HAIKU

2018.08.11
『モダン』 原田マハ・著  文春文庫・刊
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『モダン』 原田マハ・著  文春文庫・刊

著者の原田マハは、「本日は、お日柄もよく」で知られるベストセラー作家で、「カフーを待ちわびて」で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞。「楽園のカンヴァス」で第25回山本周五郎賞を受賞。小説の題材は多岐にわたるが、早稲田大学第二文学部美術史科を卒業して、森美術館設立準備室に5年間勤務し、半年間、ニューヨーク近代美術館で研修に励んだ後、フリーランスのキュレーターとして活躍というキャリアを見ると、そのルーツは美術にある。実際、「楽園のカンヴァス」はピカソとルソーの謎を取り上げていて、サスペンス仕立てながら、美術に対する深い造詣と愛情を基本とした小説になっている。今回、取り上げる『モダン』は、著者が強い影響を受けたニューヨーク近代美術館、The Museum Of Modern Art=MoMAを巡る5つの短編で構成されている。

表題作「モダン」は、中でも最もショッキングで、ドラマティックな作品だ。2011年3月、東北地方のとある美術館で、アメリカを代表する画家の一人、アンドリュー・ワイエスの企画展が開催されていた。そこに東日本大震災が起こる。主人公の杏子は絵を貸し出すMoMAの担当者で、日本側の担当学芸員、伸子と緊迫したメールのやり取りを交わす。杏子は貸出作品の搬入に立ち会うために、その年の2月に雪の舞う東北地方を訪れていたから、震災のニュースに衝撃を受けた。ニューヨーク在住の杏子にとっては、ワールドトレードセンターに旅客機が突っ込んだ“9・11”の記憶とも繋がって、さらに大きな衝撃となった。

MoMAは放射能汚染を怖れて作品の撤収を決め、ワイエス展は中止に追い込まれる。ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」の回収を任された杏子は、4月に再び日本へ向かうことになった。美術館は汚染地域から外れてはいたが、風評被害に巻き込まれた形だった。彼の地にたどり着いた杏子は、満開の桜を前にして、日本留学時代に得た知識の中に「山笑う」という季語があったことを思い出す。

その後の杏子と伸子の人間的交流が物語の骨格となるが、それは書かない。ここでは、原田の美術作品の捉え方に焦点を当てたい。「クリスティーナの世界」は、ワイエスの近所に住んでいた女性がモデルになっていて、彼女は難病のために身体が不自由だったのにも関わらず、自分のことはすべて自分でやり抜いた。病弱だったワイエスが描いたのは、枯れた草原の斜面を、両手の力だけで這い上がっていくクリスティーナの後ろ姿だった。原田は小説の登場人物の一人に、こう言わせる。彼女が後ろ向きなのは、いつも前を向いて生きていることを、画家がみんなに見せたかったからだ、と。

「手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太」(季語:落葉 冬)

父とは山梨県を代表する俳人・飯田蛇笏のこと。「早春の午下がり、裏に散歩に出ると、渓向うの小径を、やや俯向き加減に歩く姿が見えた」と自句自解にある。枯色の中に翻る父の白い掌を描くことで、龍太は蛇笏のかくしゃくたる姿を伝えている。蛇笏の表情はまったく見えないが、それを想像させるのである。この句には、後ろ姿で前向きな気持ちを表わそうとしたワイエスの狙いと通じるものがある。

同じく『モダン』に収録されている短編「私の好きなマシン」で、原田はMoMAの大きな功績のひとつを鮮やかに描く。1930年代にMoMAは画期的な展覧会を開いた。「マシン・アート」と題されたその展示は、ボール・ベアリングやコイルなどの工業部品をアートとして位置付けるものだった。館長いわく、「僕たちが知らないところで、僕たちの生活の役に立っているものなんだ。それでいて、美しい」。賛否を呼んだ展覧会だったが、結局、ベアリングはMoMAの永久収蔵作品となった。

僕もその展覧会から50年後にMoMAを訪れて、マシン・アートの美しさを体感し、納得した。永久収蔵されているイギリスのスポーツカー“ジャガー”などに混じって、日本のYAMAHAのスピーカーが展示されていて誇らしく思ったものだ。

この新しい美の発見は、工業デザイナーたちに大いなる希望を与えた。そうした思想が、現代のアップルなどのアメリカのデザインにも息づいている。そして、原田はその前提として、従来の美術館がスポンサーの金持ちに配慮して、建物にも内装にもゴテゴテした装飾を施していたのに対し、MoMAは一切の装飾を捨てて、ひたすら新しいものの力強さが引き立つようにシンプルに設計されているという。

「生前も死後もつめたき箒の柄  龍太」(季語:冷たし 冬)

龍太は箒作りが得意で、母にいつも作ってあげていた。母の死後、一カ月も経った頃、庭の松の木の後ろに一本の箒が立てかけてあるのに気付いた。揚句はその際の作で、息子が作り、母が使った日常の道具を介して、深い情を奏でている。こうした箒は、今は“民具”として日本でも保存されるようになった。だが、当初はマシン・アートと同じく、旧美術界からは奇異の目で見られたものだった。「僕たちが知らないところで、僕たちの生活の役に立っているものなんだ。それでいて、美しい」というMoMAの館長のセリフが、同じ響きをもって思い浮かぶ。

原田マハの慧眼は、つくづく素晴らしい。僕も俳句の楽しさを常に更新していくために、できるだけ装飾を排した心持ちで一句一句に接していきたいと思う。

「吊る前の風鈴の音をひた隠す 北大路翼」(季語:風鈴 夏)

 

