HAIKU

2019.11.11
『生きるとか死ぬとか父親とか』 ジェーン・スー 著  新潮社・刊

著者は1973年、東京・文京区生まれ。この名前にして、れっきとした日本人である。TBSラジオの番組「生活は踊る」(月~金 十一時~十三時)でしゃべっているので、彼女の声を聴いたことのある方も多いかもしれない。

ラジオ・パーソナリティの他、作詞家、エッセイストでもあり、才能は多岐にわたる。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫 2014年)で、講談社エッセイ賞を受賞。『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)など多数の著書があり、切れ味抜群の語調が男女を越えて支持されている。

昨年、刊行された『生きるとか死ぬとか父親とか』は、その題名のとおり、著者と父親との関係について書かれたエッセイだ。二十年前に母親が他界。八十歳になる父親とは疎遠だった時期もあったが、四十代半ばになった頃、ジェーン・スーは「今、父の人生を聞いておかないと、一生後悔する」と決心して、このエッセイの執筆に臨んだのだった。

 

戦後社会の荒波に飛び込んだ父は、強気の塊のような男で、夢中で仕事をし、母と出会い、結婚し、他の女性の影を漂わせながら生き抜き、ついには全財産を失ってしまった。父と娘の間には大きなわだかまりがあったが、それを無理に溶かそうとはせず、娘は自分の人生経験を裏打ちにして父とぶつかりながら、話を聞き出していく。許すとか許さないとかではなく、「生きるとか死ぬとか父親とか」という狭く限定しないテーマ設定が、読む者を惹きつける。

最初、僕は父親と一人娘の“ファザー・コンプレックス”の物語かと思っていた。破産しても懲りずに生きる父を、苦々しく思いながら、どこかで甘やかしてしまう自分についての描写が、この本の前半に多々出てくるからだ。母に成り代わって父をケアしなければならない腹立たしさの中に、どこか嬉しさが入り混じっているように感じたのだ。だが、読み進むうちに、それだけではないことに気付いた。昭和初期生まれの男性の矜持や大雑把さに呆れかえる娘の心情は、今の日本社会のどこにでもあるジェネレーション・ギャップのようにも見える。それを“昭和の残照”として認めた上で、ノスタルジーも交えて振り返って見れるのは、令和を生きる我々の特権なのかもしれない。

 

「もう一度抱つこしてパパ桜貝 田中葉月」(季語:桜貝 春)

ファザー・コンプレックスの甘い幻想を、なんの衒いもなく吐き出した一句。この句を初めて読んだとき、その甘さにかなり戸惑ってしまった。しかし『生きるとか死ぬとか父親とか』を読んでから改めてこの句に接してみると、また別の見方が生まれる。“パパ”という呼び方がまだ照れを含んでいた昭和の句とすれば、この桜貝はただのセンチメンタリズムには堕ちない。

 

「花を摘む花占いにみせかけてパパの昔の恋人ちぎる 蕗子」

歌人・高柳蕗子の父は、俳人・高柳重信。蕗子の実母と重信の離婚を経て、この父娘も複雑な感情を抱き合っていた。それでも蕗子の短歌の味わいには、父のシュールな句風と似たものがある。

「完成した羽の模様におどろいて蛾はあと少し子供でいたい 蕗子」

そして一首の中に少女性と女性としての成熟という、裏腹な面を備えているのは、『生きるとか死ぬとか父親とか』にどこかで通じているかもしれない。

 

本書は後半に向けて大きく舵を切る。生まれ育った家をついに整理する時が来て、いよいよ父と娘が等閑にしてきた問題に直面することになる。それは母を含めた家族三人の感情の綾だった。父が語る母のこと、母が語った父のこと、母が語らなかった父のことが、片付ける荷物となって実際に目の前に並ぶ。このあたりが本書の白眉なので、これ以上は書かない。

「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 山頭火」(季語:なし)

母恋で知られる山頭火はこう詠む一方で、次の句があった。

「だんだん似てくる癖の、父はもうゐない 山頭火」(季語:なし)

母の位牌を肌身離さず放浪を続けた山頭火は、父を憎んでいたとされる。しかし、時間の経過と自らが齢を重ねるうちに、父に対する心情に変化が起こった。

 

マザコンとファザコンにはいろいろな違いがあるが、家族内での役割や性別によってもいろいろなケースが生まれる。『生きるとか死ぬとか父親とか』では、父からの申し次ぎが意外な効果を発揮する。それは母が好きだった江戸の老舗のリストだった。「最中の空也」、「楊枝のさるや」、「刃物のうぶけや」などの名店が挙げられ、父はそれらの店を一緒に回ろうというのだった。著者は「空也」以外は知らない店だと思っていたが、実際に店を訪ね、包装紙に触れてみると、かつての記憶が蘇って来た。「東京に暮らす私と、暮らしていた母。二人を結ぶ店々。(中略)今日、父が初めて母と私を繋いだ」とジェーン・スーは感慨を込めて記している。

僕はいつもこの項をどんな句で締めるのか、楽しみに選んでいる。今回は原稿を書く前から、次に挙げる中村苑子の句に決めていた。そして書き終えた後、苑子が高柳重信の離婚後の内縁の妻だったと知って、驚いたのだった。

「父の日をベンチに眠る漢かな 苑子」(季語:父の日 夏)

 

 

