HAIKU

2017.09.06
DVD『エレファントカシマシ~1988/09/10 渋谷公会堂~』 
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監督・大沢昌史  発売・ソニー・ミュージック・ダイレクト

 

ベテラン・ロックバンドのエレファントカシマシ(以下、エレカシ)が、デビューしたその年(1988年)に渋谷公会堂で行なったライブを映した16ミリ・フィルムが発見され、新たに編集されてこの7月にDVDとして発売になった。今回、このDVDを取り上げたのは、80年代のバンドブームにあって“文語調”の歌詞を書くこのグループの特徴が、俳句の観点から見ると非常に貴重であり、興味深かったので紹介したかったからだ。

今年の6~7月のNHK「みんなのうた」で、エレカシの「風と共に」という歌が流れていたので、ご存知の方がいるかもしれない。雄大な夢とロマンを歌い上げるこのバンドの出発点は、このDVDにあると言っても過言ではないだろう。

東京都北区赤羽周辺の地元仲間で結成されたエレカシは、下町気質を色濃く持つバンドで、伝統文化への敬意と権威への反骨精神に満ちた歌詞を、本格的なロックサウンドに乗せて歌う音楽を作ってきた。このライブで演奏された曲のほとんどはアマチュア時代の作品で、そうした彼らの特異な感性がよく表れている。

まず1曲目の「おはよう こんにちは」という歌に度肝を抜かれる。歌詞の冒頭部分を引用してみよう。

♪おはよう こんにちは さようなら 言葉じり合わせ 日がくれた♪

歌詞を手掛けるボーカルの宮本浩次は、ただの挨拶の言葉でできているこの歌を、怒鳴るようにして歌う。まるで「おはよう」や「こんにちは」が、人生でいちばん大事な言葉だとでも言うように、思い切り力を込めて歌う。渋谷公会堂に集まったお客さんは、この歌い方に圧倒されて静まり返る。

“挨拶”は俳句の重要な要素だが、「こんにちは」や「さようなら」を直接言う訳ではない。それを言わずに土地や人にどう語りかけるのかが、俳句としての挨拶の工夫である。

宮本の歌を聴いていると、彼は挨拶の重要性をよく知っていると思われる。そもそも「こんにちは」は、「今日は御機嫌いかがですか?」の後半が省略されている言葉で、さらに「今日」は「太陽」を意味する。宮本はその本来の意味を込めて、全力で歌う。そこに彼の伝統文化に対するセンスを、僕は感じるのだ。

他にもこのDVDには、優れた歌がたくさん収められている。

♪ニタリ ニタリと策士ども 転ばぬ先の杖のよう わけのわからぬ優しさと 生きる屍 こんにちは♪(「花男」より)

♪世の中まるく治めるなら 頭脳はいらないさ 少しばかりの悪知恵と 金があればいい♪(「デーデ」より)

「花男」の歌詞は完全に五七調で、“わからぬ”という文語を用いている。当時、バブル景気真っ最中の拝金主義の世相を、宮本浩次はこころよく思っていなかったようだ。金のために唯々諾々と命令に従う“屍”にはならぬというプライドは、サムライのそれを思わせる。♪金があればいい♪と歌う「デーデ」は、そうした反骨を逆説的に描いていて面白い。

僕はこのDVDに収められているライブを、リアルタイムで観た。当時、22才の宮本はこれらの歌を、客に噛みつきそうな目付きをして、叫ぶように歌っていた。他の同世代バンドがラブソングやコミカルな歌で青春を謳歌していたのに対し、エレカシは異様な迫力で嫌な時代と無力な自分に対する怒りを吐き出していた。

歌っていないときの宮本の語り口は、立川談志を彷彿とさせるものがあった。ひとり言のような口調で、日本男子としての矜持をもって世間に噛みつく。世間どころか、メジャー・デビューして大人の“策士”に操られてライブをやっている自分に対して、「俺もこういうのに慣れていくんだろうな…心配だよ、俺も」と自分自身にも噛みついていた。

