HAIKU

2021.06.11
『酒のほそ道』 ラズウェル細木・著 日本文芸社・刊 

『酒のほそ道』 ラズウェル細木・著 日本文芸社・刊 

 『酒のほそ道』は1994年から連載が続く長寿読み切り漫画だ。掲載誌は『週刊漫画ゴラク』(シブい!)で、コミックスはすでに48巻を数える。正式なタイトルは『酒のほそ道―酒と肴の歳時記―』。その名のとおり酒と肴がテーマになっていて、主人公のサラリーマン岩間宗達が一話ごとに趣味の俳句を一句詠むのが面白い。

第1巻の第1話『雪夜』では、仕事中に降り出した雪を見て高揚した宗達が、終業時間が来ると一目散に街へ飛び出す。雪の今日はきっと空いているはずと憧れの店に行ってみるが、みんな考えることは一緒のようで、なんと満員御礼。入店はかなわなかった。仕方なく会社近くのシケた定食屋に行くと、「雪で休業」の張り紙。店の前には暇になった店主一家が作ったのか、小さな雪だるまがあった。そこで一句、「軒下や盛り塩がわりの雪だるま 宗達」。(季語:雪だるま 冬) 
漫画に付随して旬の食材レシピも紹介される。第1話の料理は「ふきのとう味噌」で、簡単ながら要領を得た図解が楽しい。その他、「うなぎの柳川風」は、冷凍鰻を使っても山椒をたっぷりかけて食べれば、安価で贅沢な気分が味わえるとする。

『二軒目』と題された回では、会社の宴会を終えた宗達が少人数グループで二次会をしようとお気に入りの小料理屋に連れて行く。季節を考えてサヨリの刺し身とふきのとう味噌、菜の花のお浸しをオーダーするが、他のメンバーは唐揚げやら煮込みやらを頼んで宗達の注文にはまったく関心を示さない。挙句の果てに、さっさとカラオケに行ってしまった。残された大量の料理を前に、宗達は途方に暮れる。「行く春や折詰(おり)持ちかえるあてもなく」。(季語:行く春 春) 

呑兵衛サラリーマンの日常が、気負いなく描かれる。“料理勝負”とか“ウンチク合戦”の要素はまったく無し。宗達はただひたすら、呑みたい酒と食べたい肴を追い求める。だから肩の力を抜いて気楽に読める。季節の話題より、社内の人間関係や居酒屋のサービスなどに話が向く。なので登場する句は、いわゆる“人事句”が多い。
「立ち飲みのグラス持つ手に秋の風」 (季語:秋風 秋)  
「大皿にひとつ残して秋なすび」(季語:秋茄子 秋)
「立ち飲みの」は、宗達が立ち飲み屋を3軒ハシゴする羽目に陥った際の句。「大皿に」は、茄子の皮を食うべきかどうか論争になった後の句。季感の強い句や写生句にこだわる俳人には物足りないかもしれないが、「趣味・俳句」という肩書が軽快に響く。
「刺し盛りの色にて春を悟りけり」(季語:春) 
「北風に向かいて滾る呑兵衛(のんべ)の血」(季語:北風 冬)
「木枯しの夜は饂飩に玉(ぎょく)ふたつ」(季語:木枯し 冬)
 宗達は一途に酒と肴を詠む。「刺し盛りの」はサワラやメバルの盛り付けられた皿を前にして詠んだ。「北風に」も「木枯し」も、シチュエーションは推して知るべし。作者のラズウェル細木は類想句があっても気にしない。仮名遣いも気にしない。なのでこちらも目くじらをたてる必要はない。それはそれで、いっそ気持ちがいい。俳句は宗達の趣味であり、この漫画のメインではないのだ。
「梅咲きていよいよ白し吊し柿」(季語:梅 春 季語:吊し柿 秋)
「ほっぺたに昼寝の跡や夏座敷」(季語:昼寝 夏 季語:夏座敷 夏) 
 どちらも季重なりの句。「梅咲きて」は宗達が春先に訪れた居酒屋で、女将が二日酔い防止に吊し柿で膾を作ってくれた際の句。大事に保存されてきた吊し柿は、季節を越えて真っ白な粉を吹いていた。見たままを詠んだもので是非もないが、ある意味、この季重なりはかえっておおらかな感じがする。「ほっぺたに」は、「昼寝」が夏の季語と知らない漫画の読者にとっては気にならない類の言葉だろう。逆に季語「昼寝」の本意が巧まずに顕れているのが興味深い。

