HAIKU

2020.01.06
『廃人』 北大路翼 著  春陽堂書店・刊

『廃人』 北大路翼 著  春陽堂書店・刊

 

相変わらずハイペースで刊行を続ける北大路翼の新刊は、初のエッセイ集『廃人』だ。それにしても、このタイトルは何だ? 普通、パソコンで文章を書いている時、「はいじん」と入力して変換キーを叩くと、最初に出てくるのはこの「廃人」。しかし俳句関係者のパソコンでは「俳人」と表示される。なので、たまに他人のパソコンを借りると、俳人が廃人のように思えて、噴き出してしまうことがある。そんな意味も含めて、反則とも思える過激なタイトルに、翼は一体、どんな思いを託したのだろう。

 

『廃人』は三つのセクションに分かれている。第一章は「詠まずにいられるか 思い出の一句」と題され、翼がこれまで発表した作品の中から二十三句を自選し、揮毫している。それらの句は、若手俳人セレクション『新撰21』、第一句集『天使の涎』、第二句集『時の瘡蓋』からの抜粋で、手書きの句には自解のショートコメントが添えられている。例えば「おしぼりの山のおしぼり凍てにけり」(季語:凍てる 冬)の句には、「昨晩が丸々捨てられているようだ。」とある。短くウィットに富んだコメントが、楽しい。それらはおそらく翼が句を作る際の“原風景”なのだろう。

 

次章は「あめつちの詞(ことば)」と題された俳句とエッセイで、この本の核心になっている。

この章の最初のテーマは「アウトロー」だ。翼の主催する俳句集団「屍派」の本拠は、新宿歌舞伎町で最も怪しげな路地に建つ古いビルの一室にある。それゆえ「僕たちの俳句はいつの間にかアウトロー俳句と呼ばれるようになった。」と翼は書いている。だがそれは翼の本意ではない。風俗や精神疾患などを題材に詠んでいるからアウトロー俳句と呼びたくなるのだろうが、屍派のテーマはあくまで歌舞伎町に棲息する人たちの普段の生活や感情なのだ。

翼は歌舞伎町に生きる人々の、飾らない生き方に魅せられた。彼らは常識からはみ出してはいるが、だからといって反社会的な人々ではない。無軌道ではなく、他人とは異なる自分だけのルールに忠実なだけだ。そして、ルールがなければ「遊び」は成り立たないと翼は言う。たとえば俳句は、有季定型という厳しいルールがあるから面白いし、だからこそ季語のない句や自由律の句を作りたくなるのだとも言う。

 

このあたりに、翼の標榜する“アウトロー俳句”の真意が見えてくる。単に“アブナイ奴の俳句”とされてきた翼の俳句は、実は有季定型の素晴らしさや面白さを知っているからこそのものなのだ。俳句の型に敬意を払いながら、楽しみ、信じ、疑い、壊し、自分に即したスタイルを模索する。こうした翼の真摯な思いを象徴するように、この項の締めには、「冷奴箸を汚さず崩しけり 翼」(季語:冷奴 夏)の句が添えられている。

「名人」と題された項は、「名人と呼ばれる俳人を寡聞にして知らない。」という文章から始まる。俳人独特の謙遜がそうさせるのだろうが、俳句はある種、勝負であり文芸なのだから、秀でた者が名人と呼ばれてもいいのではないかと問う。さらに、いつかは自分も名人と呼ばれたいと告白する。そして「技術偏重の俳句が嫌われることもあるのだろうが、僕は技術を否定しない。」とも書いている。この言葉を意外に思う人がいるかもしれない。だが、翼が徹底的に技術を磨いてきたのは事実だ。ウーロンハイやキャバ嬢など、これまで俳句に登場しなかった素材や怪しげな言葉を操る翼だが、だからといって技術否定の無手勝流俳人ではない。彼の技術論を俳句にすれば、「風鈴の風待つやうな技術かな 翼」(季語:風鈴 夏)となる。

 

最後の章「技巧一閃」では、俳句のテクノロジーを翼流に分析する。多くの俳句入門書が“思い”と“テクニック”を混同しているのに対して、翼は思いとテクニックは別モノだと主張する。写生や観察における作者と対象についての考証は、思いを排除することによってすっきりとした技術論になる。「定型においては理屈のない自由はない」という指摘は、実に的を得ている。それが翼流のアウトローだからだ。

 

その他、この本の特色としては、なんとグラビアがついている。もちろん被写体は翼で、その写真がカッコいいのだ。なんでも担当編集者が、以前はアイドル本を作っていた人で、AKB48などを撮っているカメラマンを起用してくれたのだという。「写真ばっかり褒める人が多い」と翼はボヤいていた。だが、グラビアページに書き下ろされている新作は、変化を止めない翼の直近の俳句が楽しめる。この本の出版パーティで会った翼は、今春、第三句集を出すと言っていた。

北大路翼とほぼ毎月句会を行ない、作品の変化を見て来た僕にとって、この本に収められているエッセイの形をとった彼の俳句論は、発見の多いものだった。この本の帯に奥田瑛二が寄せた「廃人…まさに俳人…いつの世も実はアバンギャルドが支配している」というコメントは、勇気を持って伝統文芸の未来に挑めと言っているように思えた。今年も精一杯、俳句を楽しみましょう。よろしくお願いします。

「初日の出指揮者のやうにあらはるる 翼」(季語:初日 新年)

 

俳句結社誌『鴻』2020年1月号 コラム「on the Street 」より加筆転載

ARCHIVES
search

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
PAGE TOP
2020.01.06
『廃人』 北大路翼 著  春陽堂書店・刊

