HAIKU

2018.11.12
『橋本多佳子全句集』~女流を超えた女流~

『橋本多佳子全句集』 角川ソフィア文庫・刊

 

この8月(2018年)に文庫版で橋本多佳子の全句集が刊行された。自句自解や、師である山口誓子による解説が付いており、読み応え充分の一冊になっている。

多佳子はご存知のとおり戦後俳壇の女流スターで、今も彼女の俳句のファンは多く存在する。特に「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」(季語:雪 冬)や「箸とるときはたとひとりや雪ふり来る」(季語:雪 冬)などの有名な句は、情感にあふれた物語性を秘めていて、人気の一因となっている。また多佳子の句には男性顔負けの激しさがあり、僕が女流俳人を考えるとき、ある種の指標になってきた。

僕は長い間、多佳子の句業を俯瞰して読んでみたいと思っていた。それには理由がある。以前、この連載で紹介した秋元松代のエッセイ『それぞれの場所』の「梅雨のころ」という章に、多佳子との交流が生々しく描かれていて、それを多佳子の側から追体験してみたかったからだ。

松代は『七人みさき』で読売文学賞を受賞した劇作家で、俳人・秋元不死男の妹である縁から、市川の真間で開催された不死男の句会で多佳子と知り合い、親交を結ぶことになる。その句会で多佳子は「藤房の堪(た)ゆるかぎりの雨ふくむ」(季語:藤房 春)の句を出したと松代は書いている。

二人が出会った当時、まだ駆け出しだった松代は鎌倉に住み、創作に苦悩していた。それでも多佳子の奈良の自宅を訪ねての会話は、心の弾むものだったと松代はいう。多佳子は松代に「わたしも天狗だけど、あなたも天狗ねえ」と笑って言ったそうだ。

あるとき多佳子が松代に会いに、突然鎌倉にやって来たことがあった。その際に詠んだ句が「日が射して梅雨蝶翅(はね)をおもひ出す」(季語:梅雨 夏)で、多佳子の句集『海彦』に“秋元松代さんを訪づれて”と前詞を付して収録されている。おそらくこの句は、多佳子が悩める松代に贈ったエールであったろう。一方で松代は、多佳子が圧倒的な評価を得た句集『紅絲』から、次の一歩を踏み出すために苦悶していたことをよく知っていた。この厳しくも温かい作家同士の交歓の様子を読んで以来、僕は多佳子の句集を順を追ってたどってみたいと思っていた。

橋本多佳子の第一句集『海燕』の、誓子による序文が滅法面白い。「女流作家には二つの道がある。女の道と男の道である」と書き出して、「多佳子さんは、男の道を歩くその稀な女流作家の一人である」としている。「海燕われも旅ゆき霧にあふ」(季語:霧 秋)と詠んだ上海への旅が、多佳子と夫との最後の旅行となった。

『海燕』が発表されると、選句をした誓子に、これは“女誓子”だという批判が上がったという。実際、『海燕』には恐ろしく物に即した句が数多くあって、誓子の弟子・多佳子としてはある意味、当然のことだった。そしてそれは印象として、読者に“男の道”と映ったのだろう。

師に忠実に作句した『海燕』から、一つおいた第三句集が『紅絲』である。最初の章の「凍蝶(いてちょう)抄」が凄まじい。

「凍蝶に指ふるゝまでちかづきぬ」(季語:凍蝶 冬)に始まり、「雪はげし~」も「箸とるとき~」もここに収められている。「かじかみて脚抱き寝るか毛もの等も」(季語:かじかむ 冬)、「ねむたさの稚子(ちご)の手ぬくし雪こんこん」(季語:雪 冬)など、多佳子の豊かな情緒が定型の中で爆発している。市川の句会での「藤房の~」も、「白桃に入れし刃先の種を割る」(季語:桃 秋)も、この句集の作品だ。『紅絲』は俳壇に多佳子の名を広く知らしめた。

