする。特に川合は経験が浅いのでそうした思い込みが強く、かえって被害者が心を閉ざしてしまうという状況に陥る。それでも川合は何度も被害者宅に足を運び、次の犯罪が起こらないように管轄区内のパトロールを続けた。要領の悪い川合だが、彼女の誠意が被害者に伝わり、上司の藤の手助けもあってついには危機を切り抜けることができたのだった。これまでのスーパーヒーロー的警察漫画とは真逆の、地味な交番女子の仕事ぶりに心が動かされる。また各所に配されるギャグが滅法面白く、楽しく読めるのが嬉しい。 
 興味深かったのは「似顔絵捜査」のエピソードだった。近所の女子高生が痴漢被害に遭い、目撃者の男子高校生から犯人の特徴を聴取して似顔絵を作成することになった。藤は川合に描くよう指示する。川合は絵が下手で、つい先日も交番所長の拙い似顔絵を広報誌に描いて、署内の失笑を買ったばかりだった。しかし誰もがその絵が交番所長を描いたものだとわかる見事な(?)仕上がりだった。
「絵の上手な人はうまくまとめたがる」と藤。事件解決に繋がるには、犯人の特徴をどれだけ捉えているかが鍵となる。実際、「上手な似顔絵」は捜査にあまり役立たないらしい。僕も交番に貼ってある手配書を何度か見かけたことがあるが、描き込みが細かすぎて犯人像がよくわからない絵が多かった覚えがある。
川合は早速、目撃者から聴取を始める。テレビドラマでの聴取場面はこんな具合だ。川合「眉はどんな?」、目撃者「・・・」、川合「海苔みたい? それとも毛虫?」、目撃者「毛虫」、川合「髪の毛は?」、目撃者「縮れ麺」、川合「顔の輪郭は?」、目撃者「茄子」、川合「長茄子? 米茄子?」、目撃者「長茄子」、川合「鼻は?」、目撃者「お正月に来るヤツ」、川合「お正月? あ、わかった」、二人「獅子舞!」。そんな珍妙なやり取りを経て似顔絵は完成。「こんなんで犯人つかまるのかよ??」という半信半疑の捜査員の揶揄を尻目に、川合の描いたギャグ漫画のような似顔絵により犯人は逮捕されたのだった。
「翅(はね)わつててんたう虫の飛びいづる 高野素十」(季語:てんとう虫 夏)
「話してゐる八割が嘘アロハシャツ 北大路翼」(季語:アロハシャツ 夏)
どちらもモノの特徴をよく捉えた句だ。「翅わつて」は素十の代表句のひとつ。てんとう虫の翅は二重になっていて、外側の硬い翅を割ってから柔らかい“後ろ羽”を出して羽ばたく。その複雑な動作を十七音で詠んでしまう素十の描写力には驚かされる。てんとう虫が飛び立つ瞬間を見たことのある人なら、「そうそう」とこの句を読んで納得するだろう。ここまで簡略化した筆致は、もはや漫画というしかない。大胆な省略は、うまくまとめた写実より、モノの本質に近づくのかもしれない。 
省略の効いた「翅わつて」に対して、「話してゐる」の句にはデフォルメの面白さがある。怪しげなアロハ男はいかにも嘘をつきそうだ。盛り場で人探しをする時、この句のような似顔絵があればすぐに見つかることだろう。川合の似顔絵は、どちらかと言えばこの「アロハシャツ」の句に似ている。相手に伝えるために何を省略し、何を強調するのかは、そこそこ上手く描写することよりずっと大切なのだ。川合の活躍を見た副所長は「正式に似顔絵捜査官の講習を受けろ」と勧めるが、そういう問題ではない。下手でも、川合の被害者救済の思いを込めた絵が、事件を解決に導いたのだ。
「リアル過ぎて危ない警察コメディ漫画」という『ハコヅメ』のキャッチフレーズに偽りはない。男性目線の交番漫画の極に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』があるとすれば、『ハコヅメ』は女性目線の交番漫画の傑作だ。そして川合巡査も両津勘吉巡査も、ちょっとドジだが、市民生活の安全を最優先する心優しいお巡りさんなのだった。
「一家して象を見てゐる子供の日 田辺満穂」(季語:子供の日 夏)

                 俳句結社誌『鴻』2021年9月号 
          連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』 泰三子・著 講談社・刊 

