HAIKU

2019.02.19
冬に聴きたいCD『CHABO』 歌と演奏・仲井戸麗市
chabo

CD『CHABO』 歌と演奏・仲井戸麗市 発売・マスタードレコード

 

いよいよ冬本番。温暖化といえど、日本にきちんと冬が来ることに少し安心する。それは、これまで作られてきた冬の俳句が、俳句ファンに実感をもって読まれ続けることを約束してくれるからだ。昨今の天候不順はこの安心を揺さぶって止まないが、それでも今しばらくは冬の季語が有効であり続けるだろう。

 

「手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太」(季語:落葉 冬)

「霜強し蓮華(れんげ)と開く八ヶ獄(やつがたけ) 前田普羅」(季語:霜 冬)

「薔薇色の空に鐘鳴る氷かな 川端茅舎」(季語:氷 冬)

僕の好きな冬の句だ。厳しい季節だからこそ見えてくるものがある。それらは、寒気によって日常から削り出された詩情の塊のように思える。龍太の句は、色のない冬の里山に見え隠れする父の掌が、孤高を思わせる。普羅(ふら)の句では、寒さが清浄な仏性を呼び起こす。茅舎(ぼうしゃ)の句には、冬の音そのものがユニークな角度から詠まれている。これらの句は、ふとした瞬間に思い出され、冬の実感を僕に突きつける。

そして僕には寒い日々が続くと、聴きたくなるアルバムがいくつかある。その第一は仲井戸麗市の『CHABO』だ。仲井戸は、亡くなったRCサクセションの忌野清志郎の相棒として知られるギタリストで、自身も個性的なボーカリストである。一九五〇年、新宿生まれ。一九七一年に“古井戸”としてデビューして、その後、RCサクセションに加入した。今回、取り上げた『CHABO』は、デビュー四十五周年を記念してニ〇一五年に発表されたソロアルバムで、彼の愛称“CHABO=チャボ”がそのままアルバム・タイトルになっている。

 

ドラム、ベース、ギター、キーボードという必要最小限のバンド編成で奏でられるサウンドは、いぶし銀のように鈍く、だが美しい光を放つ。それこそ茅舎の詠んだ“冬の音”のようだ。そうした音の中で歌われるのは、バンドマンの日常から漏れてくる呟(つぶや)きだ。サラリーマンのそれとは違って、無頼な響きがある。たとえば「ま、いずれにせよ」という歌では、♪人の行く方と水の流れ さて どこに我が身を置こう♪とボヤく。その上で♪心は二つ 身は一つ さて どこに我が身を置こう♪と相反する感情を真っ直ぐに吐露するあたりが、実に仲井戸らしい。

「鉄鉢(てっぱつ)の中へも霰(あられ)」(季語:霰 冬)

「けふは凩(こがらし)のはがき一枚」(季語:凩 冬)

どちらも山頭火の句。両句に響く乾いたサウンドは、『CHABO』で聴けるバンドの音に似ている。鉄の鉢に飛び込んだ霰が、カラカラと鳴る。厳しさと明るさが同居する、不思議な句だ。もう一つの句も、凩の孤独と、はがきの届く嬉しさが、拮抗しながら確かに両立している。これらは、矛盾するからこそ美しい。

仲井戸は「灰とダイヤモンド」という曲で、♪俺が燃えつきて消える時 そこに残るだろう 灰とダイヤモンド♪と歌っている。山頭火の詠んだ“相克する感情”は、まさに“灰”と“ダイヤモンド”なのかもしれない。

「オーイっ!」という曲では、ブルース・ロックのリズムに乗せた♪オーイ オーイ♪という呼びかけに続いて、♪目の老い 耳の老い♪とシャレてみせる。このオフビートな感覚は、「大根引(だいこひき)大根で道を教へけり」(季語:大根 冬)にある一茶のしぶとさに通じている。一茶の句はまさに冬ならではと言うべきで、春の暖かさや夏の灼熱とは別の感覚があり、秋の淋しさにやや近いが、やはり空気の張りつめている冬にこそ、このユーモアはありがたい。