俳句結社誌『鴻』2019年11月号

連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2019.11.11
『生きるとか死ぬとか父親とか』 ジェーン・スー 著  新潮社・刊

著者は1973年、東京・文京区生まれ。この名前にして、れっきとした日本人である。TBSラジオの番組「生活は踊る」(月~金 十一時~十三時)でしゃべっているので、彼女の声を聴いたことのある方も多いかもしれない。

ラジオ・パーソナリティの他、作詞家、エッセイストでもあり、才能は多岐にわたる。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫 2014年)で、講談社エッセイ賞を受賞。『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)など多数の著書があり、切れ味抜群の語調が男女を越えて支持されている。

昨年、刊行された『生きるとか死ぬとか父親とか』は、その題名のとおり、著者と父親との関係について書かれたエッセイだ。二十年前に母親が他界。八十歳になる父親とは疎遠だった時期もあったが、四十代半ばになった頃、ジェーン・スーは「今、父の人生を聞いておかないと、一生後悔する」と決心して、このエッセイの執筆に臨んだのだった。

 

戦後社会の荒波に飛び込んだ父は、強気の塊のような男で、夢中で仕事をし、母と出会い、結婚し、他の女性の影を漂わせながら生き抜き、ついには全財産を失ってしまった。父と娘の間には大きなわだかまりがあったが、それを無理に溶かそうとはせず、娘は自分の人生経験を裏打ちにして父とぶつかりながら、話を聞き出していく。許すとか許さないとかではなく、「生きるとか死ぬとか父親とか」という狭く限定しないテーマ設定が、読む者を惹きつける。

最初、僕は父親と一人娘の“ファザー・コンプレックス”の物語かと思っていた。破産しても懲りずに生きる父を、苦々しく思いながら、どこかで甘やかしてしまう自分についての描写が、この本の前半に多々出てくるからだ。母に成り代わって父をケアしなければならない腹立たしさの中に、どこか嬉しさが入り混じっているように感じたのだ。だが、読み進むうちに、それだけではないことに気付いた。昭和初期生まれの男性の矜持や大雑把さに呆れかえる娘の心情は、今の日本社会のどこにでもあるジェネレーション・ギャップのようにも見える。それを“昭和の残照”として認めた上で、ノスタルジーも交えて振り返って見れるのは、令和を生きる我々の特権なのかもしれない。

 

「もう一度抱つこしてパパ桜貝 田中葉月」(季語:桜貝 春)

ファザー・コンプレックスの甘い幻想を、なんの衒いもなく吐き出した一句。この句を初めて読んだとき、その甘さにかなり戸惑ってしまった。しかし『生きるとか死ぬとか父親とか』を読んでから改めてこの句に接してみると、また別の見方が生まれる。“パパ”という呼び方がまだ照れを含んでいた昭和の句とすれば、この桜貝はただのセンチメンタリズムには堕ちない。

 

「花を摘む花占いにみせかけてパパの昔の恋人ちぎる 蕗子」

歌人・高柳蕗子の父は、俳人・高柳重信。蕗子の実母と重信の離婚を経て、この父娘も複雑な感情を抱き合っていた。それでも蕗子の短歌の味わいには、父のシュールな句風と似たものがある。

「完成した羽の模様におどろいて蛾はあと少し子供でいたい 蕗子」

そして一首の中に少女性と女性としての成熟という、裏腹な面を備えているのは、『生きるとか死ぬとか父親とか』にどこかで通じているかもしれない。

 

本書は後半に向けて大きく舵を切る。生まれ育った家をついに整理する時が来て、いよいよ父と娘が等閑にしてきた問題に直面することになる。それは母を含めた家族三人の感情の綾だった。父が語る母のこと、母が語った父のこと、母が語らなかった父のことが、片付ける荷物となって実際に目の前に並ぶ。このあたりが本書の白眉なので、これ以上は書かない。

「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 山頭火」(季語:なし)

母恋で知られる山頭火はこう詠む一方で、次の句があった。

「だんだん似てくる癖の、父はもうゐない 山頭火」(季語:なし)

母の位牌を肌身離さず放浪を続けた山頭火は、父を憎んでいたとされる。しかし、時間の経過と自らが齢を重ねるうちに、父に対する心情に変化が起こった。

 

マザコンとファザコンにはいろいろな違いがあるが、家族内での役割や性別によってもいろいろなケースが生まれる。『生きるとか死ぬとか父親とか』では、父からの申し次ぎが意外な効果を発揮する。それは母が好きだった江戸の老舗のリストだった。「最中の空也」、「楊枝のさるや」、「刃物のうぶけや」などの名店が挙げられ、父はそれらの店を一緒に回ろうというのだった。著者は「空也」以外は知らない店だと思っていたが、実際に店を訪ね、包装紙に触れてみると、かつての記憶が蘇って来た。「東京に暮らす私と、暮らしていた母。二人を結ぶ店々。(中略)今日、父が初めて母と私を繋いだ」とジェーン・スーは感慨を込めて記している。

僕はいつもこの項をどんな句で締めるのか、楽しみに選んでいる。今回は原稿を書く前から、次に挙げる中村苑子の句に決めていた。そして書き終えた後、苑子が高柳重信の離婚後の内縁の妻だったと知って、驚いたのだった。

「父の日をベンチに眠る漢かな 苑子」(季語:父の日 夏)

 

 

俳句結社誌『鴻』2019年11月号

連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店