「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎」(季語:湯豆腐 冬) 
これは酒と肴を愛した万太郎の代表句。人生の黄昏を詠んだ立派な句ではあるが、一方で万太郎には「熱燗やとたんに詠めしわかれの句」(季語:熱燗 冬)、「湯豆腐や持薬の酒の一二杯」(季語:湯豆腐)なんてのもある。万太郎は数え切れないほど酒にまつわる怪しげな句を詠んだ。その果てに「うすあかり」に行き着いたかと思うと、なんだかホッとする。
「湯豆腐や隠れ遊びもひと仕事 小沢昭一」(季語:湯豆腐) 
 人生の裏側を知り尽くした昭一らしい句だ。人に言えない遊びでも、決して手を抜かない。その矜持を湯豆腐に託すとは、いかにも昭一らしい。しかも昭一は酒が呑めなかったという。俳号は変哲。面目躍如の句である。そして『酒のほそ道』の宗達は、どちらかと言えば変哲よりも万太郎寄りの俳人だと思われる。 

 好きなモノを気軽に詠む。最低限のルールは押さえるにしても、技巧や既成概念に囚われ過ぎて句作を楽しめなくなるよりはずっと佳い。そのほうが、万太郎が「うすあかり」の句を物したような幸運に、いつかは与れるのかもしれない。吉田鴻司は「俳句はつぶやきだ」とよく言っていたが、気張らずに詠む効用はきっとある。 
「秋惜しむ女二人の立飲み屋 花本智美」(季語:秋惜しむ 秋) 

   俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
2021年6月号より加筆・転載

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BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2021.06.11
『酒のほそ道』 ラズウェル細木・著 日本文芸社・刊 

『酒のほそ道』 ラズウェル細木・著 日本文芸社・刊 

 『酒のほそ道』は1994年から連載が続く長寿読み切り漫画だ。掲載誌は『週刊漫画ゴラク』(シブい!)で、コミックスはすでに48巻を数える。正式なタイトルは『酒のほそ道―酒と肴の歳時記―』。その名のとおり酒と肴がテーマになっていて、主人公のサラリーマン岩間宗達が一話ごとに趣味の俳句を一句詠むのが面白い。

第1巻の第1話『雪夜』では、仕事中に降り出した雪を見て高揚した宗達が、終業時間が来ると一目散に街へ飛び出す。雪の今日はきっと空いているはずと憧れの店に行ってみるが、みんな考えることは一緒のようで、なんと満員御礼。入店はかなわなかった。仕方なく会社近くのシケた定食屋に行くと、「雪で休業」の張り紙。店の前には暇になった店主一家が作ったのか、小さな雪だるまがあった。そこで一句、「軒下や盛り塩がわりの雪だるま 宗達」。(季語:雪だるま 冬) 
漫画に付随して旬の食材レシピも紹介される。第1話の料理は「ふきのとう味噌」で、簡単ながら要領を得た図解が楽しい。その他、「うなぎの柳川風」は、冷凍鰻を使っても山椒をたっぷりかけて食べれば、安価で贅沢な気分が味わえるとする。

『二軒目』と題された回では、会社の宴会を終えた宗達が少人数グループで二次会をしようとお気に入りの小料理屋に連れて行く。季節を考えてサヨリの刺し身とふきのとう味噌、菜の花のお浸しをオーダーするが、他のメンバーは唐揚げやら煮込みやらを頼んで宗達の注文にはまったく関心を示さない。挙句の果てに、さっさとカラオケに行ってしまった。残された大量の料理を前に、宗達は途方に暮れる。「行く春や折詰(おり)持ちかえるあてもなく」。(季語:行く春 春) 