『廃人』 北大路翼 著  春陽堂書店・刊

 

相変わらずハイペースで刊行を続ける北大路翼の新刊は、初のエッセイ集『廃人』だ。それにしても、このタイトルは何だ? 普通、パソコンで文章を書いている時、「はいじん」と入力して変換キーを叩くと、最初に出てくるのはこの「廃人」。しかし俳句関係者のパソコンでは「俳人」と表示される。なので、たまに他人のパソコンを借りると、俳人が廃人のように思えて、噴き出してしまうことがある。そんな意味も含めて、反則とも思える過激なタイトルに、翼は一体、どんな思いを託したのだろう。

 

『廃人』は三つのセクションに分かれている。第一章は「詠まずにいられるか 思い出の一句」と題され、翼がこれまで発表した作品の中から二十三句を自選し、揮毫している。それらの句は、若手俳人セレクション『新撰21』、第一句集『天使の涎』、第二句集『時の瘡蓋』からの抜粋で、手書きの句には自解のショートコメントが添えられている。例えば「おしぼりの山のおしぼり凍てにけり」(季語:凍てる 冬)の句には、「昨晩が丸々捨てられているようだ。」とある。短くウィットに富んだコメントが、楽しい。それらはおそらく翼が句を作る際の“原風景”なのだろう。

 

次章は「あめつちの詞(ことば)」と題された俳句とエッセイで、この本の核心になっている。

この章の最初のテーマは「アウトロー」だ。翼の主催する俳句集団「屍派」の本拠は、新宿歌舞伎町で最も怪しげな路地に建つ古いビルの一室にある。それゆえ「僕たちの俳句はいつの間にかアウトロー俳句と呼ばれるようになった。」と翼は書いている。だがそれは翼の本意ではない。風俗や精神疾患などを題材に詠んでいるからアウトロー俳句と呼びたくなるのだろうが、屍派のテーマはあくまで歌舞伎町に棲息する人たちの普段の生活や感情なのだ。

翼は歌舞伎町に生きる人々の、飾らない生き方に魅せられた。彼らは常識からはみ出してはいるが、だからといって反社会的な人々ではない。無軌道ではなく、他人とは異なる自分だけのルールに忠実なだけだ。そして、ルールがなければ「遊び」は成り立たないと翼は言う。たとえば俳句は、有季定型という厳しいルールがあるから面白いし、だからこそ季語のない句や自由律の句を作りたくなるのだとも言う。

 

このあたりに、翼の標榜する“アウトロー俳句”の真意が見えてくる。単に“アブナイ奴の俳句”とされてきた翼の俳句は、実は有季定型の素晴らしさや面白さを知っているからこそのものなのだ。俳句の型に敬意を払いながら、楽しみ、信じ、疑い、壊し、自分に即したスタイルを模索する。こうした翼の真摯な思いを象徴するように、この項の締めには、「冷奴箸を汚さず崩しけり 翼」(季語:冷奴 夏)の句が添えられている。

「名人」と題された項は、「名人と呼ばれる俳人を寡聞にして知らない。」という文章から始まる。俳人独特の謙遜がそうさせるのだろうが、俳句はある種、勝負であり文芸なのだから、秀でた者が名人と呼ばれてもいいのではないかと問う。さらに、いつかは自分も名人と呼ばれたいと告白する。そして「技術偏重の俳句が嫌われることもあるのだろうが、僕は技術を否定しない。」とも書いている。この言葉を意外に思う人がいるかもしれない。だが、翼が徹底的に技術を磨いてきたのは事実だ。ウーロンハイやキャバ嬢など、これまで俳句に登場しなかった素材や怪しげな言葉を操る翼だが、だからといって技術否定の無手勝流俳人ではない。彼の技術論を俳句にすれば、「風鈴の風待つやうな技術かな 翼」(季語:風鈴 夏)となる。

 

最後の章「技巧一閃」では、俳句のテクノロジーを翼流に分析する。多くの俳句入門書が“思い”と“テクニック”を混同しているのに対して、翼は思いとテクニックは別モノだと主張する。写生や観察における作者と対象についての考証は、思いを排除することによってすっきりとした技術論になる。「定型においては理屈のない自由はない」という指摘は、実に的を得ている。それが翼流のアウトローだからだ。

 

その他、この本の特色としては、なんとグラビアがついている。もちろん被写体は翼で、その写真がカッコいいのだ。なんでも担当編集者が、以前はアイドル本を作っていた人で、AKB48などを撮っているカメラマンを起用してくれたのだという。「写真ばっかり褒める人が多い」と翼はボヤいていた。だが、グラビアページに書き下ろされている新作は、変化を止めない翼の直近の俳句が楽しめる。この本の出版パーティで会った翼は、今春、第三句集を出すと言っていた。

北大路翼とほぼ毎月句会を行ない、作品の変化を見て来た僕にとって、この本に収められているエッセイの形をとった彼の俳句論は、発見の多いものだった。この本の帯に奥田瑛二が寄せた「廃人…まさに俳人…いつの世も実はアバンギャルドが支配している」というコメントは、勇気を持って伝統文芸の未来に挑めと言っているように思えた。今年も精一杯、俳句を楽しみましょう。よろしくお願いします。

「初日の出指揮者のやうにあらはるる 翼」(季語:初日 新年)

 

俳句結社誌『鴻』2020年1月号 コラム「on the Street 」より加筆転載

ARCHIVES
search
弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店