HAIKU

2017.08.07
コミックス『岡崎に捧ぐ』に見る子供事情

【ON THE STREET2017年8月号】

コミックス『岡崎に捧ぐ』 山本さほ・著 小学館・刊

 

僕は昨年末、都内のある小学校のすぐそばに引越したので、今年は“夏休みの気配”を存分に味わっている。家の前を通り過ぎる4,5人の小学生グループを見ていると、夏休みの計画を夢中で話し合っているのか、何やら楽しそうで羨ましくなる。今では遠い思い出となってしまった夏休みだが、その気分を蘇らせてくれるコミックスがある。『岡崎に捧ぐ』は、小学生の女の子同士の友情を描いていて、日常に対する細やかな観察がとても面白い。

この漫画の出自は、少々変わっている。作者の山本さんは、親友の岡崎さんが結婚することになり、サプライズのプレゼントにと小学生時代の思い出を漫画に描き始める。が、式に間に合わず、それどころか見せる前に岡崎さんに漫画の存在を知られてしまう。結局はサプライズにならなかったものの、その後、この漫画はコミック雑誌『ビッグコミックスペリオール』で連載が開始され、今もそれが続いている。

そんな成り立ちもあって、『岡崎に捧ぐ』はいい意味でのアマチュアリズムに貫かれ、普通なら見落としてしまうようなたわいないエピソードから、子供社会に映る大人の事情を笑いとともに伝えてくれる。

作者の山本さんは岩手で生まれ、8歳のときに横浜に引っ越し、転校先の小学校で岡崎さんと出会い、親友になった。最初はビン底眼鏡をかけ、性格の暗そうな岡崎さんを怖いと感じるが、放課後に互いの家を行き来するようになり、次第に心を通わせるようになった。

岡崎さんのお父さんは休職中で、平日でも家でゴロゴロしている。滅多に帰ってこないお母さんは、昼間からワインを飲み、片付けも料理もほとんどしない。登校拒否の妹は、情緒不安定で荒れている。そんな岡崎家は子供たちに一切構わないので、テレビゲームをやり放題。躾に厳しい家に育つ山本さんには、岡崎さんの家が天国のように思えたのだった。山本さん曰く、「小学生の私は、これが本当の“自由”だと思った」。

早い話が岡崎家は育児放棄で、典型的なネグレクトの家庭なのだが、それがわからない山本さんにとっては両親に叱られることのない極楽に見え、何かというと現実逃避の便利な場所になっていった。

一方、友達の少ない岡崎さんは、ちらかった家に来て一緒に楽しく過ごしてくれる山本さんに友情を感じてしまう。岡崎さん曰く、「私、山本さんと出会えて幸せなの。私きっと、山本さんの人生の脇役として生まれてきたんだと思う」。

岡崎さんは、山本さんが授業中にノートに描いている漫画の最も熱心なファンで、読むたびにいちいち嬉しい感想を言ってくれる。山本さんは岡崎さんから、生まれて初めてサインをねだられるが、それが岡崎家の落書きだらけの壁に貼られることを考えると、ゾッとして断ってしまった。それでも岡崎さんは山本漫画のいちばんのファンで在り続ける。山本さんが自分勝手に家出したり、ゲームセンターに行ったりするたびに、岡崎さんは献身的に付き合ってくれるのだった。

一方的に支配隷属するのでもなく、かしこまった親分子分の関係でもない。度を越して脇役に徹する岡崎さんの存在感が、とにかく凄い。ちょっとズレながらも一途な岡崎さんの優しさが、『岡崎に捧ぐ』の核心だ。この何でも許してくれる“ズレた優しさ”に触れていると、読んでいる方にもなぜか懐かしさがこみ上げてくる。それは子供時代に夏休みがずっと続くように思えていたことに似ていて、ちょっと切なく温かい気持ちになるのだった。

「三時から三時一分へと蜻蛉  西原天気」

(季語:蜻蛉・秋)

たった一分が永遠に思える日々。西原天気はそんな子供時代の時間の感覚を、蜻蛉をじっと見ていて思い出した。それは山本さんの描く記憶の在り方に近い。たまごっちやケシカス回収ローラー付き消しゴムなど、1990年代のローティーンの日常の細部が詳細に描かれれば描かれるほど、記憶の時間はゆっくりと進む。そして事象の影に隠れた人の感情や理不尽を、優しくプレイバックしてくれる。

山本さほは『岡崎に捧ぐ』第1巻のあとがきに、こう書いている。

「世の中には子供だから気付けないこと、大人だから気付けないことがある。(中略)今思うと授業中に白目を剥いて倒れてみんなの気を引くあの子は、両親がいなくて寂しかったんだと思う。今思うとあの子が大人達から煙たがられているのは、家族ぐるみで変な宗教にハマっていたからだと思う」。

子供だから気付けなかったことに、今、気付く。だとすると、大人だから気付けないことは、どうしたらいいのだろう。一つの方法は、子供のようにゆっくり時間をかけてモノを見つめることなのだと思う。先入観のない観察と写生は、時として大人の気付きにくいことに辿り着く。

「雨吸つて蜂の骸のふくらみぬ 今井聖」

(あめすってはちのむくろのふくらみぬ 季語:蜂・春)

山本さんの観察力の鋭さは、脇役・岡崎さんの優しさへの恩返しなのかもしれない。そんな山本さほは、今年3月、『山本さんちのねこの話』を上梓した。これもとてもユニークな漫画なので、猫好きの方に、おススメしたい。

「しびれあひほのぼのとなる水母かな  天気」

(季語:水母 くらげ・夏)

