MUSIC

2021.05.01
『使ってはいけない言葉』 忌野清志郎・著 百万年書房・刊 

『使ってはいけない言葉』 忌野清志郎・著 百万年書房・刊 
 『使ってはいけない言葉』は、故・忌野清志郎の遺した言葉を集めた一冊だ。余計な解説は一切無し。シンプルな作りなので、清志郎さんの考えがストレートに伝わってくる。去年の5月、一回目の緊急事態が宣言され、不安を抱えていた多くの人々を励ますようなタイミングで刊行されたこの本は、一年経った今も読まれ続けている。RCサクセションのデビュー50周年を記念して出版されたもので、収録された清志郎さんのさまざまなインタビューでの発言には、不安だらけの今だからこそ響くものがある。
 清志郎さんはロックバンド“RCサクセション”を率いて活躍し、「雨上がりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」などの名曲を次々に発表。リズム&ブルースを基調にした音楽とユニークな歌詞は、80年代以降の日本のサブカルチャーに大きな影響を与えた。
「ぼくが作ったほとんどの曲は、笑いながら作ったか、泣きながら作ったか、そのどっちかなんですよね。怒りながら作った曲というのはない」。
 清志郎さんの作った歌には、聴く者の心を揺り動かす力がある。その原動力となっているのは、彼自身の楽しさや悲しみの感情だ。ラブソングの代表作「スローバラード」には、恋に落ちた二人が駐車場で一夜を過ごすロマンティックなシーンが描かれている。若くて貧しいカップルに寄り添ってくれたのは、カーラジオから流れてくるスローバラードだった。この名曲の歌詞には♫ぼくら夢を見たのさ♫という有名なフレーズがある。そのあたりをインタビュアーに問われた清志郎さんは、こう答える。
「夢さえ持てない人はどうするかって? うーん、ザマーミロ(笑)」。

 自由な創作活動を貫いた清志郎さんの歌は、時に放送禁止の指定を受けた。その極みは、反戦と反原発の姿勢を鮮明にしたアルバム『COVERS』(88年)だった。「戦争は嫌だ」「原発は本当に安全か」という素朴なメッセージだったのにも関わらず、一時は発売中止に。その後、レコード会社を変えてリリースされ、チャート一位を獲得するのだが、このアルバムの制作中に運命的な出来事があった。清志郎さんが幼い頃に亡くなった母の遺品が見つかったのだ。
「(先夫を太平洋戦争で失った)母親の俳句や手紙を読んで、素直に戦争はよくないと思いました。形見を受け取ったとき(中略)、改めて『反戦歌を歌おう』って思いましたね」と当時の気持ちを語っている。
「反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目に見えててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった」。この反骨精神こそが清志郎さんの証だ。そしてそれがこの本のテーマ“使ってはいけない言葉”につながっていく。
「人々からトゲみたいなのを全部取っていこうとしてるよね。使っちゃいけない言葉とかも、どんどん増えてるしさ。結局、日本語が減っているような状況じゃないですか。未来を見すえた時に、それはなんとかしないとまずいと思うんですよ」。
この「日本語が減っている」という清志郎さんの実感は、大事にしたいと思う。なぜなら、「不要不急」や「自粛」などの名目の元に、多くの表現活動が苦闘を強いられているからだ。俳句で言えば句会や吟行が自主規制され、多くの楽しみが奪われている。こういう時にこそ、自由に言葉を使って句作をすることが大切なのだ。
「コンタクトレンズみづいろ朝の蟬 津川絵理子」(季語:蟬 夏)  
「コスモスにピント移せば母消ゆる 今井聖」(季語:コスモス 秋) 
「食堂のトレーつめたい傷のある 福田若之」(季語:冷たし 冬)
「コンタクトレンズ」、「ピント」、「食堂のトレー」など、俳句ではあまり見かけないカタカナを使って句を作る。こうした自由な創作は、読む者に勇気を与える。 
「『他人がまだ何を歌っていないか』を探してほしい。まだまだ『歌われていないこと』は山ほどあるはずだ」と清志郎さんは語る。俳句らしい言葉や、俳句っぽい情緒から離れることで、今、人々に課せられている“自粛”を少しでも風通しの良いものに変えられるなら、挑戦してみるべきだろう。

「秘湯から来たと言ひ張る毛皮商 西原天気」(季語:毛皮 冬)
「先生は西瓜を割ったような人 岡野泰輔」(季語:西瓜 秋) 
「極月や父を送るに見積書 太田うさぎ」(季語:極月=十二月 冬) 
 時節柄、こうした愉快な句に触れると嬉しくなる。一句目「秘湯から」は一読、胸のつかえが下りて気持ちが軽くなる。季語「毛皮」のこんな使い方は他に見たことがない。また「言ひ張る」の描写が実にいい。二句目は常套句「竹を割った」のバリエーションで、先生の人柄がよく伝わってくる。三句目は少々不謹慎ながら、あっけらかんとした葬のひとコマになっている。 

ちなみに清志郎さんは、誰かが飛び降り自殺をしようとしている現場に臨んでどう声を掛けるかと訊かれて、「気を付けろよー!(笑)」と答えている。つまりは、“使ってはいけない言葉”など無いのだ。同時に、詠んではいけないシチュエーションも無い。やたらと制限の多い今、そのことを改めて心に刻んで句作に励みたいと思うのだった。
「三椏の花の自粛のやうな白 水沢和世」(季語:三椏=みつまたの花 春)

  俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
2021年5月号より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2021.05.01
『使ってはいけない言葉』 忌野清志郎・著 百万年書房・刊 

『使ってはいけない言葉』 忌野清志郎・著 百万年書房・刊 
 『使ってはいけない言葉』は、故・忌野清志郎の遺した言葉を集めた一冊だ。余計な解説は一切無し。シンプルな作りなので、清志郎さんの考えがストレートに伝わってくる。去年の5月、一回目の緊急事態が宣言され、不安を抱えていた多くの人々を励ますようなタイミングで刊行されたこの本は、一年経った今も読まれ続けている。RCサクセションのデビュー50周年を記念して出版されたもので、収録された清志郎さんのさまざまなインタビューでの発言には、不安だらけの今だからこそ響くものがある。
 清志郎さんはロックバンド“RCサクセション”を率いて活躍し、「雨上がりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」などの名曲を次々に発表。リズム&ブルースを基調にした音楽とユニークな歌詞は、80年代以降の日本のサブカルチャーに大きな影響を与えた。
「ぼくが作ったほとんどの曲は、笑いながら作ったか、泣きながら作ったか、そのどっちかなんですよね。怒りながら作った曲というのはない」。
 清志郎さんの作った歌には、聴く者の心を揺り動かす力がある。その原動力となっているのは、彼自身の楽しさや悲しみの感情だ。ラブソングの代表作「スローバラード」には、恋に落ちた二人が駐車場で一夜を過ごすロマンティックなシーンが描かれている。若くて貧しいカップルに寄り添ってくれたのは、カーラジオから流れてくるスローバラードだった。この名曲の歌詞には♫ぼくら夢を見たのさ♫という有名なフレーズがある。そのあたりをインタビュアーに問われた清志郎さんは、こう答える。
「夢さえ持てない人はどうするかって? うーん、ザマーミロ(笑)」。

 自由な創作活動を貫いた清志郎さんの歌は、時に放送禁止の指定を受けた。その極みは、反戦と反原発の姿勢を鮮明にしたアルバム『COVERS』(88年)だった。「戦争は嫌だ」「原発は本当に安全か」という素朴なメッセージだったのにも関わらず、一時は発売中止に。その後、レコード会社を変えてリリースされ、チャート一位を獲得するのだが、このアルバムの制作中に運命的な出来事があった。清志郎さんが幼い頃に亡くなった母の遺品が見つかったのだ。
「(先夫を太平洋戦争で失った)母親の俳句や手紙を読んで、素直に戦争はよくないと思いました。形見を受け取ったとき(中略)、改めて『反戦歌を歌おう』って思いましたね」と当時の気持ちを語っている。
「反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目に見えててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった」。この反骨精神こそが清志郎さんの証だ。そしてそれがこの本のテーマ“使ってはいけない言葉”につながっていく。
「人々からトゲみたいなのを全部取っていこうとしてるよね。使っちゃいけない言葉とかも、どんどん増えてるしさ。結局、日本語が減っているような状況じゃないですか。未来を見すえた時に、それはなんとかしないとまずいと思うんですよ」。
この「日本語が減っている」という清志郎さんの実感は、大事にしたいと思う。なぜなら、「不要不急」や「自粛」などの名目の元に、多くの表現活動が苦闘を強いられているからだ。俳句で言えば句会や吟行が自主規制され、多くの楽しみが奪われている。こういう時にこそ、自由に言葉を使って句作をすることが大切なのだ。
「コンタクトレンズみづいろ朝の蟬 津川絵理子」(季語:蟬 夏)  
「コスモスにピント移せば母消ゆる 今井聖」(季語:コスモス 秋) 
「食堂のトレーつめたい傷のある 福田若之」(季語:冷たし 冬)
「コンタクトレンズ」、「ピント」、「食堂のトレー」など、俳句ではあまり見かけないカタカナを使って句を作る。こうした自由な創作は、読む者に勇気を与える。 
「『他人がまだ何を歌っていないか』を探してほしい。まだまだ『歌われていないこと』は山ほどあるはずだ」と清志郎さんは語る。俳句らしい言葉や、俳句っぽい情緒から離れることで、今、人々に課せられている“自粛”を少しでも風通しの良いものに変えられるなら、挑戦してみるべきだろう。

「秘湯から来たと言ひ張る毛皮商 西原天気」(季語:毛皮 冬)
「先生は西瓜を割ったような人 岡野泰輔」(季語:西瓜 秋) 
「極月や父を送るに見積書 太田うさぎ」(季語:極月=十二月 冬) 
 時節柄、こうした愉快な句に触れると嬉しくなる。一句目「秘湯から」は一読、胸のつかえが下りて気持ちが軽くなる。季語「毛皮」のこんな使い方は他に見たことがない。また「言ひ張る」の描写が実にいい。二句目は常套句「竹を割った」のバリエーションで、先生の人柄がよく伝わってくる。三句目は少々不謹慎ながら、あっけらかんとした葬のひとコマになっている。 

ちなみに清志郎さんは、誰かが飛び降り自殺をしようとしている現場に臨んでどう声を掛けるかと訊かれて、「気を付けろよー!(笑)」と答えている。つまりは、“使ってはいけない言葉”など無いのだ。同時に、詠んではいけないシチュエーションも無い。やたらと制限の多い今、そのことを改めて心に刻んで句作に励みたいと思うのだった。
「三椏の花の自粛のやうな白 水沢和世」(季語:三椏=みつまたの花 春)

  俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
2021年5月号より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店