こうして多佳子の歩みを味わいながら第四句集『海彦』へと進むと、一つのテーマを多数の句で描き取ろうとする彼女の手法が、いよいよ判然としてくる。「胸先にくろき富士立つ秋の暮」(季語:秋の暮 秋)、「天暮るる綿虫が地に着くまでに」(季語:綿虫 冬)あたりは胸に迫るものがある。また先の松代を鎌倉に訪ねた際の「日が射して~」の次の句は、「あぢさゐに真向きてひとに応へをり」(季語:あぢさゐ 夏)で、ここにも二人の作家の交歓を感じ取ることができる。

第五句集『命終』は、多佳子の死後に出版された遺句集である。死の直前に多佳子を見舞った松代は、「あなたが偉い劇作家になるのを見たいけど、でも大丈夫ね」と、かえって励まされたのだった。その後、松代は多佳子の最後の句となった「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」(季語:雪 冬)を『命終』の中に見つけて、思いを深くする。そして句集のタイトルとなった「この雪嶺(ゆきね)わが命終に顕ちて来よ」(季語:雪 冬)を多佳子が作ったという八ヶ岳を望む場所に、今、自分が住んでいるという不思議な縁に感応する場面でエッセイは終わる。

僕は今回、秋元松代のエッセイ『それぞれの場所』をガイドとして、『橋本多佳子全句集』を堪能した。堪能しつつ、孤高の道をひた走る俳人と、年下ながらやはり孤高の道を行く劇作家の十三年間の交わりに触れて、俳句について、あるいは女流について、多くのことを考えた。誓子は「男の道と女の道」に終始こだわって解説を書いているが、松代をガイドにして読む限り、多佳子はそうした性差をとっくに越えていたように思う。松代もまた、然(しか)りである。

それにしても、この珍しい読書体験ができたのは幸運だった。

「木耳(きくらげ)や母の遺せし裁鋏(たちばさみ) 不死男」(季語:木耳 夏)

 

    俳句結社誌「鴻」2018年10月号より転載・加筆

ARCHIVES
search

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

Facebook by Yu-ichi HIRAYAMA

BOOK by Yu-ichi HIRAYAMA

弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
PAGE TOP
2018.11.12
『橋本多佳子全句集』~女流を超えた女流~

『橋本多佳子全句集』 角川ソフィア文庫・刊

 

この8月(2018年)に文庫版で橋本多佳子の全句集が刊行された。自句自解や、師である山口誓子による解説が付いており、読み応え充分の一冊になっている。

多佳子はご存知のとおり戦後俳壇の女流スターで、今も彼女の俳句のファンは多く存在する。特に「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」(季語:雪 冬)や「箸とるときはたとひとりや雪ふり来る」(季語:雪 冬)などの有名な句は、情感にあふれた物語性を秘めていて、人気の一因となっている。また多佳子の句には男性顔負けの激しさがあり、僕が女流俳人を考えるとき、ある種の指標になってきた。

僕は長い間、多佳子の句業を俯瞰して読んでみたいと思っていた。それには理由がある。以前、この連載で紹介した秋元松代のエッセイ『それぞれの場所』の「梅雨のころ」という章に、多佳子との交流が生々しく描かれていて、それを多佳子の側から追体験してみたかったからだ。

松代は『七人みさき』で読売文学賞を受賞した劇作家で、俳人・秋元不死男の妹である縁から、市川の真間で開催された不死男の句会で多佳子と知り合い、親交を結ぶことになる。その句会で多佳子は「藤房の堪(た)ゆるかぎりの雨ふくむ」(季語:藤房 春)の句を出したと松代は書いている。

二人が出会った当時、まだ駆け出しだった松代は鎌倉に住み、創作に苦悩していた。それでも多佳子の奈良の自宅を訪ねての会話は、心の弾むものだったと松代はいう。多佳子は松代に「わたしも天狗だけど、あなたも天狗ねえ」と笑って言ったそうだ。