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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コミックス『岡崎に捧ぐ』に見る子供事情

【ON THE STREET2017年8月号】

コミックス『岡崎に捧ぐ』 山本さほ・著 小学館・刊

 

僕は昨年末、都内のある小学校のすぐそばに引越したので、今年は“夏休みの気配”を存分に味わっている。家の前を通り過ぎる4,5人の小学生グループを見ていると、夏休みの計画を夢中で話し合っているのか、何やら楽しそうで羨ましくなる。今では遠い思い出となってしまった夏休みだが、その気分を蘇らせてくれるコミックスがある。『岡崎に捧ぐ』は、小学生の女の子同士の友情を描いていて、日常に対する細やかな観察がとても面白い。

この漫画の出自は、少々変わっている。作者の山本さんは、親友の岡崎さんが結婚することになり、サプライズのプレゼントにと小学生時代の思い出を漫画に描き始める。が、式に間に合わず、それどころか見せる前に岡崎さんに漫画の存在を知られてしまう。結局はサプライズにならなかったものの、その後、この漫画はコミック雑誌『ビッグコミックスペリオール』で連載が開始され、今もそれが続いている。

そんな成り立ちもあって、『岡崎に捧ぐ』はいい意味でのアマチュアリズムに貫かれ、普通なら見落としてしまうようなたわいないエピソードから、子供社会に映る大人の事情を笑いとともに伝えてくれる。

作者の山本さんは岩手で生まれ、8歳のときに横浜に引っ越し、転校先の小学校で岡崎さんと出会い、親友になった。最初はビン底眼鏡をかけ、性格の暗そうな岡崎さんを怖いと感じるが、放課後に互いの家を行き来するようになり、次第に心を通わせるようになった。

岡崎さんのお父さんは休職中で、平日でも家でゴロゴロしている。滅多に帰ってこないお母さんは、昼間からワインを飲み、片付けも料理もほとんどしない。登校拒否の妹は、情緒不安定で荒れている。そんな岡崎家は子供たちに一切構わないので、テレビゲームをやり放題。躾に厳しい家に育つ山本さんには、岡崎さんの家が天国のように思えたのだった。山本さん曰く、「小学生の私は、これが本当の“自由”だと思った」。

早い話が岡崎家は育児放棄で、典型的なネグレクトの家庭なのだが、それがわからない山本さんにとっては両親に叱られることのない極楽に見え、何かというと現実逃避の便利な場所になっていった。

一方、友達の少ない岡崎さんは、ちらかった家に来て一緒に楽しく過ごしてくれる山本さんに友情を感じてしまう。岡崎さん曰く、「私、山本さんと出会えて幸せなの。私きっと、山本さんの人生の脇役として生まれてきたんだと思う」。

岡崎さんは、山本さんが授業中にノートに描いている漫画の最も熱心なファンで、読むたびにいちいち嬉しい感想を言ってくれる。山本さんは岡崎さんから、生まれて初めてサインをねだられるが、それが岡崎家の落書きだらけの壁に貼られることを考えると、ゾッとして断ってしまった。それでも岡崎さんは山本漫画のいちばんのファンで在り続ける。山本さんが自分勝手に家出したり、ゲームセンターに行ったりするたびに、岡崎さんは献身的に付き合ってくれるのだった。

一方的に支配隷属するのでもなく、かしこまった親分子分の関係でもない。度を越して脇役に徹する岡崎さんの存在感が、とにかく凄い。ちょっとズレながらも一途な岡崎さんの優しさが、『岡崎に捧ぐ』の核心だ。この何でも許してくれる“ズレた優しさ”に触れていると、読んでいる方にもなぜか懐かしさがこみ上げてくる。それは子供時代に夏休みがずっと続くように思えていたことに似ていて、ちょっと切なく温かい気持ちになるのだった。

「三時から三時一分へと蜻蛉  西原天気」

(季語:蜻蛉・秋)

たった一分が永遠に思える日々。西原天気はそんな子供時代の時間の感覚を、蜻蛉をじっと見ていて思い出した。それは山本さんの描く記憶の在り方に近い。たまごっちやケシカス回収ローラー付き消しゴムなど、1990年代のローティーンの日常の細部が詳細に描かれれば描かれるほど、記憶の時間はゆっくりと進む。そして事象の影に隠れた人の感情や理不尽を、優しくプレイバックしてくれる。

山本さほは『岡崎に捧ぐ』第1巻のあとがきに、こう書いている。

「世の中には子供だから気付けないこと、大人だから気付けないことがある。(中略)今思うと授業中に白目を剥いて倒れてみんなの気を引くあの子は、両親がいなくて寂しかったんだと思う。今思うとあの子が大人達から煙たがられているのは、家族ぐるみで変な宗教にハマっていたからだと思う」。

子供だから気付けなかったことに、今、気付く。だとすると、大人だから気付けないことは、どうしたらいいのだろう。一つの方法は、子供のようにゆっくり時間をかけてモノを見つめることなのだと思う。先入観のない観察と写生は、時として大人の気付きにくいことに辿り着く。

「雨吸つて蜂の骸のふくらみぬ 今井聖」

(あめすってはちのむくろのふくらみぬ 季語:蜂・春)

山本さんの観察力の鋭さは、脇役・岡崎さんの優しさへの恩返しなのかもしれない。そんな山本さほは、今年3月、『山本さんちのねこの話』を上梓した。これもとてもユニークな漫画なので、猫好きの方に、おススメしたい。

「しびれあひほのぼのとなる水母かな  天気」

(季語:水母 くらげ・夏)

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著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店