HAIKU

2017.05.07
世界でいちばん美しい村

映画『世界でいちばん美しい村』 監督・石川梵

 

句会仲間の倍賞千恵子さんに勧められて、映画『世界でいちばん美しい村』を観た。倍賞さんはこの映画のナレーションを担当していて、誰よりも先に映像の全貌に触れ、周囲の人たちに観ることを勧めていた。僕も昨年末に勧められ、公開を楽しみに待っていた。

2015年にネパールを襲った大地震の報を受けて、写真家・石川梵は地震からわずか3日後に首都カトマンズに到着。死者9千人、負傷者2万余人という甚大な被害の実際をレポートした後、震源地に向かうことにした。救助も報道もカトマンズに集中し、最大の被害を受けた震源地周辺の情報がほとんど入って来なかったからだ。石川は非常食糧をリュックに詰めて車で行けるところまで行き、後は徒歩でゴルカ郡ラプラック村に入った。急峻な斜面に拓かれた村は、地震で地盤が緩んで危険なため、村民4千人は最寄の高原のキャンプに避難していた。

この映画はラプラック村に暮らす人々の震災後を追ったドキュメンタリーである。普通ならタイトルは“世界でいちばん大変な村”となるだろう。しかし映画を観た後、僕は『世界でいちばん美しい村』というタイトルに心底納得した。おそらく石川監督も、最初は“世界一大変な村”を撮りに行ったのだと思う。だが天災に立ち向かう村人たちを写すうちに、彼らの“美しさ”が主題になっていった。作っている本人の心が動いたから、焦点が変わった。その動きこそが、この映画の命だ。

石川は30年以上にわたって、空撮で地球の歴史を切り取り、人々の祈りの現場を撮ることで人間の原点を探ってきた。東日本大震災の際もすぐに被災地に駆けつけ、撮影し続けたカメラマンの一人である。ネパールにもカメラマンとして入ったのだが、ラプラック村を何度も訪れるうちに、村の状況を映画として発信することを決意し、彼の最初の監督作品になった。

 

ネパールはヒマラヤの高峰に囲まれた国で、80年前にも大地震があり、大きな被害を受けたものの、国民の大半は伝統的な暮らしを続けている。ラプラック村は標高2700メートルにある山村で、村人は彼らを見守るようにそそり立つブッダヒマール峰(6672メートル)を信仰し、映画では農作業はもちろん、ヒマラヤオオミツバチの蜜採集など、彼の地の美しい自然や暮らしの有り様が紹介されている。

村を狭しと駆け回る野生児・アシュトバルとの出会いを軸にして、このドキュメンタリー映画は進行する。父親の仕事は水牛の放牧で、アシュトバルはその手伝いをする。水牛に頭をベロベロ舐められたアシュトバルが、「頭を洗っているんだ」と気負って言うシーンは、土地や動物と少年の一体感を表現していて見事だ。またアシュトバルの妹プナムは、震災直後に瓦礫の中から救出されたものの、一緒に遊んでいた友達は命を落した。その心の傷を抱きつつ、彼女は7歳とは思えない賢さと優しさをもって周囲を和ませる。プナムとアシュトバルの兄妹愛も切実で、感動的だった。

一方で、住み慣れた家を離れたくない老女が、行政の説得に応じずに危険な村に居続ける。家族は土地の危険さと老女の気持ちのどちらもわかるために、対処に苦しむ。あるいは、たった一人で村の医療を引き受けてきた看護師が、村人の信仰心の強さを知りながらも、大自然の無慈悲な仕打ちに「神も仏もいるものか」と涙を流して悩む。それでも神秘的な宗教ダンスや、父親が放牧から帰ってきたことを喜ぶプナムの素朴な歌声に接していると、人々がどれだけ強く土地と結びついているのかがわかり、問題の複雑さが伝わってくる。自然は危険であると同時に、恵みも与えてくれるのだ。

ラプラック村の人々は、祭の日が来ると当たり前のように村に集まり、残った人もキャンプ地に暮らす人も、一緒にブッダヒマールに祈りを捧げる。村内の坂道に昔から生えている大木に敬意を払い、狭い村道を楽しそうに練り歩く。次々に登場する魅力的なキャラクターと、彼らの純朴な行いが、かけがえのない美しさをもって観る者に迫ってくる。ここに至って、映画は『世界でいちばん美しい村』になったのだった。

