HAIKU

2018.02.03
『倍賞千恵子の現場』 倍賞千恵子・著  PHP新書・刊
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庶民派女優として愛され、歌手としても人気の倍賞千恵子さんが、これまでのあれこれを書いた本が『倍賞千恵子の現場』である。独特のスタンスで50年以上、活躍を続けてきた秘密がざっくばらんに語られていて、一気に読んでしまった。映画や歌の現場での出来事や、そこで感じたことが綴られると、それはそのまま自伝になり、演劇論になり、音楽論にもなる。そして倍賞さんだからこそ気付くことのできた人間論にもなっている点が素晴らしい。

おなじみの映画やヒット曲がたくさん出てくるので、とても楽しく読め、何より“庶民派”と呼ばれるだけあって、誰にでも心当たりのある物事や心象が基本にあるので、読み手は共感しながら、すんなりと自分のことを考えるキッカケを与えてもらえることになる。

倍賞さんは松竹音楽舞踊学校を首席で卒業後、SKDに入団。すぐに映画デビューを飾る。翌年、歌手として「下町の太陽」のヒットを飛ばし、それが映画化されて初の主演映画となった。そこで山田洋次監督と出会い、以降に出演した170本の映画のうち、3分の1以上が山田作品である。

この映画で倍賞さんは下町の石鹸工場で働く娘・町子の役を務め、相手役の勝呂誉さんと、

「あ、流れ星」

「見てないのに、どうしてわかるんだ?」

「だって“ルルル”って音がしたもの」

と会話を交わすシーンが有名だが、何度セリフを言っても監督からオーケーがもらえず、ベソをかいたこともあったそうだ。この映画の大ヒットをきっかけに“庶民派女優”と呼ばれるようになり、町子は『男はつらいよ』のさくら役の原型となった。

『男はつらいよ』での山田監督の発言がとても面白い。主だった俳優に演技を付けるのはもちろんだが、監督は通行人にもよくダメ出しをしたという。いわく、「あなたは今、どこから来たの? どこに帰るの?」。メインの芝居の背後で、何気なく通り過ぎる人たちにも、それぞれの人生がある。『男はつらいよ』の舞台である“とらや”の前を行き交う通行人の中には、銭湯の帰りだったり、病気の子供が待つ家へと急ぐ人もあるだろう。わずかな役にも命を吹き込むことによって、映画全体が活き活きすることを監督はよく知っていた。

後年、倍賞さんは癌治療のために病院通いをすることになったとき、待合室や行き帰りの電車で、そこにいる人たちを熱心に観察しては“普通の人々”の暮らしぶりを想像し、演技に取り込んでいった。そんな倍賞さんにとって『男はつらいよ』は、人間の優しさや悲しさ、人間の見方、生き方、本当の心のあり方を学んだ玉手箱のような映画だったと語る。

「月に脱ぐシャツの農薬くさきかな 本宮哲郎」(季語:月 秋)

「月の水ごくごく飲んで稲を刈る    哲郎」(季語:稲刈り 秋)

これらのリアリティあふれる農耕句は、さりげない観察が効いている。倍賞さんの観察もまた、演技を深める有効な方法だったのだ。

同じ出発点から、倍賞さんは自らを「ながら俳優」と呼ぶ。働く女性の役が多かったから、まずはその仕事の動作を徹底的に身に付けたのだった。たとえば高倉健さんと共演した『幸福の黄色いハンカチ』では、生協スーパーでレジ打ちをする光枝の役だった。レジを打ちながら演技するために、繰り返し練習を重ねた。そうするうちに、光枝という人間が自分の中に入ってくる感覚を大切にしたのだという。

「脱ぐ手套なほ鉄握る形して 鴻司」 (季語:手套“しゅとう”。手袋のこと 冬)

吉田鴻司師の初期の句集『神楽舞』からの一句だが、鉄工員として働く実感が込められている。倍賞さんは「鉄握る形」を身に沁み込ませて、リアルな人情を画面を通して伝えてきたのだと思う。

歌手としての言葉も興味深い。「浜辺の歌」や「からたちの花」などの抒情歌や童謡を歌っていたが、映画の主題歌やミュージカルを歌うようになって、「月夜がきれい、小川がさらさら流れている、風がそよそよと吹いている…そうした自然の美しい風景だけではなく、その向こうにある“人間”について、歌を通して表現したい」と思うようになったという。

俳句でいえば、花鳥風月を詠っているうちに、それに飽き足らず、人間を詠いたいという気持ちが起こってくることと似ている。その際、やっかいなのは、嬉しい、悲しいなどの剥き出しの感情を入れようとすると、客観から外れてしまい易くなることだ。倍賞さんはステージの経験から、次のことに気付く。歌う自分と、それを見ていて冷静にコントロールする自分がいると、歌をうまくコントロールすることができる。だが、もう一人の自分がいないと、やたらとお客さんに寄っていったり、媚びたりするようになる。

これは人前で表現する人間にとっての真理だ。そして、この真理は俳句にも当てはまる。俳句は、一人で作る。その時点では客観性がない。ところがそれを句会で出した瞬間、「あ、こうすればよかった」と気付くことが多々ある。気付くのは自分ではあるが、たった一人で作っているときには見えないものがある。言ってみれば、句会とは、“もう一人の自分”と出会える場所なのである。

ちなみに僕は倍賞さん夫婦と、長年、句会を楽しんでいる。夫の小六禮次郎さんは作曲家でありピアニストでもあるので、コンサートはご夫婦で行なうことが多い。最後に一句、紹介したいと思う。

「流星のルルルと鳴つて川の上 禮次郎」

 

 

