MUSIC

2021.03.09
アルバム『HELP EVER HURT NEVER』 歌・藤井風 発売・ユニバーサル

アルバム『HELP EVER HURT NEVER』 歌・藤井風 発売・ユニバーサル 
 緊急事態宣言が再延長になり、自粛の日々が続くが、今回は久々に出会った天才シンガーソングライターを紹介しようと思う。藤井風(かぜ)は、それこそ老若男女の誰もが楽しめるオールラウンドな才能で、制約の何かと多い今、暮しに潤いを与えてくれる。
昨年来のコロナ禍の影響で、世の中が大きく様変わりしている。俳句界では通常の対面句会ができなくなって、はや一年。ネットを使った代替句会を行なっている結社もあるが、吟行など多くの俳句の楽しみが失われてしまった。僕の属する音楽業界も例に漏れず、通常のライブやコンサート・ツアーが開催できなくなってしまった。アーティスト自身はもちろん、僕も含めた関係者はずっと不安な日々を送っている。音楽のみならず演劇やスポーツ界も同様で、日本政府の文化産業への対応の貧しさが露呈した格好だ。
 その一方で、面白い変化も起こっている。ライブに行けなくなった音楽ファンだけでなく、多くの一般の人々がステイホームでサブスク(聴き放題の音楽サービス)を楽しむようになり、そこからヒット曲が生まれるようになったのだ。CDの売上チャートやライブハウスでの活躍とは無関係なアーティストが、突然サブスクで人気になる事例もしばしば起こっている。例えば昨年の紅白歌合戦に出た瑛人やYOASOBI(ヨアソビ)を見て「この人、誰?」と思った方も多いだろう。彼らはサブスクやユーチューブの人気者で、再生回数が億の単位を越えている。そして今回、紹介する藤井風は、そうした新人の中でも実力抜群のアーティストだ。

♪今何を見ていた あなたの夢を見た 優しさに殺(や)られた あの人の木陰で♪。
藤井の代表曲「優しさ」は、こう始まる。“木陰”という言葉にドキリとする。この歌は人と人との関係を繊細に描いていて、途中でこうも歌われる。♪優しさに触れるたび わたしは恥ずかしい♪。真っ直ぐな告白が眩しい。
藤井は一昨年、CD「何なんw」でメジャーデビューし、弾き語りでライブ活動をしていた。それが昨年、サブスクが追い風となって急速にファンが増え、五月に出したファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』がチャート1位を獲得。夏を越しても勢いは衰えず、十月には初の武道館公演を成功させた。 
藤井はコロナやサブスクが無くても、間違いなく世に出たと思う。それはさきほど紹介した歌詞の純粋さに加えて、メロディの美しさ、歌声の良さ、ピアノの上手さがあるからだ。そして何より、彼の携えているメッセージが素晴らしい。アルバムタイトルの意味は「常に助け、決して傷つけない」で、本人曰く「うちのおとんが大切にしとる言葉」だそうだ。この時代に必要不可欠なマインドが、簡潔に込められている。

「露寒や凛々しきことは美しき 富安風生」(季語:露寒 秋)
 なんの外連もないこの句の佳さは、藤井の音楽に臨む姿勢に通じている。 
 藤井の歌詞の特徴は、方言をうまく遣っていることだ。彼は岡山県浅口郡里庄町の出身で、上京するまでそこで暮らしていた。本人に言わせれば「大人と子供の仲がいい町で、自分のすべてがそこにある」。デビュー曲「何なんw」は次のように歌う。
♪それは何なん 先がけてワシは言うたが それならば何なん 何で何も聞いてくれんかったん その顔は何なんw 花咲く町の角 誓った♪
 岡山弁がファンキーなリズムにマッチして、切ないまでの説得力を生む。何度も同じ間違いを繰り返す友だちを心配してアドバイスしても、逆ギレされてしまう情けなさを、その友だちと交わす会話そのままに描く。方言をリズムに乗せてリアリティを引き出す。これまでいそうでいなかったタイプのアーティストだ。彼の方言遣いは、今を生きることに敏感でなくてはならない俳人にとっても、示唆に富んでいる。この若々しい煩悶は、「一生の楽しきころのソーダ水 風生」(季語:ソーダ水 夏)の句を思い起こさせる。 