【ON THE STREET 2021/9月】  for HP      
『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』 泰三子・著 講談社・刊 
サブタイトルに「交番女子の逆襲」とあるように、女性警官の活躍を描く人気コミックスである。先ごろテレビドラマ化され話題になっているので、ご存知の方も多いだろう。美人で優秀な藤聖子(テレビドラマでは戸田恵梨香の役)と、新米でドジな川合麻依(同・永野芽郁)の交番勤務(ハコヅメ)女子コンビが、周辺で起こる犯罪と向かい合っていく。犯罪といっても、銀行強盗やテロなどの派手なものではなく、空き巣や交通違反など地域の暮らしの中で起こる些細な事案ばかり。しかし著者は、住民に密接に関わる犯罪だからこそ顕われる警官たちの真摯な思いを、ユニークな視点から描く。 
著者の泰三子(やす みこ)は実際に警察官として働いていたことがあり、その経験からこれまでにないリアルな警察漫画が生まれた。どこがユニークかと言えば、主人公が女性、しかも女性刑事や女性検察官ではなく、交番女子だということだ。犯罪も交番の仕事も女性目線で語られることによって、これまでとは少し異なる様相を呈する。
たとえば性犯罪被害の聞き取りは、男性警官よりも女性同士の方が被害者が話しやすいのは当然のことなのだが、女性同士だからこそ考えなければいけないケースがあったりする。特に川合は経験が浅いのでそうした思い込みが強く、かえって被害者が心を閉ざしてしまうという状況に陥る。それでも川合は何度も被害者宅に足を運び、次の犯罪が起こらないように管轄区内のパトロールを続けた。要領の悪い川合だが、彼女の誠意が被害者に伝わり、上司の藤の手助けもあってついには危機を切り抜けることができたのだった。これまでのスーパーヒーロー的警察漫画とは真逆の、地味な交番女子の仕事ぶりに心が動かされる。また各所に配されるギャグが滅法面白く、楽しく読めるのが嬉しい。 
 興味深かったのは「似顔絵捜査」のエピソードだった。近所の女子高生が痴漢被害に遭い、目撃者の男子高校生から犯人の特徴を聴取して似顔絵を作成することになった。藤は川合に描くよう指示する。川合は絵が下手で、つい先日も交番所長の拙い似顔絵を広報誌に描いて、署内の失笑を買ったばかりだった。しかし誰もがその絵が交番所長を描いたものだとわかる見事な(?)仕上がりだった。
「絵の上手な人はうまくまとめたがる」と藤。事件解決に繋がるには、犯人の特徴をどれだけ捉えているかが鍵となる。実際、「上手な似顔絵」は捜査にあまり役立たないらしい。僕も交番に貼ってある手配書を何度か見かけたことがあるが、描き込みが細かすぎて犯人像がよくわからない絵が多かった覚えがある。
川合は早速、目撃者から聴取を始める。テレビドラマでの聴取場面はこんな具合だ。川合「眉はどんな?」、目撃者「・・・」、川合「海苔みたい? それとも毛虫?」、目撃者「毛虫」、川合「髪の毛は?」、目撃者「縮れ麺」、川合「顔の輪郭は?」、目撃者「茄子」、川合「長茄子? 米茄子?」、目撃者「長茄子」、川合「鼻は?」、目撃者「お正月に来るヤツ」、川合「お正月? あ、わかった」、二人「獅子舞!」。そんな珍妙なやり取りを経て似顔絵は完成。「こんなんで犯人つかまるのかよ??」という半信半疑の捜査員の揶揄を尻目に、川合の描いたギャグ漫画のような似顔絵により犯人は逮捕されたのだった。
「翅(はね)わつててんたう虫の飛びいづる 高野素十」(季語:てんとう虫 夏)
「話してゐる八割が嘘アロハシャツ 北大路翼」(季語:アロハシャツ 夏)
どちらもモノの特徴をよく捉えた句だ。「翅わつて」は素十の代表句のひとつ。てんとう虫の翅は二重になっていて、外側の硬い翅を割ってから柔らかい“後ろ羽”を出して羽ばたく。その複雑な動作を十七音で詠んでしまう素十の描写力には驚かされる。てんとう虫が飛び立つ瞬間を見たことのある人なら、「そうそう」とこの句を読んで納得するだろう。ここまで簡略化した筆致は、もはや漫画というしかない。大胆な省略は、うまくまとめた写実より、モノの本質に近づくのかもしれない。 
省略の効いた「翅わつて」に対して、「話してゐる」の句にはデフォルメの面白さがある。怪しげなアロハ男はいかにも嘘をつきそうだ。盛り場で人探しをする時、この句のような似顔絵があればすぐに見つかることだろう。川合の似顔絵は、どちらかと言えばこの「アロハシャツ」の句に似ている。相手に伝えるために何を省略し、何を強調するのかは、そこそこ上手く描写することよりずっと大切なのだ。川合の活躍を見た副所長は「正式に似顔絵捜査官の講習を受けろ」と勧めるが、そういう問題ではない。下手でも、川合の被害者救済の思いを込めた絵が、事件を解決に導いたのだ。
「リアル過ぎて危ない警察コメディ漫画」という『ハコヅメ』のキャッチフレーズに偽りはない。男性目線の交番漫画の極に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』があるとすれば、『ハコヅメ』は女性目線の交番漫画の傑作だ。そして川合巡査も両津勘吉巡査も、ちょっとドジだが、市民生活の安全を最優先する心優しいお巡りさんなのだった。
「一家して象を見てゐる子供の日 田辺満穂」(季語:子供の日 夏)

                 俳句結社誌『鴻』2021年9月号 
          連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店