MUSIC

2016.08.17
【奥田民生 弾き語り物語】弱虫のロック論発売記念ライブを さらに楽しく見る方法その1

2013年2月、平山は音楽評論集『弱虫のロック論』を出版。ちょうど還暦を迎えたばかりの時期だったので、出版日に記念イベント@Zepp TOKYOを開催した。出演してくれたのは、奥田民生とASIAN KUNG-FU GENERATIONだった。この2組の“偉大なのに威張らないアーティスト”は、僕にとって理想の「弱虫のロック・ミュージシャン」だったので、とても意味のある対バンになった。
この2組は、互いにリスペクトし合っていた。奥田は広島市民球場での“ひとり股旅”でアジカンの「君という花」をカバーしていたし、アジカン後藤正文は奥田の大ファンで、この市民球場で奥田がたったひとりでライブを行なうという偉業をいちファンとして見に来ていた。なので、この対バン・ライブは、自然と素晴らしいものになった。

イベント当日、楽屋入りした奥田に感謝の挨拶に行くと、「平山さん、なんか好きな曲があれば歌うよ」と奥田。「えーっ!? リクエストしていいの?」と驚く平山。突然の嬉しい申し出に、とっさに思い浮かんだのは、「家に帰れば」という曲だった。その頃の僕の頭の中でずっと鳴っていた曲だった。♪おつかれさん おつかれさん♪という歌詞が、妙に自分にフィットしていた。別に僕が本当に疲れ切っていたわけではない。が、非常に巧みに作られたメロディと構成が、力の抜けた歌詞とマッチしていて、僕の頭の中のヘビー・ローテーションになっていた。「あ、そう」と答える奥田。彼はこの日のライブで、「家に帰れば」を歌ってくれたのである。思わぬビッグプレゼントに、僕は心底喜んだ。
またアンコールではアジカンがステージに奥田を呼び込んで、メンバーたちが大好きだという「マシマロ」を選べば、奥田は「君という花」をチョイス。弱虫代表の2組が、この2曲を一緒に歌ってくれて、大感激の一夜になった。
(このライブのレポートは、“かけら”さんのブログに詳しいので、ぜひ読んでみてください。http://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/8524d3926589a1f534b21ce0ce29350d
このレポ、好きだなあ)

僕は奥田のバンドでのパフォーマンスも好きだが、“弾き語る民生”にも非常に魅かれている。その理由は、①弾き語り用のアレンジが素晴らしい ②セットリストが素晴らしい ③リズムボックスなどの小道具を含めた独特の雰囲気が素晴らしい からだ。先の対バン・イベントでもそうだったが、当日に歌う曲を決めるという臨機応変な選曲が、結果、素晴らしいライブを生む。
もちろん今回の『弱虫のロック論2(仮)』リリース・パーティでもセットリストはまだどうなるかわからないが、きっと面白くて深みのある“弾き語り”を奥田が聴かせてくれるに違いない。平山としては、本当に感謝です!
そこでこの『奥田民生 弾き語り物語』では、“奥田弾き語り”の魅力を順を追って書いてみたいと思う。奥田の弾き語りは、徐々に進化しながら今日のスタイルに至っているのである。

