HAIKU

2019.05.10
『夜廻り猫』 深谷かほる・著  講談社・刊 
%e5%a4%9c

このところ、テレビを見ていると、猫の番組と食べ物の番組がやたらと多い。確かに可愛くて面白いものもあるのだが、少々食傷気味になる。では、ということで今回は「猫と食べ物が一緒に出て来るなら、コレ!」というコミックスを取り上げることにした。

『夜廻り猫』はツイッターで始まった8コマ漫画で、次第に人気を呼び、現在単行本が第4巻まで出版されている。二○一七年に手塚治虫文化賞短編賞を受賞した際、テレビで何回か紹介されたので、ご存知の方もいると思う。間もなく第5巻が出る予定で、もしかしたらこの号が皆さんの手元に届く頃には、店頭に並んでいるかもしれない。

 

夜廻り猫は「泣く子はいねが~、泣いてる子はいねが~」と呟きながら、涙の匂いをたどって現れる。猫の名は、遠藤平蔵。涙を流している人間はもちろん、辛い目に遭っている猫や犬に寄り添い、共に泣き、笑い、励まし、励まされる。なんだか、なまはげと人情時代劇が混ざったような設定だが、舞台はれっきとした現代日本の小さな町で、そこで夜廻り猫と悩める生き物たちが様々な出会いを繰り広げるのだった。

彼らの出会いの脇役として、質素ながらも美味しい食べ物がしばしば登場する。たとえば、麺つゆを沁みこませた揚げ玉とみつ葉を、ご飯に混ぜて握ったオニギリは、“天むす”ならぬ、“貧(ひん)むす”。どこか懐かしいそれらの料理は、登場人物たちのお腹を満たし、話に弾みをつける。とはいえ、8コマしかないので、複雑なストーリーはなく、代わりにウイットに富んだ会話が印象に残る。それがこの漫画の最大の魅力となっている。

 

特に最初の2コマの使い方が興味深い。8コマの冒頭で「泣く子はいねが~、泣いてる子はいねが~」と呟きながら歩く夜廻り猫の背景が、月のない闇夜だったり、木枯らしの吹く路地だったり、怪しげなネオン街だったりして、その回の季節やシチュエーションをさりげなく伝えてくれる。この約束事が、読み手を話の入り口へスムーズに導く。

ある夜、住宅街を歩いていた夜廻り猫が、涙の匂いを嗅ぎつけて一軒の家に入っていくと、台所でブリ大根を煮ている老婦がいた。別に泣いてはいなかったのだが、ブリ大根をご馳走になった夜廻り猫が「こんなんめえもの、初めてだ~」と言うと、老婦は「五十年ぶりにほめられたゎ」と喜ぶ。言葉の足りない夫との味気ない暮しの中で、老婦の心はやはり泣いていたのだった。

またある夜は、若い女性が天ぷらを揚げている台所に入っていく。彼女は子供の頃、義理の祖父と暮していたという。小学校の時、ピアノの発表会で拙い演奏をしてしまい、他の生徒の上手さに打ちひしがれていると、観に来てくれた祖父が「お前の演奏の方が上手い!」と断言してくれた。血の繋がっていない祖父の依怙贔屓が本当に嬉しくて、今はもう亡くなってしまった祖父に会いたくなると、好物だった天ぷらを揚げるのだという。やはり彼女も心で泣いていた。天ぷらを揚げる女性を見つめる、夜廻り猫の涎の垂れそうな顔がとてもいい。

こうしたエピソードが淡々と続く。しかし一巻に九○話ほど収録されているので、読み応えは充分。この漫画に出て来る料理を特集した『夜廻り猫レストラン』という、この漫画のスピンオフ(派生作品)も発売されていて、夜廻り猫=遠藤平蔵と並んで、効果的に描かれる食べ物の人気ぶりが知れる。

 