 

僕が『CHABO』を冬に聴きたくなるいちばんの理由は、このアルバムのあちこちにちりばめられている“少年性”だ。仲井戸はよく、“いつまでも少年の心を失くさないミュージシャン”と称される。「川」という曲では、♪僕らはもう泣き止んで 並んで土手を駆け上る 本当の友達の理由 本当の友達の資格♪と畳み込むように歌う。「子供は風の子」という言葉は、このベテラン・ミュージシャンのチャボに相応しい。同時に冬は、俳人の持つ少年の心を引き出す季節なのかもしれない。

 

「新雪に散乱ランドセルの中身 今井聖」(季語:新雪 冬)

ランドセルの子供が、雪に足を取られて転んだのではあるまい。雪合戦も雪ダルマ作りも、やりたい放題。新雪に踏み入れた喜びに、ランドセルを放り出してしまった子供たちの気持ちが、“散乱”という言葉で見事に言い留められている。

「自転車にちりんと抜かれ日短(ひぃみじか) 齋藤朝比古」(季語:日短 冬)

「ちよつといい豆腐を買つて木枯し(こがらし)へ 津久井健之」(季語:木枯し 冬)

「反芻は牛の幸せ八ツ手咲く  林雅樹」(季語:八ツ手の花 冬)

三人の若手俳人の句にも、冬の少年性が顔をのぞかせる。

 

「大鯉の屍(かばね)見にゆく凍(いて)のなか 龍太」(季語:凍て 冬)

「梅漬の種が真赤ぞ甲斐の冬  同」 (季語:冬)

龍太もまた、少年性を保持したベテランだ。

そして『CHABO』は全体にシブい曲が多いので、真冬の夜にこのアルバムを聴きながら作句してみるのも一興だろう。

「霜柱夢から覚める音のして 山中さゆり」

 

俳句結社誌『鴻』2019年2月号より転載・加筆

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BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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いよいよ冬本番。温暖化といえど、日本にきちんと冬が来ることに少し安心する。それは、これまで作られてきた冬の俳句が、俳句ファンに実感をもって読まれ続けることを約束してくれるからだ。昨今の天候不順はこの安心を揺さぶって止まないが、それでも今しばらくは冬の季語が有効であり続けるだろう。

 

「手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太」(季語:落葉 冬)

「霜強し蓮華(れんげ)と開く八ヶ獄(やつがたけ) 前田普羅」(季語:霜 冬)

「薔薇色の空に鐘鳴る氷かな 川端茅舎」(季語:氷 冬)

僕の好きな冬の句だ。厳しい季節だからこそ見えてくるものがある。それらは、寒気によって日常から削り出された詩情の塊のように思える。龍太の句は、色のない冬の里山に見え隠れする父の掌が、孤高を思わせる。普羅(ふら)の句では、寒さが清浄な仏性を呼び起こす。茅舎(ぼうしゃ)の句には、冬の音そのものがユニークな角度から詠まれている。これらの句は、ふとした瞬間に思い出され、冬の実感を僕に突きつける。

そして僕には寒い日々が続くと、聴きたくなるアルバムがいくつかある。その第一は仲井戸麗市の『CHABO』だ。仲井戸は、亡くなったRCサクセションの忌野清志郎の相棒として知られるギタリストで、自身も個性的なボーカリストである。一九五〇年、新宿生まれ。一九七一年に“古井戸”としてデビューして、その後、RCサクセションに加入した。今回、取り上げた『CHABO』は、デビュー四十五周年を記念してニ〇一五年に発表されたソロアルバムで、彼の愛称“CHABO=チャボ”がそのままアルバム・タイトルになっている。

 