1994年にシングル「愛のために」でソロデビューした奥田は、96年にはPUFFYをプロデュース、97年には井上陽水とコラボしてアルバムを発表し、ツアーも行なった。そして98年、アルバム『股旅』を発表。その年の秋に弾き語りライブ“ひとり股旅”ツアーに出たのだった。
僕は1998年10月5日の初日@CLUB CITTA`川崎の初日と、ツアー終盤の11月16日の日本武道館を観に行った。
松本人志からもらった作務衣を着て、頭にはタオルを巻く。キャスターの付いた事務用椅子に座り、脇にはリズムボックスが置いてある。周囲を愛用のギターに取り囲まれ、もちろん酒も灰皿も用意してある。どこまでも型破りな衣装とステージセット(?)が、注目を浴びた。
MTVに端を発したアンプラグド・ライブとも違い、ましてやロックバンドが座って歌うだけの“なんちゃってアコースティック”とも異なる奥田の“ひとり股旅”は、弾き語りに合わせてアレンジが充分に練り込まれていて、バンドのグルーヴをギター1本で表現できていることが画期的だった。たとえば奥田の初期の名曲「ロボッチ」は、ドラムとベースが大活躍するブルースロック・ナンバーだが、奥田は非常に重たいリズムをギター1本で奏でながら歌った。その迫力は、ある意味、バンド演奏以上の味わいがあって、僕は驚いたものだ。
リズムを補うリズムボックスは、業界用語で“ドンカマ”と呼ばれるとぼけた音色のマシンで、通常のライブで使用されることはまずない。なので武道館でその楽器が鳴り響いたとき、大爆笑が起こった。
またカバー曲もセンスが良く、中村雅俊の「俺たちの旅」などが歌われたりした。僕がいちばん感激したのは、奥田がPUFFYに提供した「MOTHER」だった。ナチュラルなライフスタイルを願うこの歌の一語一語を、噛みしめるように歌う奥田の「MOTHER」は、PUFFYのそれとはまったく違うものだった。おそらくそれは奥田がPUFFYに渡したデモテープとも異なる、オリジナルな弾き語りだった。
セルフカバーの真骨頂がここにあった。正直、僕は奥田が武道館をたった一人でやると聞いたとき、「大丈夫なのかな?」と少しだけ心配したが、大きなお世話だったと思い知らされた。アンコールで歌った「イージュー☆ライダー」は、この後も弾き語りで何度も歌われ、バンドとはひと味もふた味も違う弾き語りの定番曲になっていく。
ちなみにこのツアーは、最低限の機材を積んだ車にスタッフと奥田が乗り込んで全国を回った。ツアー終了後、奥田は「二度とやるか」と言ったそうだが、結果、大きな評判を呼んだ。そして6年後の2004年に、広島市民球場でまた“奥田弾き語り”の勇姿が見られることになる。まさに現在の“奥田弾き語り”の原点となったツアーだった。

〈その1〉を書いていて、ますます10月4日の『弱虫のロック論2(仮)』リリース・パーティ(特設ページhttps://www.yuichihirayama.jp/yowamushirock/)が楽しみになってきた。この後の進化については〈その2〉に続きます。

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2016.08.17
【奥田民生 弾き語り物語】弱虫のロック論発売記念ライブを さらに楽しく見る方法その1

2013年2月、平山は音楽評論集『弱虫のロック論』を出版。ちょうど還暦を迎えたばかりの時期だったので、出版日に記念イベント@Zepp TOKYOを開催した。出演してくれたのは、奥田民生とASIAN KUNG-FU GENERATIONだった。この2組の“偉大なのに威張らないアーティスト”は、僕にとって理想の「弱虫のロック・ミュージシャン」だったので、とても意味のある対バンになった。
この2組は、互いにリスペクトし合っていた。奥田は広島市民球場での“ひとり股旅”でアジカンの「君という花」をカバーしていたし、アジカン後藤正文は奥田の大ファンで、この市民球場で奥田がたったひとりでライブを行なうという偉業をいちファンとして見に来ていた。なので、この対バン・ライブは、自然と素晴らしいものになった。

イベント当日、楽屋入りした奥田に感謝の挨拶に行くと、「平山さん、なんか好きな曲があれば歌うよ」と奥田。「えーっ!? リクエストしていいの?」と驚く平山。突然の嬉しい申し出に、とっさに思い浮かんだのは、「家に帰れば」という曲だった。その頃の僕の頭の中でずっと鳴っていた曲だった。♪おつかれさん おつかれさん♪という歌詞が、妙に自分にフィットしていた。別に僕が本当に疲れ切っていたわけではない。が、非常に巧みに作られたメロディと構成が、力の抜けた歌詞とマッチしていて、僕の頭の中のヘビー・ローテーションになっていた。「あ、そう」と答える奥田。彼はこの日のライブで、「家に帰れば」を歌ってくれたのである。思わぬビッグプレゼントに、僕は心底喜んだ。
またアンコールではアジカンがステージに奥田を呼び込んで、メンバーたちが大好きだという「マシマロ」を選べば、奥田は「君という花」をチョイス。弱虫代表の2組が、この2曲を一緒に歌ってくれて、大感激の一夜になった。
(このライブのレポートは、“かけら”さんのブログに詳しいので、ぜひ読んでみてください。http://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/8524d3926589a1f534b21ce0ce29350d
このレポ、好きだなあ)