 

 

「天使像瓦礫となりぬ卒業す  関悦史」

「逢ひたき人以外とは遇ふ祭かな  同」

「年暮れてわが子のごとく祖母逝かしむ  同」

映画が進むにつれて、東日本大震災や介護を詠んだ関悦史の句を、僕は思い出していた。単なる自然崇拝や先祖礼賛ではなく、自らの生きる風土への相反する思いを呑みこんだ句群である。悦史の句は、詠みぶりは厳しいが、根底に熱い生命力を秘めている。災害や運命と対峙するときに生まれくる“詩”の典型と言ってもいいだろう。そこには『世界でいちばん美しい村』に通じる逞しさと儚さがある。(注:「逢ひたき人以外とは遇ふ祭かな」の句は、“会いたい”よりも強い表現の“逢う”が遣われ、偶然に会うという意味の“遇う”と遣い分けている)

この映画は、音楽も素晴らしい。音楽を担当したスペイン在住のネパール人音楽家ビノード・カトゥワルは、横笛のバンスリ奏者でもあり、祖国のためにボランティアで音楽を提供したという。

 

東日本大震災もネパール大地震も、空撮も人々の祈りも、石川監督のすべてのキャリアが活かされた映画である。倍賞さんのナレーションも素晴らしかった。僕が銀座の東劇でこの映画を観た際、監督と倍賞さんのトークショーがあり、監督は「いい映画は旅をする」とおっしゃっていた。今後、仙台や川崎、京都など全国各地で公開が予定されているが、希望があればどこででも上映したいとも語っていた。興味のある方はぜひ鑑賞を勧めたい。

「氷室守(ひむろもり)清き草履(ぞうり)のうらを干す  前田普羅」

 

(上映情報の詳細は『世界でいちばん美しい村』のホームページhttps://himalaya-laprak.com/ 参照。また関悦史は、1969年、茨城県生まれ。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』で第3回田中裕明賞を受賞している。)

なおこの文章は俳句結社誌「鴻」に掲載した記事を元に加筆した。「鴻」に興味のある方はホームページまで。 http://www.geocities.jp/koh_haikukai/。

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BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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世界でいちばん美しい村

映画『世界でいちばん美しい村』 監督・石川梵

 

句会仲間の倍賞千恵子さんに勧められて、映画『世界でいちばん美しい村』を観た。倍賞さんはこの映画のナレーションを担当していて、誰よりも先に映像の全貌に触れ、周囲の人たちに観ることを勧めていた。僕も昨年末に勧められ、公開を楽しみに待っていた。

2015年にネパールを襲った大地震の報を受けて、写真家・石川梵は地震からわずか3日後に首都カトマンズに到着。死者9千人、負傷者2万余人という甚大な被害の実際をレポートした後、震源地に向かうことにした。救助も報道もカトマンズに集中し、最大の被害を受けた震源地周辺の情報がほとんど入って来なかったからだ。石川は非常食糧をリュックに詰めて車で行けるところまで行き、後は徒歩でゴルカ郡ラプラック村に入った。急峻な斜面に拓かれた村は、地震で地盤が緩んで危険なため、村民4千人は最寄の高原のキャンプに避難していた。

この映画はラプラック村に暮らす人々の震災後を追ったドキュメンタリーである。普通ならタイトルは“世界でいちばん大変な村”となるだろう。しかし映画を観た後、僕は『世界でいちばん美しい村』というタイトルに心底納得した。おそらく石川監督も、最初は“世界一大変な村”を撮りに行ったのだと思う。だが天災に立ち向かう村人たちを写すうちに、彼らの“美しさ”が主題になっていった。作っている本人の心が動いたから、焦点が変わった。その動きこそが、この映画の命だ。

石川は30年以上にわたって、空撮で地球の歴史を切り取り、人々の祈りの現場を撮ることで人間の原点を探ってきた。東日本大震災の際もすぐに被災地に駆けつけ、撮影し続けたカメラマンの一人である。ネパールにもカメラマンとして入ったのだが、ラプラック村を何度も訪れるうちに、村の状況を映画として発信することを決意し、彼の最初の監督作品になった。

 

