HAIKU

2018.04.03
『日本再興戦略』 落合陽一
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『日本再興戦略』 落合陽一・著 幻冬舎・刊

 

著者の肩書は、メディア・アーティスト、筑波大学学長補佐、ピクシーダストテクノロジーズCEOなど。創作と教育と実業を同時進行する才人だ。開成高校、筑波大学、東大大学院を卒業して、現在、30歳。父親はジャーナリストの落合信彦氏。『日本再興戦略』は落合陽一の最新著作で、文字通り閉塞感いっぱいの日本をどう再興させるかというテーマに即して、著者が研究と行動の中から得た実感に基づいての未来像を提言している。その論は、経済的な戦略の他、日本人の持つ精神の特長にも言及していて、読んでいると俳句の過去・現在・未来に通じるものがあると感じたので、今回取り上げることにした。

『日本再興戦略』は、落合の目で今の日本の状況を見直して、何をどう修整し、新しく構築していけばいいのかを説いている。当然、IT用語や経済用語がたくさん出てくるので、苦手に思う人がいるかもしれない。しかしそれを少し我慢すれば、示唆に富んだ内容を持つ一冊となる。僕が最初に目を留めたのは、この本の序盤の俳句についての記述だった。

 

(以下、引用)

西洋的な思想は言葉の定義が明確であり、わかりやすいという魅力がありますが、わかりやすさばかりを求めてはいけません。定義によるわかりやすさの対極にあるのが、仏教や儒教などの東洋思想です。身体知や訓練により行間を読む文化です。(中略) 俳句の場合、「古池や蛙飛び込む水の音」は17音しかありません。このコンテクストを理解するためには、東洋文化を理解する必要があります。理解できないのは自分のせいだから、修行しようという精神が求められるのです。(中略) 一方、西洋の精神は、個人主義で、みなが理解する権利があると考えます。もし内容が理解できなければ、「わかりやすくインストラクションしないお前が悪い」という精神なのです。

 

 

僕が俳句を始めて間もない頃に感じたことが、明解に書かれている。ちなみに“コンテクスト”は文脈、“インストラクション”は教授するといった意味の言葉だ。現代は、かなり高齢の人でも西洋的な教育を受けているので、わかりやすさを無意識のうちに求める傾向がある。俳句ではよく「平明な言葉で作りなさい」と教えられる。ただしこれは「平明な俳句を作れ」ということではない。平明な言葉と言葉の間にあるコンテクストにこそ、俳句の命がある。それは簡単には分からず、読む者には修行が必要となる。

著者はこうしたことを基盤にして、東洋の中でも特殊な文化を持つ日本のさまざまな局面について論じていく。中で、日本は地域によって四季も文化も違うので、地方分権が向いているという指摘に共感した。俳句は四季と文化に深く関わっているので、もし中央集権的な俳句と、地方分権的な俳句があるとしたらどうなのだろう。

「初雪を産着(うぶぎ)のやうにななかまど 飯川久子」

この句を中央集権的に見れば、「初雪」と「ななかまど」の二つの季語があるので、否定する人がいるかもしれない。だが、地方分権的に見ると、北海道に暮らす作者だからこその発見と感動が読み取れる。ご存知のように「初雪」は冬の季語、「ななかまど」は秋の季語だが、それを繋ぐ(コンテクスト)「産着」の比喩が素晴らしい。北国ならではの二つの季節の重なりが、慈愛をもって描かれている。この感動を味わうためであれば、修行は報われることだろう。

「イエスより軽く鮟鱇を吊りさげる 有馬朗人」(季語:鮟鱇 冬)

「草餅を焼く天平(てんぴょう)の色に焼く 朗人」(季語:草餅 春)

これらの構えの大きな句は、ある意味、中央集権的だ。日常の点景を、宗教や時代を背景に置くことで、普遍的な世界に押し上げようとしている。もちろんこうした俳句の作り方もあるが、小さなコミュニティで有効な俳句をもっと認めてもいいと思う。

『日本再興戦略』には当然、AIやビットコインの話も出て来る。落合は東洋思想の再評価を訴えつつ、自動運転などの最新テクノロジーが社会や人間に与える影響や変化についても柔軟に論じている。面白かったのは、ロボットについての項だった。たとえば介護ロボットの導入に反対する人に対しては、「自分のお尻を洗ってもらうのに、人間の手とウォシュレットとどちらがいいですか?」と訊いてみるといいという。ほとんどの人はウォシュレットと答えるだろう。それを入口として、介護ロボットの持つ価値と意味を理解してもらう。こうした有効な例示がふんだんに盛り込まれているのも、本書の特色だ。

そしてバーチャル・リアリティなどの技術革新が止められないものだとすれば、自然とデジタル・テクノロジーが融合した“デジタルネイチャー”が誕生し、未来のイメージを形作っていくだろうと説いている。研究者らしい性急さはあるが、落合の先見性は注目に値する。

ところで、俳句はもともと写生を通して、見えるものを使って見えないものを描く表現手段である。だとすれば、俳人とデジタルネイチャーは、案外、相性がいい。未来を東洋的に把握する手段としての俳句は、次世代の俳人の重要な仕事になるだろう。それが今の時代に合った『俳句再興戦略』となるのかもしれない。

「林に金星麦こぼれゆく母郷  兜太」(季語:麦 夏)

 

俳句結社誌『鴻』2018年4月号より転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店
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2018.04.03
『日本再興戦略』 落合陽一
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『日本再興戦略』 落合陽一・著 幻冬舎・刊