僕は奥田のバンドでのパフォーマンスも好きだが、“弾き語る民生”にも非常に魅かれている。その理由は、①弾き語り用のアレンジが素晴らしい ②セットリストが素晴らしい ③リズムボックスなどの小道具を含めた独特の雰囲気が素晴らしい からだ。先の対バン・イベントでもそうだったが、当日に歌う曲を決めるという臨機応変な選曲が、結果、素晴らしいライブを生む。
もちろん今回の『弱虫のロック論2(仮)』リリース・パーティでもセットリストはまだどうなるかわからないが、きっと面白くて深みのある“弾き語り”を奥田が聴かせてくれるに違いない。平山としては、本当に感謝です!
そこでこの『奥田民生 弾き語り物語』では、“奥田弾き語り”の魅力を順を追って書いてみたいと思う。奥田の弾き語りは、徐々に進化しながら今日のスタイルに至っているのである。

1994年にシングル「愛のために」でソロデビューした奥田は、96年にはPUFFYをプロデュース、97年には井上陽水とコラボしてアルバムを発表し、ツアーも行なった。そして98年、アルバム『股旅』を発表。その年の秋に弾き語りライブ“ひとり股旅”ツアーに出たのだった。
僕は1998年10月5日の初日@CLUB CITTA`川崎の初日と、ツアー終盤の11月16日の日本武道館を観に行った。
松本人志からもらった作務衣を着て、頭にはタオルを巻く。キャスターの付いた事務用椅子に座り、脇にはリズムボックスが置いてある。周囲を愛用のギターに取り囲まれ、もちろん酒も灰皿も用意してある。どこまでも型破りな衣装とステージセット(?)が、注目を浴びた。
MTVに端を発したアンプラグド・ライブとも違い、ましてやロックバンドが座って歌うだけの“なんちゃってアコースティック”とも異なる奥田の“ひとり股旅”は、弾き語りに合わせてアレンジが充分に練り込まれていて、バンドのグルーヴをギター1本で表現できていることが画期的だった。たとえば奥田の初期の名曲「ロボッチ」は、ドラムとベースが大活躍するブルースロック・ナンバーだが、奥田は非常に重たいリズムをギター1本で奏でながら歌った。その迫力は、ある意味、バンド演奏以上の味わいがあって、僕は驚いたものだ。
リズムを補うリズムボックスは、業界用語で“ドンカマ”と呼ばれるとぼけた音色のマシンで、通常のライブで使用されることはまずない。なので武道館でその楽器が鳴り響いたとき、大爆笑が起こった。
またカバー曲もセンスが良く、中村雅俊の「俺たちの旅」などが歌われたりした。僕がいちばん感激したのは、奥田がPUFFYに提供した「MOTHER」だった。ナチュラルなライフスタイルを願うこの歌の一語一語を、噛みしめるように歌う奥田の「MOTHER」は、PUFFYのそれとはまったく違うものだった。おそらくそれは奥田がPUFFYに渡したデモテープとも異なる、オリジナルな弾き語りだった。
セルフカバーの真骨頂がここにあった。正直、僕は奥田が武道館をたった一人でやると聞いたとき、「大丈夫なのかな?」と少しだけ心配したが、大きなお世話だったと思い知らされた。アンコールで歌った「イージュー☆ライダー」は、この後も弾き語りで何度も歌われ、バンドとはひと味もふた味も違う弾き語りの定番曲になっていく。
ちなみにこのツアーは、最低限の機材を積んだ車にスタッフと奥田が乗り込んで全国を回った。ツアー終了後、奥田は「二度とやるか」と言ったそうだが、結果、大きな評判を呼んだ。そして6年後の2004年に、広島市民球場でまた“奥田弾き語り”の勇姿が見られることになる。まさに現在の“奥田弾き語り”の原点となったツアーだった。

〈その1〉を書いていて、ますます10月4日の『弱虫のロック論2(仮)』リリース・パーティ(特設ページhttps://www.yuichihirayama.jp/yowamushirock/)が楽しみになってきた。この後の進化については〈その2〉に続きます。

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店