HAIKU

2025.09.29
『給食のをばさん』 北大路翼・著 角川書店・刊 

『給食のをばさん』はとても愉快な本だ。句集であると同時に軽妙なエッセイであり、給食のドキュメントであり、ジェンダー差別を横目に自由に生きる人間の宣言でもある。
第一句集『天使の涎』で田中裕明賞を受賞した北大路翼は、歌舞伎町を根城に俳句活動を活発化。周辺の俳人の作品撰集『アウトロー俳句』などを刊行し、『加藤楸邨の百句』で師系である巨匠の解釈を見事にやってのけた。 
その後のある日、翼と呑んでいたら「給食のをばさんになろうと思う。そして『給食のをばさん』という句集を出す」と突然言い出したから驚くやら笑うやら。もしも誰かが僕に「漁師の俳句を作りたいから漁師になる」と言ったとしたら、「俳句は自分の暮らしの中から生み出すものであって、俳句のために職業を変えるのは邪道だ」と一喝しただろう。だが翼の言葉には妙な説得力があり、しかも僕はその時、句集『給食のをばさん』を読みたいと思ったのだ。その辺りのことを翼は『給食のをばさん』の前書きで次のように書いている。
「いはゆる男らしさ、女らしさは良くも悪くも時間をかけてさうなつてきたのであつて無理やり直すことはないと思つてゐる。男は強く、女はやさしくでいいぢやん。でもそれはただの『役』であつて、誰がその役をやつてもいいといふのが理想だ」。さらに、現代社会に憤る翼はこう言い放つ。「こんな世の中に対抗するために僕は『給食のをばさん』にならうと決めた。(中略)僕は僕が思ふ給食のをばちやんをこれから体験してくる。歌舞伎町のチンピラがどんな『をばさん』になるのか自分でも楽しみだ」。
 『給食のをばさん』は日記のような体裁をとっている。新学期の四月から始まり、まずはその日の献立と短いコメントの後に一句が掲載される。
☆四月十日 初出勤。今日は挨拶だけ。休憩室が和室で句会場に来てゐる感じで安心した。 
「春光や白衣のタグのチクチクと」(季語:春光 春)
☆四月十三日 カレーライス・コーンサラダ・オレンジ/給食といへばカレー。僕がこどもの頃より甘い気がする。美味しいけど。
「一年生お盆汚す子汚さぬ子」(季語:一年生 春)
☆四月十八日 麦御飯・鰯の蒲焼き・野菜の味噌汁・三色和え/二日酔ひでお米の炊きあがる湯気に喘いでゐた。仕事に慣れてきたといへなくもない。 
「茶摘み歌牛乳パックつぶしつつ」(季語:茶摘み歌 夏) 
 をばさん生活の滑り出しはまずまずのようだ。それにしても二日酔いのをばさんが、茶摘み歌を歌いながら牛乳パックをつぶしている光景を想像するだけで笑いがこみ上げる。
☆五月十日 豆乳のシーフードクリームライス・隠元豆のスープ/豆乳も隠元のスープもやさしい味と舌触り。かういふところに給食の進化を感じる。ちなみに十日は給与の日。 
「検便のキットともらふ初任給」(季語:初任給 春に準ず) 
☆七月四日 ゆかり御飯・柳葉魚の唐揚げ・南瓜の味噌汁・もやしと小松菜のおかか和え/三年生が俳句の授業を受けてゐた。すこしテンションがあがつた。献立はテンション低め。
「残飯のししやも目を剥く炎天下」(季語:炎天下 夏)
☆七月七日 穴子のちらし寿司・温素麺汁・西瓜/給食も七夕メニュー。残りの牛乳を捨ててミルキーウェイ。
「七夕の給食室に酢の香満つ」(季語:七夕 秋) 
 翼はエッセイの名人だ。ごく短い文章にをばさん生活の実感が込められる。また献立に季節感を込める栄養士の思いもすくい取る。
☆九月四日 ハヤシライス・フレンチサラダ・梨/ひたすら梨の皮剥き。日本梨はすこし小さめ。
「一口の梨を千人分作る」(季語:梨 秋) 
☆十月十二日 里芋御飯・鶏の生姜焼き・味噌汁・胡瓜の土佐和え/嫌がらせのやうに里芋のメニューが続く。美味しいんだけどね。 
「里芋を剥くのも飽きてただ老いる」(季語:里芋 秋) 
 このあたりが給食句の白眉だろう。大量の梨に立ち向かうをばさんたちの脳裏は、子供たちの笑顔で占められている。「里芋」の句には絶妙な諦念があり、まさに季語の本意と言うべきか。
☆十一月十六日 麻婆(高野)豆腐ライス・ワンタンスープ・柿/豆腐に異物混入があり、高野豆腐に変更。楽しみにしてたのに。 
「ワンタンへろへろクリスマスまでまだ遠し」(季語:クリスマス 冬)
☆十二月二十一日 チキンライス・フライドチキンorハンバーグ・野菜スープ・オレンジジュースorグレープジュースor麦茶orジョア/最終日は好きなメニューが選べるセレクト給食。ハンバーグよりフライドチキンが人気。クリスマスが近いからかなあ。僕はハンバーグ。
「世界中の鳥を殺してクリスマス」(季語:クリスマス 冬)
異物混入など、給食トラブルのさまざまな実相がわかる。句はもちろん秋元不死男の「へろへろとワンタンすするクリスマス」のパロディなのだが、脱力した笑いがさすがだ。「セレクト給食」は知らなかった。今ドキではある。
☆三月二十一日 赤飯・鰤の照焼き・筑前煮・エノキのすまし汁/最終日。二週間後にはまた同じメンバーで再開するが、僕らの給食を食べてくれてゐた六年生はゐなくなる。
「ごま塩たつぷり卒業おめでたう」(季語:卒業 春)
あとがきで翼は「とにかくいまの世の中は生きづらい。文学といふ大きなフライパンで必ず世の中ごとひつくり返してやる」と言い切る。その際の署名が「昭和百年四月吉日 北大路翼」となっているのも彼らしくて素敵だ。
「囀りや子らはピラフをよくこぼす 翼」(季語:囀り 春)