この漫画の要になっている省略の妙や簡潔さは、どこか俳句の味わいに似ている。

「寒鰤と煮る大根の厚さかな 加藤浩子」(季語:寒鰤 冬)の句は、最初に紹介したエピソードそのものだ。鰤の奥深い旨味を受けとめるには、時間と厚さが要る。

「天麩羅にからりと揚げて春告げ草 高澤良一」(季語:春告げ草 春)は、二番目に挙げたエピソードの女性の心持ちだ。彼女にとって、祖父との思い出は春告げ草のようだった。

「腹立ててゐるそら豆を剥いてをり 真砂女」(季語:そら豆 夏)

「鯛よりも目刺のうまさ知らざるや   同」(季語:目刺 春)

「白魚や生けるしるしの身を透かせ   同」(季語:白魚 春)

食の句に優れた真砂女には、『夜廻り猫』に通じる優しさと反骨心がある。「そら豆」の句は、理不尽な世の正体を剥いて見せる。「目刺」の句は、値段よりも滋味を一等とする。「白魚」の句は、まさに平蔵の心意気だ。

「火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり 不死男」(季語:秋刀魚 秋)

この句にある“食卓でのペーソス”は、『夜廻り猫』の主旋律と呼応している。

「淋しさに飯を食ふ也秋の風 一茶」(季語:秋の風 秋)は、二番目の妻と離婚して寡男となった一茶の心境が滲む。もし一茶が町内にいたら、きっと平蔵は涙の匂いを嗅ぎつけて訪問することだろう。

「舌噛むなど夜食はつねにかなしくて 佐野まもる」(季語:夜食 秋)には、働く者の食の悲哀が描かれている。

「豆飯の湯気を大事に食べにけり 大串章」(季語:豆飯 夏)は、前句とは対照的に食の歓びをおおらかに描く。湯気そのものに味はないが、その温かさと豊かな香りが心を満たす。

夜、窓を開けると、気持ちのよい季節になった。そのまま窓を開けておけば、ふと平蔵が顔をのぞかせるかもしれない。

「よく噛んで食べよと母は遠かなかな 和田伊久子」(季語:かなかな=ひぐらし 秋)

 

俳句結社誌『鴻』2019年5月号より転載・加筆

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BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2019.05.10
『夜廻り猫』 深谷かほる・著  講談社・刊 
%e5%a4%9c

このところ、テレビを見ていると、猫の番組と食べ物の番組がやたらと多い。確かに可愛くて面白いものもあるのだが、少々食傷気味になる。では、ということで今回は「猫と食べ物が一緒に出て来るなら、コレ!」というコミックスを取り上げることにした。

『夜廻り猫』はツイッターで始まった8コマ漫画で、次第に人気を呼び、現在単行本が第4巻まで出版されている。二○一七年に手塚治虫文化賞短編賞を受賞した際、テレビで何回か紹介されたので、ご存知の方もいると思う。間もなく第5巻が出る予定で、もしかしたらこの号が皆さんの手元に届く頃には、店頭に並んでいるかもしれない。

 

夜廻り猫は「泣く子はいねが~、泣いてる子はいねが~」と呟きながら、涙の匂いをたどって現れる。猫の名は、遠藤平蔵。涙を流している人間はもちろん、辛い目に遭っている猫や犬に寄り添い、共に泣き、笑い、励まし、励まされる。なんだか、なまはげと人情時代劇が混ざったような設定だが、舞台はれっきとした現代日本の小さな町で、そこで夜廻り猫と悩める生き物たちが様々な出会いを繰り広げるのだった。

彼らの出会いの脇役として、質素ながらも美味しい食べ物がしばしば登場する。たとえば、麺つゆを沁みこませた揚げ玉とみつ葉を、ご飯に混ぜて握ったオニギリは、“天むす”ならぬ、“貧(ひん)むす”。どこか懐かしいそれらの料理は、登場人物たちのお腹を満たし、話に弾みをつける。とはいえ、8コマしかないので、複雑なストーリーはなく、代わりにウイットに富んだ会話が印象に残る。それがこの漫画の最大の魅力となっている。

 