あるとき多佳子が松代に会いに、突然鎌倉にやって来たことがあった。その際に詠んだ句が「日が射して梅雨蝶翅(はね)をおもひ出す」(季語:梅雨 夏)で、多佳子の句集『海彦』に“秋元松代さんを訪づれて”と前詞を付して収録されている。おそらくこの句は、多佳子が悩める松代に贈ったエールであったろう。一方で松代は、多佳子が圧倒的な評価を得た句集『紅絲』から、次の一歩を踏み出すために苦悶していたことをよく知っていた。この厳しくも温かい作家同士の交歓の様子を読んで以来、僕は多佳子の句集を順を追ってたどってみたいと思っていた。

橋本多佳子の第一句集『海燕』の、誓子による序文が滅法面白い。「女流作家には二つの道がある。女の道と男の道である」と書き出して、「多佳子さんは、男の道を歩くその稀な女流作家の一人である」としている。「海燕われも旅ゆき霧にあふ」(季語:霧 秋)と詠んだ上海への旅が、多佳子と夫との最後の旅行となった。

『海燕』が発表されると、選句をした誓子に、これは“女誓子”だという批判が上がったという。実際、『海燕』には恐ろしく物に即した句が数多くあって、誓子の弟子・多佳子としてはある意味、当然のことだった。そしてそれは印象として、読者に“男の道”と映ったのだろう。

師に忠実に作句した『海燕』から、一つおいた第三句集が『紅絲』である。最初の章の「凍蝶(いてちょう)抄」が凄まじい。

「凍蝶に指ふるゝまでちかづきぬ」(季語:凍蝶 冬)に始まり、「雪はげし~」も「箸とるとき~」もここに収められている。「かじかみて脚抱き寝るか毛もの等も」(季語:かじかむ 冬)、「ねむたさの稚子(ちご)の手ぬくし雪こんこん」(季語:雪 冬)など、多佳子の豊かな情緒が定型の中で爆発している。市川の句会での「藤房の~」も、「白桃に入れし刃先の種を割る」(季語:桃 秋)も、この句集の作品だ。『紅絲』は俳壇に多佳子の名を広く知らしめた。

こうして多佳子の歩みを味わいながら第四句集『海彦』へと進むと、一つのテーマを多数の句で描き取ろうとする彼女の手法が、いよいよ判然としてくる。「胸先にくろき富士立つ秋の暮」(季語:秋の暮 秋)、「天暮るる綿虫が地に着くまでに」(季語:綿虫 冬)あたりは胸に迫るものがある。また先の松代を鎌倉に訪ねた際の「日が射して~」の次の句は、「あぢさゐに真向きてひとに応へをり」(季語:あぢさゐ 夏)で、ここにも二人の作家の交歓を感じ取ることができる。

第五句集『命終』は、多佳子の死後に出版された遺句集である。死の直前に多佳子を見舞った松代は、「あなたが偉い劇作家になるのを見たいけど、でも大丈夫ね」と、かえって励まされたのだった。その後、松代は多佳子の最後の句となった「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」(季語:雪 冬)を『命終』の中に見つけて、思いを深くする。そして句集のタイトルとなった「この雪嶺(ゆきね)わが命終に顕ちて来よ」(季語:雪 冬)を多佳子が作ったという八ヶ岳を望む場所に、今、自分が住んでいるという不思議な縁に感応する場面でエッセイは終わる。

僕は今回、秋元松代のエッセイ『それぞれの場所』をガイドとして、『橋本多佳子全句集』を堪能した。堪能しつつ、孤高の道をひた走る俳人と、年下ながらやはり孤高の道を行く劇作家の十三年間の交わりに触れて、俳句について、あるいは女流について、多くのことを考えた。誓子は「男の道と女の道」に終始こだわって解説を書いているが、松代をガイドにして読む限り、多佳子はそうした性差をとっくに越えていたように思う。松代もまた、然(しか)りである。

それにしても、この珍しい読書体験ができたのは幸運だった。

「木耳(きくらげ)や母の遺せし裁鋏(たちばさみ) 不死男」(季語:木耳 夏)

 

    俳句結社誌「鴻」2018年10月号より転載・加筆

ARCHIVES
search
弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店