             俳句結社誌『鴻』2025年9月号 
          連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2025.09.29
『給食のをばさん』 北大路翼・著 角川書店・刊 

『給食のをばさん』はとても愉快な本だ。句集であると同時に軽妙なエッセイであり、給食のドキュメントであり、ジェンダー差別を横目に自由に生きる人間の宣言でもある。
第一句集『天使の涎』で田中裕明賞を受賞した北大路翼は、歌舞伎町を根城に俳句活動を活発化。周辺の俳人の作品撰集『アウトロー俳句』などを刊行し、『加藤楸邨の百句』で師系である巨匠の解釈を見事にやってのけた。 
その後のある日、翼と呑んでいたら「給食のをばさんになろうと思う。そして『給食のをばさん』という句集を出す」と突然言い出したから驚くやら笑うやら。もしも誰かが僕に「漁師の俳句を作りたいから漁師になる」と言ったとしたら、「俳句は自分の暮らしの中から生み出すものであって、俳句のために職業を変えるのは邪道だ」と一喝しただろう。だが翼の言葉には妙な説得力があり、しかも僕はその時、句集『給食のをばさん』を読みたいと思ったのだ。その辺りのことを翼は『給食のをばさん』の前書きで次のように書いている。
「いはゆる男らしさ、女らしさは良くも悪くも時間をかけてさうなつてきたのであつて無理やり直すことはないと思つてゐる。男は強く、女はやさしくでいいぢやん。でもそれはただの『役』であつて、誰がその役をやつてもいいといふのが理想だ」。さらに、現代社会に憤る翼はこう言い放つ。「こんな世の中に対抗するために僕は『給食のをばさん』にならうと決めた。(中略)僕は僕が思ふ給食のをばちやんをこれから体験してくる。歌舞伎町のチンピラがどんな『をばさん』になるのか自分でも楽しみだ」。
 『給食のをばさん』は日記のような体裁をとっている。新学期の四月から始まり、まずはその日の献立と短いコメントの後に一句が掲載される。
☆四月十日 初出勤。今日は挨拶だけ。休憩室が和室で句会場に来てゐる感じで安心した。 
「春光や白衣のタグのチクチクと」(季語:春光 春)
☆四月十三日 カレーライス・コーンサラダ・オレンジ/給食といへばカレー。僕がこどもの頃より甘い気がする。美味しいけど。
「一年生お盆汚す子汚さぬ子」(季語:一年生 春)
☆四月十八日 麦御飯・鰯の蒲焼き・野菜の味噌汁・三色和え/二日酔ひでお米の炊きあがる湯気に喘いでゐた。仕事に慣れてきたといへなくもない。 
「茶摘み歌牛乳パックつぶしつつ」(季語:茶摘み歌 夏) 
 をばさん生活の滑り出しはまずまずのようだ。それにしても二日酔いのをばさんが、茶摘み歌を歌いながら牛乳パックをつぶしている光景を想像するだけで笑いがこみ上げる。
☆五月十日 豆乳のシーフードクリームライス・隠元豆のスープ/豆乳も隠元のスープもやさしい味と舌触り。かういふところに給食の進化を感じる。ちなみに十日は給与の日。 