 

著者の肩書は、メディア・アーティスト、筑波大学学長補佐、ピクシーダストテクノロジーズCEOなど。創作と教育と実業を同時進行する才人だ。開成高校、筑波大学、東大大学院を卒業して、現在、30歳。父親はジャーナリストの落合信彦氏。『日本再興戦略』は落合陽一の最新著作で、文字通り閉塞感いっぱいの日本をどう再興させるかというテーマに即して、著者が研究と行動の中から得た実感に基づいての未来像を提言している。その論は、経済的な戦略の他、日本人の持つ精神の特長にも言及していて、読んでいると俳句の過去・現在・未来に通じるものがあると感じたので、今回取り上げることにした。

『日本再興戦略』は、落合の目で今の日本の状況を見直して、何をどう修整し、新しく構築していけばいいのかを説いている。当然、IT用語や経済用語がたくさん出てくるので、苦手に思う人がいるかもしれない。しかしそれを少し我慢すれば、示唆に富んだ内容を持つ一冊となる。僕が最初に目を留めたのは、この本の序盤の俳句についての記述だった。

 

(以下、引用)

西洋的な思想は言葉の定義が明確であり、わかりやすいという魅力がありますが、わかりやすさばかりを求めてはいけません。定義によるわかりやすさの対極にあるのが、仏教や儒教などの東洋思想です。身体知や訓練により行間を読む文化です。(中略) 俳句の場合、「古池や蛙飛び込む水の音」は17音しかありません。このコンテクストを理解するためには、東洋文化を理解する必要があります。理解できないのは自分のせいだから、修行しようという精神が求められるのです。(中略) 一方、西洋の精神は、個人主義で、みなが理解する権利があると考えます。もし内容が理解できなければ、「わかりやすくインストラクションしないお前が悪い」という精神なのです。

 

 

僕が俳句を始めて間もない頃に感じたことが、明解に書かれている。ちなみに“コンテクスト”は文脈、“インストラクション”は教授するといった意味の言葉だ。現代は、かなり高齢の人でも西洋的な教育を受けているので、わかりやすさを無意識のうちに求める傾向がある。俳句ではよく「平明な言葉で作りなさい」と教えられる。ただしこれは「平明な俳句を作れ」ということではない。平明な言葉と言葉の間にあるコンテクストにこそ、俳句の命がある。それは簡単には分からず、読む者には修行が必要となる。

著者はこうしたことを基盤にして、東洋の中でも特殊な文化を持つ日本のさまざまな局面について論じていく。中で、日本は地域によって四季も文化も違うので、地方分権が向いているという指摘に共感した。俳句は四季と文化に深く関わっているので、もし中央集権的な俳句と、地方分権的な俳句があるとしたらどうなのだろう。

「初雪を産着(うぶぎ)のやうにななかまど 飯川久子」

この句を中央集権的に見れば、「初雪」と「ななかまど」の二つの季語があるので、否定する人がいるかもしれない。だが、地方分権的に見ると、北海道に暮らす作者だからこその発見と感動が読み取れる。ご存知のように「初雪」は冬の季語、「ななかまど」は秋の季語だが、それを繋ぐ(コンテクスト)「産着」の比喩が素晴らしい。北国ならではの二つの季節の重なりが、慈愛をもって描かれている。この感動を味わうためであれば、修行は報われることだろう。

「イエスより軽く鮟鱇を吊りさげる 有馬朗人」(季語:鮟鱇 冬)

「草餅を焼く天平(てんぴょう)の色に焼く 朗人」(季語:草餅 春)

これらの構えの大きな句は、ある意味、中央集権的だ。日常の点景を、宗教や時代を背景に置くことで、普遍的な世界に押し上げようとしている。もちろんこうした俳句の作り方もあるが、小さなコミュニティで有効な俳句をもっと認めてもいいと思う。

『日本再興戦略』には当然、AIやビットコインの話も出て来る。落合は東洋思想の再評価を訴えつつ、自動運転などの最新テクノロジーが社会や人間に与える影響や変化についても柔軟に論じている。面白かったのは、ロボットについての項だった。たとえば介護ロボットの導入に反対する人に対しては、「自分のお尻を洗ってもらうのに、人間の手とウォシュレットとどちらがいいですか?」と訊いてみるといいという。ほとんどの人はウォシュレットと答えるだろう。それを入口として、介護ロボットの持つ価値と意味を理解してもらう。こうした有効な例示がふんだんに盛り込まれているのも、本書の特色だ。

そしてバーチャル・リアリティなどの技術革新が止められないものだとすれば、自然とデジタル・テクノロジーが融合した“デジタルネイチャー”が誕生し、未来のイメージを形作っていくだろうと説いている。研究者らしい性急さはあるが、落合の先見性は注目に値する。

ところで、俳句はもともと写生を通して、見えるものを使って見えないものを描く表現手段である。だとすれば、俳人とデジタルネイチャーは、案外、相性がいい。未来を東洋的に把握する手段としての俳句は、次世代の俳人の重要な仕事になるだろう。それが今の時代に合った『俳句再興戦略』となるのかもしれない。

「林に金星麦こぼれゆく母郷  兜太」(季語:麦 夏)

 

俳句結社誌『鴻』2018年4月号より転載

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弱虫のロック論2 GOOD CRITIC
著・平山 雄一
出版社: KADOKAWA / 角川書店