 藤井の歌でもっとも注目したいのは、その死生観だろう。
♪ああ全て与えて帰ろう~憎み合いの果てに何が生まれるの わたし わたしが先に忘れよう♪(「帰ろう」より)
 呼ばれれば、どこでも歌った時期があったという。中には老人介護施設もあり、その経験から藤井は“死”を「どこかに帰ること」と捉えるようになった。二十三歳にしては老成した考え方とも思うが、スケールの大きなメロディの中でこれらの言葉を聴くと、すんなり納得できるのが不思議だ。
藤井には他にも不思議なギャップがいくつもある。長身でハンサムでいながら、泥臭い岡山弁で歌詞を書く。歌やピアノのテクニックは申し分なく、洗練されたアレンジのセンスを持つ天才肌なのに、シンプルで分かりやすいメロディを作る。海外のファンに向けて英語でスピーチができるのに、言っていることにはアジア的な礼節を感じる。つまり藤井は、容姿や才能に恵まれていながら、傲慢にならず、人の心の痛みをよく知っているのだ。

藤井は今、テレビ朝日系ドラマ『にじいろカルテ』の主題歌「旅路」を歌っている。NHKは、去年の紅白に藤井を出演させられなかったことを、間もなく後悔するに違いない。颯爽と登場した将来の国民的歌手が、辛い日々を少しでも明るくしてくれることを期待したい。
「死ぬまでは生きねばならぬ手毬手に 風生」(季語:手毬 新年) 

          俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
                   2021年3月号より加筆・転載

ARCHIVES
search

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
PAGE TOP
2021.03.09
アルバム『HELP EVER HURT NEVER』 歌・藤井風 発売・ユニバーサル

アルバム『HELP EVER HURT NEVER』 歌・藤井風 発売・ユニバーサル 
 緊急事態宣言が再延長になり、自粛の日々が続くが、今回は久々に出会った天才シンガーソングライターを紹介しようと思う。藤井風(かぜ)は、それこそ老若男女の誰もが楽しめるオールラウンドな才能で、制約の何かと多い今、暮しに潤いを与えてくれる。
昨年来のコロナ禍の影響で、世の中が大きく様変わりしている。俳句界では通常の対面句会ができなくなって、はや一年。ネットを使った代替句会を行なっている結社もあるが、吟行など多くの俳句の楽しみが失われてしまった。僕の属する音楽業界も例に漏れず、通常のライブやコンサート・ツアーが開催できなくなってしまった。アーティスト自身はもちろん、僕も含めた関係者はずっと不安な日々を送っている。音楽のみならず演劇やスポーツ界も同様で、日本政府の文化産業への対応の貧しさが露呈した格好だ。
 その一方で、面白い変化も起こっている。ライブに行けなくなった音楽ファンだけでなく、多くの一般の人々がステイホームでサブスク(聴き放題の音楽サービス)を楽しむようになり、そこからヒット曲が生まれるようになったのだ。CDの売上チャートやライブハウスでの活躍とは無関係なアーティストが、突然サブスクで人気になる事例もしばしば起こっている。例えば昨年の紅白歌合戦に出た瑛人やYOASOBI(ヨアソビ)を見て「この人、誰?」と思った方も多いだろう。彼らはサブスクやユーチューブの人気者で、再生回数が億の単位を越えている。そして今回、紹介する藤井風は、そうした新人の中でも実力抜群のアーティストだ。