この自嘲に、当時の僕は親しみを感じたものだ。ただそれがどんな種類の共感だったのかは、分からなかった。しかしその後、僕は俳句を始めてみて、それがとても俳句的な自嘲であることに気付いた。

「へろへろとワンタンすするクリスマス  不死男」

「年の瀬や浮いて重たき亀の顔      不死男」

新興俳句運動(注:1940~1943年に言論弾圧を受けた)の先頭に立ったことで投獄された秋元不死男(あきもとふじお)の反骨と、宮本の自嘲はよく似ている。クリスマスにワンタンを啜る自画像は、不死男のスタンスを明らかにしている。「年の瀬や」は、自分の顔を亀に重ねての諧謔(かいぎゃく)である。これらは、時代や風俗に対する違和感を鋭く掴み取る宮本の姿勢に通じている。

「薄氷(うすらい)の裏を舐めては金魚沈む 三鬼」。

西東三鬼(さいとうさんき)のこうした句もまた、宮本の自嘲を思わせる。

このDVDの白眉は♪日本の神を中心にして 立派な国を築きたい ハレンチなものは全て隠そう そして民衆は耐えよう♪と歌う「星の砂」だ。先日、某首相が疑惑を招いた某学園の教育方針と酷似しているこの歌のメッセージに、エレカシの予見性を感じて驚いたものだ。

自虐から始まったエレカシを、一躍有名にしたヒット曲「今宵の月のように」(1997年)の歌い出しはこうだ。

♪くだらねえとつぶやいて 醒めたつらして歩く♪。

ここには初期の作品と同じ自嘲がある。しかしこの後、♪いつの日か輝くだろう あふれる熱い涙♪と続く。自嘲の向こう側にある希望を歌ったところで、エレカシはついに市民権を得た。

時代のムードに流されず、正気でいようとする宮本の生き方は、俳人にとってとても刺激的である。厳しい自嘲は、俳句の原点のひとつなのである。

「割(さ)かれたる飛魚の眼の涼しさよ 鴻司」

 

 

【俳句結社誌『鴻』2017年9月号「ON THE STREET」より加筆転載】

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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DVD『エレファントカシマシ~1988/09/10 渋谷公会堂~』 
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監督・大沢昌史  発売・ソニー・ミュージック・ダイレクト

 

ベテラン・ロックバンドのエレファントカシマシ(以下、エレカシ)が、デビューしたその年(1988年)に渋谷公会堂で行なったライブを映した16ミリ・フィルムが発見され、新たに編集されてこの7月にDVDとして発売になった。今回、このDVDを取り上げたのは、80年代のバンドブームにあって“文語調”の歌詞を書くこのグループの特徴が、俳句の観点から見ると非常に貴重であり、興味深かったので紹介したかったからだ。

今年の6~7月のNHK「みんなのうた」で、エレカシの「風と共に」という歌が流れていたので、ご存知の方がいるかもしれない。雄大な夢とロマンを歌い上げるこのバンドの出発点は、このDVDにあると言っても過言ではないだろう。

東京都北区赤羽周辺の地元仲間で結成されたエレカシは、下町気質を色濃く持つバンドで、伝統文化への敬意と権威への反骨精神に満ちた歌詞を、本格的なロックサウンドに乗せて歌う音楽を作ってきた。このライブで演奏された曲のほとんどはアマチュア時代の作品で、そうした彼らの特異な感性がよく表れている。

まず1曲目の「おはよう こんにちは」という歌に度肝を抜かれる。歌詞の冒頭部分を引用してみよう。

♪おはよう こんにちは さようなら 言葉じり合わせ 日がくれた♪

歌詞を手掛けるボーカルの宮本浩次は、ただの挨拶の言葉でできているこの歌を、怒鳴るようにして歌う。まるで「おはよう」や「こんにちは」が、人生でいちばん大事な言葉だとでも言うように、思い切り力を込めて歌う。渋谷公会堂に集まったお客さんは、この歌い方に圧倒されて静まり返る。