俳句結社誌「鴻」2018年1月号 コラム【ON THE STREET】より転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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『倍賞千恵子の現場』 倍賞千恵子・著  PHP新書・刊
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庶民派女優として愛され、歌手としても人気の倍賞千恵子さんが、これまでのあれこれを書いた本が『倍賞千恵子の現場』である。独特のスタンスで50年以上、活躍を続けてきた秘密がざっくばらんに語られていて、一気に読んでしまった。映画や歌の現場での出来事や、そこで感じたことが綴られると、それはそのまま自伝になり、演劇論になり、音楽論にもなる。そして倍賞さんだからこそ気付くことのできた人間論にもなっている点が素晴らしい。

おなじみの映画やヒット曲がたくさん出てくるので、とても楽しく読め、何より“庶民派”と呼ばれるだけあって、誰にでも心当たりのある物事や心象が基本にあるので、読み手は共感しながら、すんなりと自分のことを考えるキッカケを与えてもらえることになる。

倍賞さんは松竹音楽舞踊学校を首席で卒業後、SKDに入団。すぐに映画デビューを飾る。翌年、歌手として「下町の太陽」のヒットを飛ばし、それが映画化されて初の主演映画となった。そこで山田洋次監督と出会い、以降に出演した170本の映画のうち、3分の1以上が山田作品である。

この映画で倍賞さんは下町の石鹸工場で働く娘・町子の役を務め、相手役の勝呂誉さんと、

「あ、流れ星」

「見てないのに、どうしてわかるんだ?」

「だって“ルルル”って音がしたもの」

と会話を交わすシーンが有名だが、何度セリフを言っても監督からオーケーがもらえず、ベソをかいたこともあったそうだ。この映画の大ヒットをきっかけに“庶民派女優”と呼ばれるようになり、町子は『男はつらいよ』のさくら役の原型となった。

『男はつらいよ』での山田監督の発言がとても面白い。主だった俳優に演技を付けるのはもちろんだが、監督は通行人にもよくダメ出しをしたという。いわく、「あなたは今、どこから来たの? どこに帰るの?」。メインの芝居の背後で、何気なく通り過ぎる人たちにも、それぞれの人生がある。『男はつらいよ』の舞台である“とらや”の前を行き交う通行人の中には、銭湯の帰りだったり、病気の子供が待つ家へと急ぐ人もあるだろう。わずかな役にも命を吹き込むことによって、映画全体が活き活きすることを監督はよく知っていた。

後年、倍賞さんは癌治療のために病院通いをすることになったとき、待合室や行き帰りの電車で、そこにいる人たちを熱心に観察しては“普通の人々”の暮らしぶりを想像し、演技に取り込んでいった。そんな倍賞さんにとって『男はつらいよ』は、人間の優しさや悲しさ、人間の見方、生き方、本当の心のあり方を学んだ玉手箱のような映画だったと語る。

「月に脱ぐシャツの農薬くさきかな 本宮哲郎」(季語:月 秋)

「月の水ごくごく飲んで稲を刈る    哲郎」(季語:稲刈り 秋)

これらのリアリティあふれる農耕句は、さりげない観察が効いている。倍賞さんの観察もまた、演技を深める有効な方法だったのだ。

同じ出発点から、倍賞さんは自らを「ながら俳優」と呼ぶ。働く女性の役が多かったから、まずはその仕事の動作を徹底的に身に付けたのだった。たとえば高倉健さんと共演した『幸福の黄色いハンカチ』では、生協スーパーでレジ打ちをする光枝の役だった。レジを打ちながら演技するために、繰り返し練習を重ねた。そうするうちに、光枝という人間が自分の中に入ってくる感覚を大切にしたのだという。

「脱ぐ手套なほ鉄握る形して 鴻司」 (季語:手套“しゅとう”。手袋のこと 冬)

吉田鴻司師の初期の句集『神楽舞』からの一句だが、鉄工員として働く実感が込められている。倍賞さんは「鉄握る形」を身に沁み込ませて、リアルな人情を画面を通して伝えてきたのだと思う。

歌手としての言葉も興味深い。「浜辺の歌」や「からたちの花」などの抒情歌や童謡を歌っていたが、映画の主題歌やミュージカルを歌うようになって、「月夜がきれい、小川がさらさら流れている、風がそよそよと吹いている…そうした自然の美しい風景だけではなく、その向こうにある“人間”について、歌を通して表現したい」と思うようになったという。

俳句でいえば、花鳥風月を詠っているうちに、それに飽き足らず、人間を詠いたいという気持ちが起こってくることと似ている。その際、やっかいなのは、嬉しい、悲しいなどの剥き出しの感情を入れようとすると、客観から外れてしまい易くなることだ。倍賞さんはステージの経験から、次のことに気付く。歌う自分と、それを見ていて冷静にコントロールする自分がいると、歌をうまくコントロールすることができる。だが、もう一人の自分がいないと、やたらとお客さんに寄っていったり、媚びたりするようになる。

これは人前で表現する人間にとっての真理だ。そして、この真理は俳句にも当てはまる。俳句は、一人で作る。その時点では客観性がない。ところがそれを句会で出した瞬間、「あ、こうすればよかった」と気付くことが多々ある。気付くのは自分ではあるが、たった一人で作っているときには見えないものがある。言ってみれば、句会とは、“もう一人の自分”と出会える場所なのである。

ちなみに僕は倍賞さん夫婦と、長年、句会を楽しんでいる。夫の小六禮次郎さんは作曲家でありピアニストでもあるので、コンサートはご夫婦で行なうことが多い。最後に一句、紹介したいと思う。

「流星のルルルと鳴つて川の上 禮次郎」

 

 

俳句結社誌「鴻」2018年1月号 コラム【ON THE STREET】より転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店