HAIKU

2021.01.01
『あつかったら ぬげばいい -ヨシタケ式心を緩める絵本-』  ヨシタケシンスケ・絵と文 白泉社・刊 

『あつかったら ぬげばいい -ヨシタケ式心を緩める絵本-』 
ヨシタケシンスケ・絵と文 白泉社・刊 

 新年おめでとうございます。今年も俳句を楽しみましょう。こんな時代なので、読む人をわくわく、そして幸せにする俳句を紹介していきたいと思っています。今回、取り上げたのは、まさにそのテーマにピッタリの一冊。
 『あつかったら ぬげばいい』はサブタイトルに「心を緩める絵本」とあるように、心をゆったりとさせてくれる。そのテイストが今の日本の困難な状況に合っているからか、昨年夏に発売されて以来、ベストセラーを続けている。
本の構成は、見開きに文を二つに分けて入れ、それに合わせた二枚の絵が置かれている。たとえば最初の見開きは本のタイトルになっている文で、「あつかったら」と「ぬげばいい」に分けて掲載され、それぞれの言葉の内容にあったほのぼのとした絵が載せられている。基本的に左ページで設問し(あつかったら)、右ページにはその対処法(ぬげばいい)が書いてある。ユニークなのは対処法で、設問に正面から挑むのではなく、なるべく無理しないことを勧める。つまり問題に直面して緊張しがちな状況に対して、心を緩める方向でアドバイスするのが絵本『あつかったら ぬげばいい』なのだ。

「どうしてもかってほしかったら いいこのフリをすればいい」。
 この言葉には駄々をこねる子供の絵と、お手伝いをする子供の絵が添えられている。親に何かをねだるときはいい子になればいいのだが、そこまで無理をするとストレスが溜まるので、いい子のフリをすればいいという訳だ。
これは大人にも当てはまる事象なのかもしれない。いい父、いい夫、いい社員など、大人になると規範となる生活態度がそこいら中に設けられている。いちいちその規範に従っていたら、息が詰まってやっていられない。それでも、規範をまったく無視はできないから辛い。そういう時はいい父のフリ、いい夫のフリ、いい社員のフリをしていればいいのだ。全力でいい父、夫、社員を目指そうとせず、少し肩の力を脱いてみる。いわば「脱力系」の生き方を勧めるのが、ヨシタケ式だ。

「破れたるところも春の障子かな 鴻司」(季語:春障子 春) 
 鴻司師は脱力系俳句の名人だった。もちろんスタイリッシュな句を極めた部分もあったが、師の句の佳さは肩の力を脱いた作句にあったと思う。この句は紙のピンと張った障子もいいが、破れた箇所でさえ「障子」だと述べる。秋に貼った障子(「障子貼る」は秋の季語)がひと冬を越して破れ目を晒している。それも春の景のひとつだと詠っている。師の句の自己肯定の優しさは、この絵本に通じている。 

「ふとっちゃったら なかまをみつければいい」。
 意に反して太ってしまったら、無理に痩せようとせず、太った仲間を探し出してその中で楽しく暮らせばいいと説く逆転の発想が面白い。また言葉に対応する絵もユーモアたっぷりで、この本の大きな魅力となっている。絵本と言っても、子供だけに向けて書かれているのではない。大人も楽しめる、いや、大人にこそ必要な心構えが満載の絵本なのである。「霜降れば霜を楯とす法の城 虚子」(季語:霜 冬)のように、世間の荒波に真正面から楯突く対処は、疲れるだけなので間違ってもしないほうがいい。

「むかしのようにできなくなったら おもいでばなしをすればいい(どうぶつに)」。
人間は加齢とともに、出来ないことが増えていく。それを恨むのではなく、受け入れて心の平静を保つ。昔の自慢がしたければ、すればいい。ただし、繰り返し聞かされる昔話に迷惑する周囲の人もいるだろうから、「動物相手にね」と付け加える作者の配慮が絶妙だ。

「指さして春禽の名を忘れたる 鴻司」(季語:春禽 春の小鳥のこと)
 昔のように春禽の名を思い出せなくても、それもまた楽しいことなのだと言って笑う鴻司師の顔が目に浮かぶ。名前なぞ忘れても、季節が巡って再び春禽に出会えたことそのものを喜ぶべきなのだ。この句は「大切なことの順番を間違えてはいけない」という信条をユーモラスに語っていて、これぞ鴻司の春の俳句と言いたくなる。 

「せかいがかわってしまったら じぶんもかわってしまえばいい」。
 この言葉は、『あつかったら ぬげばいい』で最も大切なメッセージのひとつだ。コロナ禍でニューノーマル(新しい生活様式)が叫ばれる中、戸惑っている人も多くいるだろう。日常を変えるのは簡単なことではない。しかし少し視点を変えて、 「あつかったら ぬげばいい」というレベルでニューノーマルを捉え直してみると、意外と変化を楽しめたりする。だからこそこのページには、『あつかったら ぬげばいい』の中で最もかわいい絵が添えられているのかもしれない。

「あつかったら ぬげばいい」という一見、当たり前の発想の本当に凄いところは、流れに順応して無理なく生きる自然体の良さではないだろうか。それは先の見通せない今の時代を生き抜く精神の在り方であり、自然体の俳句を詠むときに大いなるヒントとなる。
「松過ぎのただの雀でありにけり 鴻司」(季語:松過ぎ 新年)

俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
2021年1月号より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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『あつかったら ぬげばいい -ヨシタケ式心を緩める絵本-』  ヨシタケシンスケ・絵と文 白泉社・刊 

『あつかったら ぬげばいい -ヨシタケ式心を緩める絵本-』 
ヨシタケシンスケ・絵と文 白泉社・刊 

 新年おめでとうございます。今年も俳句を楽しみましょう。こんな時代なので、読む人をわくわく、そして幸せにする俳句を紹介していきたいと思っています。今回、取り上げたのは、まさにそのテーマにピッタリの一冊。
 『あつかったら ぬげばいい』はサブタイトルに「心を緩める絵本」とあるように、心をゆったりとさせてくれる。そのテイストが今の日本の困難な状況に合っているからか、昨年夏に発売されて以来、ベストセラーを続けている。
本の構成は、見開きに文を二つに分けて入れ、それに合わせた二枚の絵が置かれている。たとえば最初の見開きは本のタイトルになっている文で、「あつかったら」と「ぬげばいい」に分けて掲載され、それぞれの言葉の内容にあったほのぼのとした絵が載せられている。基本的に左ページで設問し(あつかったら)、右ページにはその対処法(ぬげばいい)が書いてある。ユニークなのは対処法で、設問に正面から挑むのではなく、なるべく無理しないことを勧める。つまり問題に直面して緊張しがちな状況に対して、心を緩める方向でアドバイスするのが絵本『あつかったら ぬげばいい』なのだ。

「どうしてもかってほしかったら いいこのフリをすればいい」。
 この言葉には駄々をこねる子供の絵と、お手伝いをする子供の絵が添えられている。親に何かをねだるときはいい子になればいいのだが、そこまで無理をするとストレスが溜まるので、いい子のフリをすればいいという訳だ。
これは大人にも当てはまる事象なのかもしれない。いい父、いい夫、いい社員など、大人になると規範となる生活態度がそこいら中に設けられている。いちいちその規範に従っていたら、息が詰まってやっていられない。それでも、規範をまったく無視はできないから辛い。そういう時はいい父のフリ、いい夫のフリ、いい社員のフリをしていればいいのだ。全力でいい父、夫、社員を目指そうとせず、少し肩の力を脱いてみる。いわば「脱力系」の生き方を勧めるのが、ヨシタケ式だ。

「破れたるところも春の障子かな 鴻司」(季語:春障子 春) 
 鴻司師は脱力系俳句の名人だった。もちろんスタイリッシュな句を極めた部分もあったが、師の句の佳さは肩の力を脱いた作句にあったと思う。この句は紙のピンと張った障子もいいが、破れた箇所でさえ「障子」だと述べる。秋に貼った障子(「障子貼る」は秋の季語)がひと冬を越して破れ目を晒している。それも春の景のひとつだと詠っている。師の句の自己肯定の優しさは、この絵本に通じている。 

「ふとっちゃったら なかまをみつければいい」。
 意に反して太ってしまったら、無理に痩せようとせず、太った仲間を探し出してその中で楽しく暮らせばいいと説く逆転の発想が面白い。また言葉に対応する絵もユーモアたっぷりで、この本の大きな魅力となっている。絵本と言っても、子供だけに向けて書かれているのではない。大人も楽しめる、いや、大人にこそ必要な心構えが満載の絵本なのである。「霜降れば霜を楯とす法の城 虚子」(季語:霜 冬)のように、世間の荒波に真正面から楯突く対処は、疲れるだけなので間違ってもしないほうがいい。

「むかしのようにできなくなったら おもいでばなしをすればいい(どうぶつに)」。
人間は加齢とともに、出来ないことが増えていく。それを恨むのではなく、受け入れて心の平静を保つ。昔の自慢がしたければ、すればいい。ただし、繰り返し聞かされる昔話に迷惑する周囲の人もいるだろうから、「動物相手にね」と付け加える作者の配慮が絶妙だ。

「指さして春禽の名を忘れたる 鴻司」(季語:春禽 春の小鳥のこと)
 昔のように春禽の名を思い出せなくても、それもまた楽しいことなのだと言って笑う鴻司師の顔が目に浮かぶ。名前なぞ忘れても、季節が巡って再び春禽に出会えたことそのものを喜ぶべきなのだ。この句は「大切なことの順番を間違えてはいけない」という信条をユーモラスに語っていて、これぞ鴻司の春の俳句と言いたくなる。 

「せかいがかわってしまったら じぶんもかわってしまえばいい」。
 この言葉は、『あつかったら ぬげばいい』で最も大切なメッセージのひとつだ。コロナ禍でニューノーマル(新しい生活様式)が叫ばれる中、戸惑っている人も多くいるだろう。日常を変えるのは簡単なことではない。しかし少し視点を変えて、 「あつかったら ぬげばいい」というレベルでニューノーマルを捉え直してみると、意外と変化を楽しめたりする。だからこそこのページには、『あつかったら ぬげばいい』の中で最もかわいい絵が添えられているのかもしれない。

「あつかったら ぬげばいい」という一見、当たり前の発想の本当に凄いところは、流れに順応して無理なく生きる自然体の良さではないだろうか。それは先の見通せない今の時代を生き抜く精神の在り方であり、自然体の俳句を詠むときに大いなるヒントとなる。
「松過ぎのただの雀でありにけり 鴻司」(季語:松過ぎ 新年)

俳句結社誌『鴻』連載コラム「ON THE STREET」
2021年1月号より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店