「検便のキットともらふ初任給」(季語:初任給 春に準ず) 
☆七月四日 ゆかり御飯・柳葉魚の唐揚げ・南瓜の味噌汁・もやしと小松菜のおかか和え/三年生が俳句の授業を受けてゐた。すこしテンションがあがつた。献立はテンション低め。
「残飯のししやも目を剥く炎天下」(季語:炎天下 夏)
☆七月七日 穴子のちらし寿司・温素麺汁・西瓜/給食も七夕メニュー。残りの牛乳を捨ててミルキーウェイ。
「七夕の給食室に酢の香満つ」(季語:七夕 秋) 
 翼はエッセイの名人だ。ごく短い文章にをばさん生活の実感が込められる。また献立に季節感を込める栄養士の思いもすくい取る。
☆九月四日 ハヤシライス・フレンチサラダ・梨/ひたすら梨の皮剥き。日本梨はすこし小さめ。
「一口の梨を千人分作る」(季語:梨 秋) 
☆十月十二日 里芋御飯・鶏の生姜焼き・味噌汁・胡瓜の土佐和え/嫌がらせのやうに里芋のメニューが続く。美味しいんだけどね。 
「里芋を剥くのも飽きてただ老いる」(季語:里芋 秋) 
 このあたりが給食句の白眉だろう。大量の梨に立ち向かうをばさんたちの脳裏は、子供たちの笑顔で占められている。「里芋」の句には絶妙な諦念があり、まさに季語の本意と言うべきか。
☆十一月十六日 麻婆(高野)豆腐ライス・ワンタンスープ・柿/豆腐に異物混入があり、高野豆腐に変更。楽しみにしてたのに。 
「ワンタンへろへろクリスマスまでまだ遠し」(季語:クリスマス 冬)
☆十二月二十一日 チキンライス・フライドチキンorハンバーグ・野菜スープ・オレンジジュースorグレープジュースor麦茶orジョア/最終日は好きなメニューが選べるセレクト給食。ハンバーグよりフライドチキンが人気。クリスマスが近いからかなあ。僕はハンバーグ。
「世界中の鳥を殺してクリスマス」(季語:クリスマス 冬)
異物混入など、給食トラブルのさまざまな実相がわかる。句はもちろん秋元不死男の「へろへろとワンタンすするクリスマス」のパロディなのだが、脱力した笑いがさすがだ。「セレクト給食」は知らなかった。今ドキではある。
☆三月二十一日 赤飯・鰤の照焼き・筑前煮・エノキのすまし汁/最終日。二週間後にはまた同じメンバーで再開するが、僕らの給食を食べてくれてゐた六年生はゐなくなる。
「ごま塩たつぷり卒業おめでたう」(季語:卒業 春)
あとがきで翼は「とにかくいまの世の中は生きづらい。文学といふ大きなフライパンで必ず世の中ごとひつくり返してやる」と言い切る。その際の署名が「昭和百年四月吉日 北大路翼」となっているのも彼らしくて素敵だ。
「囀りや子らはピラフをよくこぼす 翼」(季語:囀り 春)

             俳句結社誌『鴻』2025年9月号 
          連載コラム【ON THE STREET】より加筆・転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店