“挨拶”は俳句の重要な要素だが、「こんにちは」や「さようなら」を直接言う訳ではない。それを言わずに土地や人にどう語りかけるのかが、俳句としての挨拶の工夫である。

宮本の歌を聴いていると、彼は挨拶の重要性をよく知っていると思われる。そもそも「こんにちは」は、「今日は御機嫌いかがですか?」の後半が省略されている言葉で、さらに「今日」は「太陽」を意味する。宮本はその本来の意味を込めて、全力で歌う。そこに彼の伝統文化に対するセンスを、僕は感じるのだ。

他にもこのDVDには、優れた歌がたくさん収められている。

♪ニタリ ニタリと策士ども 転ばぬ先の杖のよう わけのわからぬ優しさと 生きる屍 こんにちは♪(「花男」より)

♪世の中まるく治めるなら 頭脳はいらないさ 少しばかりの悪知恵と 金があればいい♪(「デーデ」より)

「花男」の歌詞は完全に五七調で、“わからぬ”という文語を用いている。当時、バブル景気真っ最中の拝金主義の世相を、宮本浩次はこころよく思っていなかったようだ。金のために唯々諾々と命令に従う“屍”にはならぬというプライドは、サムライのそれを思わせる。♪金があればいい♪と歌う「デーデ」は、そうした反骨を逆説的に描いていて面白い。

僕はこのDVDに収められているライブを、リアルタイムで観た。当時、22才の宮本はこれらの歌を、客に噛みつきそうな目付きをして、叫ぶように歌っていた。他の同世代バンドがラブソングやコミカルな歌で青春を謳歌していたのに対し、エレカシは異様な迫力で嫌な時代と無力な自分に対する怒りを吐き出していた。

歌っていないときの宮本の語り口は、立川談志を彷彿とさせるものがあった。ひとり言のような口調で、日本男子としての矜持をもって世間に噛みつく。世間どころか、メジャー・デビューして大人の“策士”に操られてライブをやっている自分に対して、「俺もこういうのに慣れていくんだろうな…心配だよ、俺も」と自分自身にも噛みついていた。

この自嘲に、当時の僕は親しみを感じたものだ。ただそれがどんな種類の共感だったのかは、分からなかった。しかしその後、僕は俳句を始めてみて、それがとても俳句的な自嘲であることに気付いた。

「へろへろとワンタンすするクリスマス  不死男」

「年の瀬や浮いて重たき亀の顔      不死男」

新興俳句運動(注:1940~1943年に言論弾圧を受けた)の先頭に立ったことで投獄された秋元不死男(あきもとふじお)の反骨と、宮本の自嘲はよく似ている。クリスマスにワンタンを啜る自画像は、不死男のスタンスを明らかにしている。「年の瀬や」は、自分の顔を亀に重ねての諧謔(かいぎゃく)である。これらは、時代や風俗に対する違和感を鋭く掴み取る宮本の姿勢に通じている。

「薄氷(うすらい)の裏を舐めては金魚沈む 三鬼」。

西東三鬼(さいとうさんき)のこうした句もまた、宮本の自嘲を思わせる。

このDVDの白眉は♪日本の神を中心にして 立派な国を築きたい ハレンチなものは全て隠そう そして民衆は耐えよう♪と歌う「星の砂」だ。先日、某首相が疑惑を招いた某学園の教育方針と酷似しているこの歌のメッセージに、エレカシの予見性を感じて驚いたものだ。

自虐から始まったエレカシを、一躍有名にしたヒット曲「今宵の月のように」(1997年)の歌い出しはこうだ。

♪くだらねえとつぶやいて 醒めたつらして歩く♪。

ここには初期の作品と同じ自嘲がある。しかしこの後、♪いつの日か輝くだろう あふれる熱い涙♪と続く。自嘲の向こう側にある希望を歌ったところで、エレカシはついに市民権を得た。

時代のムードに流されず、正気でいようとする宮本の生き方は、俳人にとってとても刺激的である。厳しい自嘲は、俳句の原点のひとつなのである。

「割(さ)かれたる飛魚の眼の涼しさよ 鴻司」

 

 

【俳句結社誌『鴻』2017年9月号「ON THE STREET」より加筆転載】

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店