俳句結社誌『鴻』2018年8月号より加筆・転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2018.08.11
『モダン』 原田マハ・著  文春文庫・刊
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『モダン』 原田マハ・著  文春文庫・刊

著者の原田マハは、「本日は、お日柄もよく」で知られるベストセラー作家で、「カフーを待ちわびて」で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞。「楽園のカンヴァス」で第25回山本周五郎賞を受賞。小説の題材は多岐にわたるが、早稲田大学第二文学部美術史科を卒業して、森美術館設立準備室に5年間勤務し、半年間、ニューヨーク近代美術館で研修に励んだ後、フリーランスのキュレーターとして活躍というキャリアを見ると、そのルーツは美術にある。実際、「楽園のカンヴァス」はピカソとルソーの謎を取り上げていて、サスペンス仕立てながら、美術に対する深い造詣と愛情を基本とした小説になっている。今回、取り上げる『モダン』は、著者が強い影響を受けたニューヨーク近代美術館、The Museum Of Modern Art=MoMAを巡る5つの短編で構成されている。

表題作「モダン」は、中でも最もショッキングで、ドラマティックな作品だ。2011年3月、東北地方のとある美術館で、アメリカを代表する画家の一人、アンドリュー・ワイエスの企画展が開催されていた。そこに東日本大震災が起こる。主人公の杏子は絵を貸し出すMoMAの担当者で、日本側の担当学芸員、伸子と緊迫したメールのやり取りを交わす。杏子は貸出作品の搬入に立ち会うために、その年の2月に雪の舞う東北地方を訪れていたから、震災のニュースに衝撃を受けた。ニューヨーク在住の杏子にとっては、ワールドトレードセンターに旅客機が突っ込んだ“9・11”の記憶とも繋がって、さらに大きな衝撃となった。

MoMAは放射能汚染を怖れて作品の撤収を決め、ワイエス展は中止に追い込まれる。ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」の回収を任された杏子は、4月に再び日本へ向かうことになった。美術館は汚染地域から外れてはいたが、風評被害に巻き込まれた形だった。彼の地にたどり着いた杏子は、満開の桜を前にして、日本留学時代に得た知識の中に「山笑う」という季語があったことを思い出す。

その後の杏子と伸子の人間的交流が物語の骨格となるが、それは書かない。ここでは、原田の美術作品の捉え方に焦点を当てたい。「クリスティーナの世界」は、ワイエスの近所に住んでいた女性がモデルになっていて、彼女は難病のために身体が不自由だったのにも関わらず、自分のことはすべて自分でやり抜いた。病弱だったワイエスが描いたのは、枯れた草原の斜面を、両手の力だけで這い上がっていくクリスティーナの後ろ姿だった。原田は小説の登場人物の一人に、こう言わせる。彼女が後ろ向きなのは、いつも前を向いて生きていることを、画家がみんなに見せたかったからだ、と。

「手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太」(季語:落葉 冬)

父とは山梨県を代表する俳人・飯田蛇笏のこと。「早春の午下がり、裏に散歩に出ると、渓向うの小径を、やや俯向き加減に歩く姿が見えた」と自句自解にある。枯色の中に翻る父の白い掌を描くことで、龍太は蛇笏のかくしゃくたる姿を伝えている。蛇笏の表情はまったく見えないが、それを想像させるのである。この句には、後ろ姿で前向きな気持ちを表わそうとしたワイエスの狙いと通じるものがある。

同じく『モダン』に収録されている短編「私の好きなマシン」で、原田はMoMAの大きな功績のひとつを鮮やかに描く。1930年代にMoMAは画期的な展覧会を開いた。「マシン・アート」と題されたその展示は、ボール・ベアリングやコイルなどの工業部品をアートとして位置付けるものだった。館長いわく、「僕たちが知らないところで、僕たちの生活の役に立っているものなんだ。それでいて、美しい」。賛否を呼んだ展覧会だったが、結局、ベアリングはMoMAの永久収蔵作品となった。

僕もその展覧会から50年後にMoMAを訪れて、マシン・アートの美しさを体感し、納得した。永久収蔵されているイギリスのスポーツカー“ジャガー”などに混じって、日本のYAMAHAのスピーカーが展示されていて誇らしく思ったものだ。

この新しい美の発見は、工業デザイナーたちに大いなる希望を与えた。そうした思想が、現代のアップルなどのアメリカのデザインにも息づいている。そして、原田はその前提として、従来の美術館がスポンサーの金持ちに配慮して、建物にも内装にもゴテゴテした装飾を施していたのに対し、MoMAは一切の装飾を捨てて、ひたすら新しいものの力強さが引き立つようにシンプルに設計されているという。

「生前も死後もつめたき箒の柄  龍太」(季語:冷たし 冬)

龍太は箒作りが得意で、母にいつも作ってあげていた。母の死後、一カ月も経った頃、庭の松の木の後ろに一本の箒が立てかけてあるのに気付いた。揚句はその際の作で、息子が作り、母が使った日常の道具を介して、深い情を奏でている。こうした箒は、今は“民具”として日本でも保存されるようになった。だが、当初はマシン・アートと同じく、旧美術界からは奇異の目で見られたものだった。「僕たちが知らないところで、僕たちの生活の役に立っているものなんだ。それでいて、美しい」というMoMAの館長のセリフが、同じ響きをもって思い浮かぶ。

原田マハの慧眼は、つくづく素晴らしい。僕も俳句の楽しさを常に更新していくために、できるだけ装飾を排した心持ちで一句一句に接していきたいと思う。

「吊る前の風鈴の音をひた隠す 北大路翼」(季語:風鈴 夏)

 

俳句結社誌『鴻』2018年8月号より加筆・転載

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店