特に最初の2コマの使い方が興味深い。8コマの冒頭で「泣く子はいねが~、泣いてる子はいねが~」と呟きながら歩く夜廻り猫の背景が、月のない闇夜だったり、木枯らしの吹く路地だったり、怪しげなネオン街だったりして、その回の季節やシチュエーションをさりげなく伝えてくれる。この約束事が、読み手を話の入り口へスムーズに導く。

ある夜、住宅街を歩いていた夜廻り猫が、涙の匂いを嗅ぎつけて一軒の家に入っていくと、台所でブリ大根を煮ている老婦がいた。別に泣いてはいなかったのだが、ブリ大根をご馳走になった夜廻り猫が「こんなんめえもの、初めてだ~」と言うと、老婦は「五十年ぶりにほめられたゎ」と喜ぶ。言葉の足りない夫との味気ない暮しの中で、老婦の心はやはり泣いていたのだった。

またある夜は、若い女性が天ぷらを揚げている台所に入っていく。彼女は子供の頃、義理の祖父と暮していたという。小学校の時、ピアノの発表会で拙い演奏をしてしまい、他の生徒の上手さに打ちひしがれていると、観に来てくれた祖父が「お前の演奏の方が上手い!」と断言してくれた。血の繋がっていない祖父の依怙贔屓が本当に嬉しくて、今はもう亡くなってしまった祖父に会いたくなると、好物だった天ぷらを揚げるのだという。やはり彼女も心で泣いていた。天ぷらを揚げる女性を見つめる、夜廻り猫の涎の垂れそうな顔がとてもいい。

こうしたエピソードが淡々と続く。しかし一巻に九○話ほど収録されているので、読み応えは充分。この漫画に出て来る料理を特集した『夜廻り猫レストラン』という、この漫画のスピンオフ(派生作品)も発売されていて、夜廻り猫=遠藤平蔵と並んで、効果的に描かれる食べ物の人気ぶりが知れる。

 

この漫画の要になっている省略の妙や簡潔さは、どこか俳句の味わいに似ている。

「寒鰤と煮る大根の厚さかな 加藤浩子」(季語:寒鰤 冬)の句は、最初に紹介したエピソードそのものだ。鰤の奥深い旨味を受けとめるには、時間と厚さが要る。

「天麩羅にからりと揚げて春告げ草 高澤良一」(季語:春告げ草 春)は、二番目に挙げたエピソードの女性の心持ちだ。彼女にとって、祖父との思い出は春告げ草のようだった。

「腹立ててゐるそら豆を剥いてをり 真砂女」(季語:そら豆 夏)

「鯛よりも目刺のうまさ知らざるや   同」(季語:目刺 春)

「白魚や生けるしるしの身を透かせ   同」(季語:白魚 春)

食の句に優れた真砂女には、『夜廻り猫』に通じる優しさと反骨心がある。「そら豆」の句は、理不尽な世の正体を剥いて見せる。「目刺」の句は、値段よりも滋味を一等とする。「白魚」の句は、まさに平蔵の心意気だ。

「火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり 不死男」(季語:秋刀魚 秋)

この句にある“食卓でのペーソス”は、『夜廻り猫』の主旋律と呼応している。

「淋しさに飯を食ふ也秋の風 一茶」(季語:秋の風 秋)は、二番目の妻と離婚して寡男となった一茶の心境が滲む。もし一茶が町内にいたら、きっと平蔵は涙の匂いを嗅ぎつけて訪問することだろう。

「舌噛むなど夜食はつねにかなしくて 佐野まもる」(季語:夜食 秋)には、働く者の食の悲哀が描かれている。

「豆飯の湯気を大事に食べにけり 大串章」(季語:豆飯 夏)は、前句とは対照的に食の歓びをおおらかに描く。湯気そのものに味はないが、その温かさと豊かな香りが心を満たす。

夜、窓を開けると、気持ちのよい季節になった。そのまま窓を開けておけば、ふと平蔵が顔をのぞかせるかもしれない。

「よく噛んで食べよと母は遠かなかな 和田伊久子」(季語:かなかな=ひぐらし 秋)

 

俳句結社誌『鴻』2019年5月号より転載・加筆

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店