呑兵衛サラリーマンの日常が、気負いなく描かれる。“料理勝負”とか“ウンチク合戦”の要素はまったく無し。宗達はただひたすら、呑みたい酒と食べたい肴を追い求める。だから肩の力を抜いて気楽に読める。季節の話題より、社内の人間関係や居酒屋のサービスなどに話が向く。なので登場する句は、いわゆる“人事句”が多い。
「立ち飲みのグラス持つ手に秋の風」 (季語:秋風 秋)  
「大皿にひとつ残して秋なすび」(季語:秋茄子 秋)
「立ち飲みの」は、宗達が立ち飲み屋を3軒ハシゴする羽目に陥った際の句。「大皿に」は、茄子の皮を食うべきかどうか論争になった後の句。季感の強い句や写生句にこだわる俳人には物足りないかもしれないが、「趣味・俳句」という肩書が軽快に響く。
「刺し盛りの色にて春を悟りけり」(季語:春) 
「北風に向かいて滾る呑兵衛(のんべ)の血」(季語:北風 冬)
「木枯しの夜は饂飩に玉(ぎょく)ふたつ」(季語:木枯し 冬)
 宗達は一途に酒と肴を詠む。「刺し盛りの」はサワラやメバルの盛り付けられた皿を前にして詠んだ。「北風に」も「木枯し」も、シチュエーションは推して知るべし。作者のラズウェル細木は類想句があっても気にしない。仮名遣いも気にしない。なのでこちらも目くじらをたてる必要はない。それはそれで、いっそ気持ちがいい。俳句は宗達の趣味であり、この漫画のメインではないのだ。
「梅咲きていよいよ白し吊し柿」(季語:梅 春 季語:吊し柿 秋)
「ほっぺたに昼寝の跡や夏座敷」(季語:昼寝 夏 季語:夏座敷 夏) 
 どちらも季重なりの句。「梅咲きて」は宗達が春先に訪れた居酒屋で、女将が二日酔い防止に吊し柿で膾を作ってくれた際の句。大事に保存されてきた吊し柿は、季節を越えて真っ白な粉を吹いていた。見たままを詠んだもので是非もないが、ある意味、この季重なりはかえっておおらかな感じがする。「ほっぺたに」は、「昼寝」が夏の季語と知らない漫画の読者にとっては気にならない類の言葉だろう。逆に季語「昼寝」の本意が巧まずに顕れているのが興味深い。

「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎」(季語:湯豆腐 冬) 
これは酒と肴を愛した万太郎の代表句。人生の黄昏を詠んだ立派な句ではあるが、一方で万太郎には「熱燗やとたんに詠めしわかれの句」(季語:熱燗 冬)、「湯豆腐や持薬の酒の一二杯」(季語:湯豆腐)なんてのもある。万太郎は数え切れないほど酒にまつわる怪しげな句を詠んだ。その果てに「うすあかり」に行き着いたかと思うと、なんだかホッとする。
「湯豆腐や隠れ遊びもひと仕事 小沢昭一」(季語:湯豆腐) 
 人生の裏側を知り尽くした昭一らしい句だ。人に言えない遊びでも、決して手を抜かない。その矜持を湯豆腐に託すとは、いかにも昭一らしい。しかも昭一は酒が呑めなかったという。俳号は変哲。面目躍如の句である。そして『酒のほそ道』の宗達は、どちらかと言えば変哲よりも万太郎寄りの俳人だと思われる。 

 好きなモノを気軽に詠む。最低限のルールは押さえるにしても、技巧や既成概念に囚われ過ぎて句作を楽しめなくなるよりはずっと佳い。そのほうが、万太郎が「うすあかり」の句を物したような幸運に、いつかは与れるのかもしれない。吉田鴻司は「俳句はつぶやきだ」とよく言っていたが、気張らずに詠む効用はきっとある。 
「秋惜しむ女二人の立飲み屋 花本智美」(季語:秋惜しむ 秋) 

   俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
2021年6月号より加筆・転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店