♪今何を見ていた あなたの夢を見た 優しさに殺(や)られた あの人の木陰で♪。
藤井の代表曲「優しさ」は、こう始まる。“木陰”という言葉にドキリとする。この歌は人と人との関係を繊細に描いていて、途中でこうも歌われる。♪優しさに触れるたび わたしは恥ずかしい♪。真っ直ぐな告白が眩しい。
藤井は一昨年、CD「何なんw」でメジャーデビューし、弾き語りでライブ活動をしていた。それが昨年、サブスクが追い風となって急速にファンが増え、五月に出したファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』がチャート1位を獲得。夏を越しても勢いは衰えず、十月には初の武道館公演を成功させた。 
藤井はコロナやサブスクが無くても、間違いなく世に出たと思う。それはさきほど紹介した歌詞の純粋さに加えて、メロディの美しさ、歌声の良さ、ピアノの上手さがあるからだ。そして何より、彼の携えているメッセージが素晴らしい。アルバムタイトルの意味は「常に助け、決して傷つけない」で、本人曰く「うちのおとんが大切にしとる言葉」だそうだ。この時代に必要不可欠なマインドが、簡潔に込められている。

「露寒や凛々しきことは美しき 富安風生」(季語:露寒 秋)
 なんの外連もないこの句の佳さは、藤井の音楽に臨む姿勢に通じている。 
 藤井の歌詞の特徴は、方言をうまく遣っていることだ。彼は岡山県浅口郡里庄町の出身で、上京するまでそこで暮らしていた。本人に言わせれば「大人と子供の仲がいい町で、自分のすべてがそこにある」。デビュー曲「何なんw」は次のように歌う。
♪それは何なん 先がけてワシは言うたが それならば何なん 何で何も聞いてくれんかったん その顔は何なんw 花咲く町の角 誓った♪
 岡山弁がファンキーなリズムにマッチして、切ないまでの説得力を生む。何度も同じ間違いを繰り返す友だちを心配してアドバイスしても、逆ギレされてしまう情けなさを、その友だちと交わす会話そのままに描く。方言をリズムに乗せてリアリティを引き出す。これまでいそうでいなかったタイプのアーティストだ。彼の方言遣いは、今を生きることに敏感でなくてはならない俳人にとっても、示唆に富んでいる。この若々しい煩悶は、「一生の楽しきころのソーダ水 風生」(季語:ソーダ水 夏)の句を思い起こさせる。 

 藤井の歌でもっとも注目したいのは、その死生観だろう。
♪ああ全て与えて帰ろう~憎み合いの果てに何が生まれるの わたし わたしが先に忘れよう♪(「帰ろう」より)
 呼ばれれば、どこでも歌った時期があったという。中には老人介護施設もあり、その経験から藤井は“死”を「どこかに帰ること」と捉えるようになった。二十三歳にしては老成した考え方とも思うが、スケールの大きなメロディの中でこれらの言葉を聴くと、すんなり納得できるのが不思議だ。
藤井には他にも不思議なギャップがいくつもある。長身でハンサムでいながら、泥臭い岡山弁で歌詞を書く。歌やピアノのテクニックは申し分なく、洗練されたアレンジのセンスを持つ天才肌なのに、シンプルで分かりやすいメロディを作る。海外のファンに向けて英語でスピーチができるのに、言っていることにはアジア的な礼節を感じる。つまり藤井は、容姿や才能に恵まれていながら、傲慢にならず、人の心の痛みをよく知っているのだ。

藤井は今、テレビ朝日系ドラマ『にじいろカルテ』の主題歌「旅路」を歌っている。NHKは、去年の紅白に藤井を出演させられなかったことを、間もなく後悔するに違いない。颯爽と登場した将来の国民的歌手が、辛い日々を少しでも明るくしてくれることを期待したい。
「死ぬまでは生きねばならぬ手毬手に 風生」(季語:手毬 新年) 

          俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
                   2021年3月号より加筆・転載

ARCHIVES
search
弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店