ネパールはヒマラヤの高峰に囲まれた国で、80年前にも大地震があり、大きな被害を受けたものの、国民の大半は伝統的な暮らしを続けている。ラプラック村は標高2700メートルにある山村で、村人は彼らを見守るようにそそり立つブッダヒマール峰(6672メートル)を信仰し、映画では農作業はもちろん、ヒマラヤオオミツバチの蜜採集など、彼の地の美しい自然や暮らしの有り様が紹介されている。

村を狭しと駆け回る野生児・アシュトバルとの出会いを軸にして、このドキュメンタリー映画は進行する。父親の仕事は水牛の放牧で、アシュトバルはその手伝いをする。水牛に頭をベロベロ舐められたアシュトバルが、「頭を洗っているんだ」と気負って言うシーンは、土地や動物と少年の一体感を表現していて見事だ。またアシュトバルの妹プナムは、震災直後に瓦礫の中から救出されたものの、一緒に遊んでいた友達は命を落した。その心の傷を抱きつつ、彼女は7歳とは思えない賢さと優しさをもって周囲を和ませる。プナムとアシュトバルの兄妹愛も切実で、感動的だった。

一方で、住み慣れた家を離れたくない老女が、行政の説得に応じずに危険な村に居続ける。家族は土地の危険さと老女の気持ちのどちらもわかるために、対処に苦しむ。あるいは、たった一人で村の医療を引き受けてきた看護師が、村人の信仰心の強さを知りながらも、大自然の無慈悲な仕打ちに「神も仏もいるものか」と涙を流して悩む。それでも神秘的な宗教ダンスや、父親が放牧から帰ってきたことを喜ぶプナムの素朴な歌声に接していると、人々がどれだけ強く土地と結びついているのかがわかり、問題の複雑さが伝わってくる。自然は危険であると同時に、恵みも与えてくれるのだ。

ラプラック村の人々は、祭の日が来ると当たり前のように村に集まり、残った人もキャンプ地に暮らす人も、一緒にブッダヒマールに祈りを捧げる。村内の坂道に昔から生えている大木に敬意を払い、狭い村道を楽しそうに練り歩く。次々に登場する魅力的なキャラクターと、彼らの純朴な行いが、かけがえのない美しさをもって観る者に迫ってくる。ここに至って、映画は『世界でいちばん美しい村』になったのだった。

 

 

「天使像瓦礫となりぬ卒業す  関悦史」

「逢ひたき人以外とは遇ふ祭かな  同」

「年暮れてわが子のごとく祖母逝かしむ  同」

映画が進むにつれて、東日本大震災や介護を詠んだ関悦史の句を、僕は思い出していた。単なる自然崇拝や先祖礼賛ではなく、自らの生きる風土への相反する思いを呑みこんだ句群である。悦史の句は、詠みぶりは厳しいが、根底に熱い生命力を秘めている。災害や運命と対峙するときに生まれくる“詩”の典型と言ってもいいだろう。そこには『世界でいちばん美しい村』に通じる逞しさと儚さがある。(注:「逢ひたき人以外とは遇ふ祭かな」の句は、“会いたい”よりも強い表現の“逢う”が遣われ、偶然に会うという意味の“遇う”と遣い分けている)

この映画は、音楽も素晴らしい。音楽を担当したスペイン在住のネパール人音楽家ビノード・カトゥワルは、横笛のバンスリ奏者でもあり、祖国のためにボランティアで音楽を提供したという。

 

東日本大震災もネパール大地震も、空撮も人々の祈りも、石川監督のすべてのキャリアが活かされた映画である。倍賞さんのナレーションも素晴らしかった。僕が銀座の東劇でこの映画を観た際、監督と倍賞さんのトークショーがあり、監督は「いい映画は旅をする」とおっしゃっていた。今後、仙台や川崎、京都など全国各地で公開が予定されているが、希望があればどこででも上映したいとも語っていた。興味のある方はぜひ鑑賞を勧めたい。

「氷室守(ひむろもり)清き草履(ぞうり)のうらを干す  前田普羅」

 

(上映情報の詳細は『世界でいちばん美しい村』のホームページhttps://himalaya-laprak.com/ 参照。また関悦史は、1969年、茨城県生まれ。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』で第3回田中裕明賞を受賞している。)

なおこの文章は俳句結社誌「鴻」に掲載した記事を元に加筆した。「鴻」に興味のある方はホームページまで。 http://www.geocities.jp/koh_haikukai/。

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