ドラム、ベース、ギター、キーボードという必要最小限のバンド編成で奏でられるサウンドは、いぶし銀のように鈍く、だが美しい光を放つ。それこそ茅舎の詠んだ“冬の音”のようだ。そうした音の中で歌われるのは、バンドマンの日常から漏れてくる呟(つぶや)きだ。サラリーマンのそれとは違って、無頼な響きがある。たとえば「ま、いずれにせよ」という歌では、♪人の行く方と水の流れ さて どこに我が身を置こう♪とボヤく。その上で♪心は二つ 身は一つ さて どこに我が身を置こう♪と相反する感情を真っ直ぐに吐露するあたりが、実に仲井戸らしい。

「鉄鉢(てっぱつ)の中へも霰(あられ)」(季語:霰 冬)

「けふは凩(こがらし)のはがき一枚」(季語:凩 冬)

どちらも山頭火の句。両句に響く乾いたサウンドは、『CHABO』で聴けるバンドの音に似ている。鉄の鉢に飛び込んだ霰が、カラカラと鳴る。厳しさと明るさが同居する、不思議な句だ。もう一つの句も、凩の孤独と、はがきの届く嬉しさが、拮抗しながら確かに両立している。これらは、矛盾するからこそ美しい。

仲井戸は「灰とダイヤモンド」という曲で、♪俺が燃えつきて消える時 そこに残るだろう 灰とダイヤモンド♪と歌っている。山頭火の詠んだ“相克する感情”は、まさに“灰”と“ダイヤモンド”なのかもしれない。

「オーイっ!」という曲では、ブルース・ロックのリズムに乗せた♪オーイ オーイ♪という呼びかけに続いて、♪目の老い 耳の老い♪とシャレてみせる。このオフビートな感覚は、「大根引(だいこひき)大根で道を教へけり」(季語:大根 冬)にある一茶のしぶとさに通じている。一茶の句はまさに冬ならではと言うべきで、春の暖かさや夏の灼熱とは別の感覚があり、秋の淋しさにやや近いが、やはり空気の張りつめている冬にこそ、このユーモアはありがたい。

 

僕が『CHABO』を冬に聴きたくなるいちばんの理由は、このアルバムのあちこちにちりばめられている“少年性”だ。仲井戸はよく、“いつまでも少年の心を失くさないミュージシャン”と称される。「川」という曲では、♪僕らはもう泣き止んで 並んで土手を駆け上る 本当の友達の理由 本当の友達の資格♪と畳み込むように歌う。「子供は風の子」という言葉は、このベテラン・ミュージシャンのチャボに相応しい。同時に冬は、俳人の持つ少年の心を引き出す季節なのかもしれない。

 

「新雪に散乱ランドセルの中身 今井聖」(季語:新雪 冬)

ランドセルの子供が、雪に足を取られて転んだのではあるまい。雪合戦も雪ダルマ作りも、やりたい放題。新雪に踏み入れた喜びに、ランドセルを放り出してしまった子供たちの気持ちが、“散乱”という言葉で見事に言い留められている。

「自転車にちりんと抜かれ日短(ひぃみじか) 齋藤朝比古」(季語:日短 冬)

「ちよつといい豆腐を買つて木枯し(こがらし)へ 津久井健之」(季語:木枯し 冬)

「反芻は牛の幸せ八ツ手咲く  林雅樹」(季語:八ツ手の花 冬)

三人の若手俳人の句にも、冬の少年性が顔をのぞかせる。

 

「大鯉の屍(かばね)見にゆく凍(いて)のなか 龍太」(季語:凍て 冬)

「梅漬の種が真赤ぞ甲斐の冬  同」 (季語:冬)

龍太もまた、少年性を保持したベテランだ。

そして『CHABO』は全体にシブい曲が多いので、真冬の夜にこのアルバムを聴きながら作句してみるのも一興だろう。

「霜柱夢から覚める音のして 山中さゆり」

 

俳句結社誌『鴻』2019年2月号より転載・加筆

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